これが何を意味するかというのは改めて語る必要もないだろう。
765プロのアイドル、そして俺の恋人だった水瀬伊織の誕生日である。
まぁまぁ「アイドルが恋愛とは!」という意見があると思うが、そこはご容赦いただきたい。
伊織が十四歳の時に出会い、そこから二人三脚でトップアイドルを目指して走りぬいてきた。
付き合いだしたのは、そんな伊織が二十歳の頃。演技方面の才能が開放しはじめて、アイドルから女優へと徐々にシフトし始めた時期だ。
まぁその時の詳細はこっぱずかしいので省かせていただくが、なんともまぁお互い伊織の初任給をはじめて貰った時には惹かれあっていたとのことだった。
まぁ俺と伊織は公私とも良きパートナーだった。
「だった」
そう二回目のだったである。過去形、それが意味するものはつまり今は違うということである。先に言っておくが、死に別れたわけではない。俺が不慮の事故で亡くなった伊織を忘れられないや幽霊の俺が回想してるといった日本的な感動作品のような話では一切ない。
なんならはっきりと「別れましょう、そうしましょう」と口にしあったというわけでもない。
というより三ヶ月間会話らしい会話をしていなかった。挨拶や仕事の打ち合わせなどはするが、あくまでプロデューサーとアイドル、ないし女優といった関係で、そこに男女の余地が入るようなこと一切なかった。
その時の俺は目が回るほど忙しかった。
一年ほど前から始まった765プロの妹分といった「シアター」の本格的な可動、および三十七人の新しいアイドルの追加により、俺を含めプロデューサー一同はてんてこ舞いであった。
準備や覚悟は当然してきたものの、自分のこれまでの業務に加えて、新人プロデューサーの指導などの追加も相まって、一日一八時間フル稼働といったところだった。
そういう忙しい、何かを変える時にはまぁ悪徳な奴らもいたもので。伊織のゴシップが撮られたのだ。
そのパーティの時、偶然会話しているところを写真に撮られたということだ。
彼らもまたプロである。二人だけで秘密の逢瀬をしていたわけではないのだが、写真を見ればまるで仲睦まじく愛を語り合っている美男美女にしか見えないものだ。いやはや舌を巻くしかない。
木っ端の雑誌とはいえゴシップを抜かれて、心のどこかに伊織を疑う気持ちがあったのだろう。会えなくて不安だったのが、それを加速させた。
そう「DIAMOND」が流れたのだ。
伊織の電話の着信音。
ちらりと見えたディスプレイには、件のゴシップの相手の名前が載っていた。
「あら、恭二じゃない。どうしたのよ?」
プライベートな会話だとは知りつつも、その時の俺の耳は勝手に伊織の言葉に集中し始めていた。
聞きながら、電話の相手が見てる伊織は俺の見ている伊織とは違うのかもしれないと思ったし、そうすると寂しさと悔しさが湧いて来た。
長い間、時間をかけて積み上げて来たから。 いろんなあいつの表情を、俺は知っている。
それでも、まだ俺の知らないあいつがいるってのは確かなことだ。
そして困った事に腹が立つのは、その俺の知らないあいつを多分電話のそいつは知っているってことだ。
話はまだ続いている。伊織はまだ携帯を置かない。 伊織の周囲だけ空間が切り取られている気がした。
「随分と仲よさげなんだな」
ムスッとした声で、俺は伊織にそう言った。
空気が氷点を割るのを自分でも感じた。
「何考えてのよ、あんた」
どうしたのと言いたげに伊織がこっちを見て、そして俺が機嫌が悪い理由にも思い至ったようで、呆れた表情に変わった。
「かもな」
「そんなことあるわけないでしょうが」
「それが本当かなんて分からないだろ」
「そんなに私の言うことが信じられない?」
「写真でも仲よさげだったしな」
「あんた、あんなの信じてるわけ?」
そこからは売り喧嘩に買い喧嘩。会えない不満がお互い溜まってたんだろうな。言わなくてもいいことまで言い合って。
そして、俺たち二人はお互い反対側を向いて、何も口をきかなくなってしまった。
思い返してみると、 どう考えたって俺が悪い。
伊織を信じなかったばかりか、あんなゴシップを武器に殴りかかって。
素直に謝りにいくのが一番良いのだろうが、そのきっかけがつかめない。それを探しているうちに結局こんなに時間が経ってしまった。なんであいつの誕生日だってのに、俺は一人でバーにいる。
空になったグラスにウィスキーを入れながら、新堂さんは俺にそう言った。
そう、何を隠そうこの店は新堂さんのお店なのである。
伊織の免許の取得、および運転の楽しさに目覚めて、時間に空きができた新堂さんは、かねてよりの願いだった自分の店をオープンし、社長や俺や小鳥さん、それにお酒の美味しさを知ったアイドルたちがいく行きつけの店となっているのだ。
「俺が悪いのわかってるんですよ。ただ謝ろうにも、あいつの前に行くとなんかこう気がひけるというか」
「ええ、分かりますとも。私にも経験があります。お嬢さまの持つ圧にやられてしまうと、どうにも言葉に詰まってしまいます」
「そうなんですよね、なまじ自分に非があるの分かってるから」
などと会話しながら、どう伊織に謝るかの計画を立ててた、その時だった。
扉が開き、入り口の階段を降りてくる足音が聞こえる。
「いらっしゃいませ」
「何よ、新堂。いきなり電話して、店に来てくれって」
そう新堂さんに声をかける、これまた聞き慣れた声がする。
「んげっ!」
んげっ?その声の正体を振り返ると、なんと先ほどまで話題にしてた、水瀬伊織、その人だった。
「人を見て、んげっとは失礼だな」
「……なんであんたがいんのよ」
「飲んでたんだよ、一人で」
「あっ、そう。新堂、いつもの」
興味ありません、と言いたげな口ぶりで伊織は会話を断ち切った。お前が聞いたくせに。
久しぶりの会話らしい会話であったが、その先は続かなかった。
「ややお嬢さま、プロデューサー。すいません」
「どうしたのよ?」
「いえ、この新堂ついうっかりお酒のストックを倉庫から持ってくるのを忘れておりまして。今から取りに行きたいのですが、留守を頼んでもよろしいでしょうか?」
「え、ええ。構いませんよ」
「ありがとうございます。それでは」
そういうと新堂さんは、奥の倉庫に向かった。
伊織も同じように感じたのか、さっきからチラチラとこちらに視線を感じる。なんなら時々目があっている。
他の客がいなくてよかった。いたら、この気まずさでお酒がまずくしてしまうところだ。
「最近どうだ?」
先に俺が耐えきれなくなり、まるで思春期の娘に声をかける父親のように聞いてしまった。
「普通よ、普通」
はい、会話終了。俺の振り絞った決死のそれはあえなく叩き落とされてしまった。
もう一度いく勇気もなく、俺はぐいっとグラスに入ってたウイスキーを飲み干した。
そう思ったらなぜだか涙が止まらなかった。
それは悔しさだったり、自分の馬鹿さ加減への呆れだったり、その他諸々混ざったものであった。
「なに泣いてんのよ」
あの日と同じように呆れた表情で伊織は俺にそう言ってきた。
耐えきれずに背中を向ける。
「……泣くほど大事なら手放すんじゃないわよ」
その言葉にハッとし、伊織のほうを向く。
伊織の表情は伺い知ることはできなかった。
そうだよな、俺が蒔いた種だもの。なら刈り取るのも俺だよな。
背中を向けたまま鼻をすすり、涙を拭く。
今更取り繕ってもしょうがないが、とりあえずはカッコつける。
「なによ」
「すまなかった」
「何に対して謝ってるのよ」
「……色々あるけれども、そうだな。お前を信じなかったことかな」
それを聞くと、伊織は俺の方に顔を向けた。
「待たせすぎなのよ、あんたは」
デコピン一つを俺の額に見舞い、そして自然とそうすることが身体にインプットされてたかのように、俺と伊織の影は重なりあった。
きっかけなんて、糸口なんて考えてみるよりも全然簡単なことだったのだ。
その後、店のドアの前で様子を伺っていた新堂さん(やはりというか新堂さんの計画だったらしい)に送ってもらい、空いていた時間を埋めるように俺たちは求めあった。
とは俺の腕の中にいる伊織の言葉。
何ともなし、ただの俺の独り相撲だったのだ。
「ったく、どんだけ寂しかったと思うのよ。本当に終わっちゃうんじゃないかって、怖かったんだからね」
「珍しく素直だな、伊織」
「私はいつだって素直よ、ばぁーか。……あんたが忙しくなって、なかなか会えなくなって、……愛されてるって証がほしかったのよ、たぶんきっと」
「それは俺も同じだよ。不安にさせてごめんな」
「……ほんとに悪いと思ってんの?」
「思ってるさ」
「じゃあ、じゃあさ……」
モゴモゴと伊織は口を動かす。
「消えない証をちょうだい?」
そう言ってるように俺には聞こえた。
まぁいいさ。名誉の勲章みたいなもんだ。
伊織、お誕生日おめでとう!
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のういうの好き
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