発覚したのは、麗花の抱擁によってであった。
そも、麗花こと北上麗花という人は、何は無くとも親しい人間にハグをして回る性質を持っていた。
その勢いや全盛期のダッコちゃん人形の流行りにも負けず劣らず。
行為自体は親愛表現の一つであると理解もできたが、それでも二十歳になる大人の女性が、
異性同性問わず事務所内の人間に片っ端から抱き着き回って行く姿というのは、
一種の危機感さえ感じさせる光景だったと言えるだろう。
狂乱のクリスマスライブを無事に終え、年越しの生放送も完了し、正月三が日も皆つつがなく過ごし……
ようやく平穏な日々が戻って来ると安堵していたある日のことだ。
朝、麗花は事務所にやって来るなり「おはよう」の挨拶でもするような気軽さで、
デスクに座るプロデューサーを後ろからギュッと抱きしめた。
近くのソファに座っていた周防桃子はその光景を目の当たりにするや、しかめっ面になってこう言った。
「ちょっと麗花さん! 桃子のいるとこで、そーゆーのするのはよして欲しいな」
読み込んでいたドラマの台本から顔を上げ、苦言を呈する十一歳。
年上の人間にその物言いはどうなのだ? と思う方もいるかもしれないが、この桃子という少女は元子役。
アイドルデビューしたての人間ばかりが集まる事務所においては、業界の先輩として一目置かれる存在なのだ。
さて……そんな桃子『先輩』の紹介が済んだところで話に戻ろう。
皆さんも椅子に座った人間に背後から抱き着いた経験をお持ちならば分かるだろうが、
座っている人間を後ろから抱きしめた時、ほとんどの場合は相手の頭の高さと自分の胸の高さとが、ちょうど同じぐらいの高さに来るものだ。
そしてこの時のプロデューサーと麗花の位置関係というやつは、まさにその実例として上げるにうってつけの状態となっていた。
要するにプロデューサーの頭の後ろには、麗花の豊満な胸が押し付けられていたのである。
これは世の男性諸君の目からすればまったくもってけしからん、実に羨ましい光景である。
さらに付け加えて言うならば、多感な年頃の少女が集うアイドル事務所で
このような光景が当たり前のように披露されるということは、情操教育上にもよろしくない。
ただでさえ普段から、この北上麗花を筆頭とする自由人たちの言動によって乱れがちな765プロダクションの風紀なのだ。
歳の割にはしっかり者の、桃子が目くじらを立てて注意したのも当然の結果と言えるだろう。
だがしかし、叱られた当の本人は桃子の苦言をにこやかな笑顔で受け流すと
「あれ? プロデューサーさん……もしかして雪だるまさんになっちゃいました?」なんて言葉を口にした。
もちろん人間が雪だるまに変化するなど、本来ならばお伽話でもなければあり得ない。
ひょっとすると雪だるまの中に人が入っているなんてこともあるかもしれないが、
大体その手の話は雪深いペンションで起きた殺人事件の被害者か、スキーに失敗したギャグマンガの登場人物ぐらいのものだろう。
ちょうどそう、桃子が手に持っているドラマの台本がそんな感じの話である。
そしてプロデューサーが雪だるまのコスプレをして、デスクワークをこなしていたという事実も無い。
彼はいつものスーツ姿で椅子に腰かけ、今は麗花の抱擁から逃れようとその身を捻っていた。
賢明なる諸氏におかれては、一声「放してくれ!」と叫べば解決じゃないかと不思議に思うかもしれないが、
それも両腕で口元を塞ぐように抱きしめらえた彼の状態では難しい。
こうして二人の様子を描写している間でさえも、プロデューサーは押さえつけられた腕の隙間に
僅かに空いた空間から、新鮮な空気を取り入れようと必死であった。
とはいえ、プロデューサーが命の危険に晒される……そんな光景には日常的に慣れっこなのか。
さしあたり身の危険が迫っていない桃子の方は、彼女の言った言葉の意味が分からないといった様子で麗華に対し質問をする。
「何、その、雪だるまって?」
すると麗花は小さく首を傾げると
「雪だるまさんは、雪だるまさん。ほら、おっきくて丸くて、今のプロデューサーさんみたいだよ」
説明を求めて質問したら、かえって分かりにくくなってしまった。桃子は、眉間を寄せて考える。
そもそもこの麗花という人間は、普段から人より言動が『ズレて』いる人なのだ――とはいえよくよく思い返すような必要もなく、
この事務所に所属するアイドルたちは皆、大なり小なり常識から外れた場所にいる気もしたが――きっとその雪だるまとやらも、
彼女の感性から飛び出した、比喩の類であるのだろう。
その時、桃子は二人の前。デスクの上にちょこんと飾られた、ある置物の存在に気がついた。
それは麗花ほどではないにしろ、やはりどこか変わっている真壁瑞希というアイドルが、
クリスマスの日にプロデューサーからプレゼントされた一点物のスノードーム。
「インテリアとして、いつでも目につくところに置いておきます」と飾られたその丸いガラス玉の中には
『リトルミズキ』と呼ばれる瑞希を模した人形と一緒に、作り物の雪だるまが並んでいる。
瞬間、なにやらティンと来る感覚が桃子の脳裏にビビッと走った。
雪だるま、丸い、大きい、抱きしめたら分かるプロデューサーは雪だるま……。
「麗花さん。雪だるまってもしかして、お兄ちゃんが太ったって言いたいの?」
小さな名探偵の回答に、麗花が「そう! 抱き心地がね、なんだか前よりふっくらしてる!」と満足そうに頷いた。
ついでに彼女の腕の中では、一人の男が酸欠によって息を引き取ろうとしていたのである。
「ホント、死ぬかと思った」
麗花の抱擁からようやく解放されたプロデューサーがげっそりとした表情でそう言った時、
桃子は「そりゃ、死んだ人間は『思った』なんて口にしないよね」と心の中で呟いていた。
おいおい先ほどまで生死の境をさ迷っていた人間に、なんとも冷たいじゃないかという声が聞こえてきそうだが、
相手はマシュマロよりもふかふかな感触を今更ながらに思い出し、鼻の下を伸ばしているような人間だ。
桃子の持つ価値観と世間一般の基準を照らし合わせてみても、それは彼女にとって軽蔑するに値する存在だった。
「そんな! プロデューサーさんが死んじゃったら……私、悲しいです」とは、
もう少しで彼を亡き者にしかねなかった犯人でもある、麗花が口にした台詞。
目の前の二人を呆れた顔で眺めながら、桃子が質問するために口を開いた。
「それで確認なんだけど。麗花さんが言う通り、お兄ちゃんって少し太ったの?」
桃子に聞かれたプロデューサーは、少々声を上ずらせ
「ど、どうかな? 自分じゃよく、分からないんだけど……」と麗花の方へ視線を向けた。
すると麗花も「もう一度ギュってして確認します?」なんて微笑みをたたえてい言うものだから
「しなくていいから、麗花さん! お兄ちゃんも、デレデレ鼻の下を伸ばさない!」と桃子の叱責が二人に飛んだ。
激高した虎もかくやと桃子に吠えられて、プロデューサーが首を縮めて彼女に言う。
「で、でもなぁ桃子。自慢じゃないけど俺の生活に、太ってる余裕なんて無いと思うんだ」
そのなぜだか困ると言うよりも、申し訳なさそうなプロデューサーの発言に、
思い当たる節のある桃子はそれはまぁそうだと頷いた。
彼は見た感じこそ頼りなさげな優男だが、こと体の丈夫さに関しては、
人間離れした生命力の持ち主であることが広く知られる人だった。
なぜなら事務所に所属するアイドル達のプロデュースを一手に引き受けている彼の仕事の忙しさと言ったら、
常人だと体が三つあってもとても追いつかない程なのだ。
にも関わらず、「アイドルこそ俺の人生だ! 生き甲斐だ!」と豪語する彼は、日々を大量の仕事を処理することに費やしている。
弱小だオンボロだと当時は馬鹿にされていた765プロダクションが、
僅か数年のうちに自前の劇場施設まで持てるほどの急成長を遂げたのも、
人件費を押さえに抑えた彼の屈力とそれに応えたアイドル達の努力あってこそ。
「一応、どんなに忙しくても食べる物は食べるようにしてるけど。
俺のカロリー消費が多いことについては、美奈子のお墨付きだってあるんだぞ」
「でも、桃子的には……その美奈子さんが怪しいと思ってるんだけどな」
さて、ここで二人の口から飛び出した、美奈子なる人物についても説明をしておかねばなるまい。
佐竹美奈子、十八歳。彼女も事務所所属のアイドルなのだが、その外見は一見するとごく普通。
アイドルというには見た目に派手なところの少ない彼女だが、世話好きで面倒見のよい性格と、
いつでも明朗快活なその立ち振る舞いというものは『運動部のマネージャーになって欲しいアイドルランキング』というものが
この世に存在した場合、まず間違いなく上位に喰い込む魅力を放っていた。
事実、美奈子のファンには運動部所属の学生が多くいるらしく、
彼女の実家で中華料理屋でもある佐竹飯店には部活帰りの中高生が連日のように押し寄せて、店は嬉しい悲鳴を上げているという。
そんな文字通りの看板娘である美奈子だが、皆さまは少し前の話に出ていた「あのこと」を覚えているだろうか?
そう、765プロダクション所属のアイドル達は、皆どこか世間との『ズレ』があるという話のことだ。
悲しいかな、それは美奈子も例外ではない。
彼女がどのように『ズレて』いるかについては、一つ、こんな話がある。
一旦乙です
>>2
北上麗花(20) Da
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周防桃子(11) Vi
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不健康な生活は痩せるか太るか両極端なんだよなぁ…
春香、貴音、奈緒あたりも一応容疑者
それは美奈子が初めて受けたオーディションに合格した夜のこと。
プロデューサーは彼女の実家で開かれた、ささやかな合格祝いに招待された。
美奈子からの誘いを受けた時、彼は嬉しそうに言ったものだ。
「本格中華なんてしばらくぶりだ! 美奈子の言う通り、お腹を減らしてお邪魔するよ」
しかし、揚々と佐竹飯店にやって来たプロデューサーを出迎えたのは、
六人掛けのテーブルを端から端まで埋め尽くし、こぼれ落ちんばかりに並んだ料理の数々だったのだ。
「こっちが乾焼蝦仁で、肉末焼餅と回鍋肉、それから炒飯だって用意してありますよ!
他にも、料理はまだまだ沢山……一品ずつは男の人が食べるには、ちょっと物足りない量かもしれませんけど。
その分種類を増やしましたから、思う存分、一杯食べて帰って下さいね!」
この瞬間、プロデューサーは群れをなした料理の山がただ一人自分のために用意された物だということを知り、
己の楽観的な性格を呪い、この後に待ち受ける苦難を悟ると、涙を堪えて天を仰ぎ、神にその身を任せることを決意した。
文字通り炒飯が山盛りにされた皿を乾いた笑顔で受け取りながら、プロデューサーはこう思ったそうだ。
「ああ、どうして俺の体は、機械で作られていないんだ」と。
機械の体で生きていたなら、食事はコップ一杯のオイルと電気だけでも十分なのに……。
いや、ダメだ。相手が美奈子では、一食につき二十五メートルプール一杯分のオイルを用意することだってやりかねない。
むしろ一時間おきに給油が必要になるような、酷く燃費の悪い身体に作り替えられる可能性だってある。
その方が彼女としては食事を用意する回数も増えるのだし、美奈子はロボット工学の権威でもなんでもなかったが、
彼女には食事を振る舞うという行為の為に、博士号だって取りかねない程の凄みがあった。
もはや甘い言葉に誘われて、相手のテリトリーに足を踏み入れた時点で逃げ場など何処にも無いのである。
プロデューサーはせめて墓前に供えるお供え物は包子の一つにしてくれと美奈子に伝えて箸を持つと、
最後には救急車に乗せられて佐竹飯店を後にした。理由は勿論、食べ過ぎだ。
この一件によって美奈子が「いっぱい食べる、君が好き」を地で行く少女であることを、
プロデューサーは改めて思い知ることになったのだが。不思議なことに、美奈子自身も食が太いかと言うとそうでもない。
どうやら飲食店を実家として育ったためか、美味しい料理に舌鼓を打つ幸せそうなお客さんの顔を見ることが、
彼女にとっては何よりの楽しみだったらしい。
今ではすっかり回復したプロデューサーの為、自慢の手料理を事務所まで持って来ては
(あるいは事務所で作っては)差し入れとして振る舞うのも日課の光景となっていた。
さて、美奈子という少女がどのような娘であるか。その片鱗を紹介したところで、話は再び事務所へと戻ることになる。
「やっぱり、美奈子さんの差し入れのせいだと思うな。じゃなきゃ、他に思いつかないもん」
プロデューサーが乗った体重計の針を見て、桃子が考え込むように腕を組む。
驚くなかれ、彼には麗花が申告した通り、体重の増加及び腹回りの肉のたるみが認められたのだ。
あれほどの激務をこなしていると言うのに、一体何処に脂肪をつけるための余剰なエネルギーがあるというのか?
信じられないといった顔をする桃子に、プロデューサーが言う。
「おい! それはちょっと早計だぞ。まだ、美奈子のせいと決まったわけじゃ……」
「何言ってるの! 侘しい食生活を送ってるお兄ちゃんが、大量のカロリーを摂取できる機会なんて限られてるでしょ?
……試しにちょっと、最近食べた物を聞かせてみてよ」
「えぇっと――朝は菓子パン、昼はたるき亭の特割ランチ、それから夜はカップラーメンで……」
「ほら、侘しい!」
桃子にズバリと言ってのけられ、ひるんだプロデューサーが麗花の後ろに身を隠す。
「で、でもな! 二キロや三キロ増えたところで、そんなの誤差の範囲だろ?」
「甘いよ! その一口が豚の元……油断してたら、一気にブクブクしちゃうんだから!」
それでもなお「計りの故障かもしれないし……」と食い下がるプロデューサーだったが、
体重計が桃子の体重をピタリ測定したことで口を閉じた。
「とにかく、このままじゃ本当に雪だるまみたいな体になっちゃうよ。そうなる前に、手を打たないと」
「ダイエットなら手伝いますよ? 私と一緒にハイキングしましょう!」
「麗花のハイキングは登山だろっ!? 俺みたいな素人にはきつ過ぎる!」
プロデューサーはそう言うと、笑顔で腕を取った麗花から距離を取り、
「だいたい美奈子の差し入れを食べた日は、その分他の食事の量を減らしてるんだ。
そんな急に太る程、バカ食いしてるってワケじゃないだぞ」
「でも、現にこうして数字に出てるじゃない」
「いやいや、きっと筋肉がついたんだ。だから体重が増えたんだ」
思いついたように言うプロデューサーに、桃子が呆れた顔をする。
「あのね? お兄ちゃんがみっともないお腹してなかったら、桃子だってその言葉を信じられたけど……」
そうなのだ、そこが桃子には不思議でならないところであった。
プロデューサーの仕事量と食事の割合を考えれば、やつれこそすれ太るなんてことがありえるだろうか?
たった今プロデューサーが述べたように、彼の食事は基本的にインスタントや定食、出来合いの物が殆どであり、
それだけで一日分の栄養を保つだけの食事がとれているとも思い難い。
とすると、残るはアイドル達が作って来るお菓子なんかの間食か、美奈子の差し入れの二択であったのだが……
比べてみるまでも無く、美奈子の作って来る差し入れの方が量も、栄養も偏っていると桃子には思われた。
「それに食べる量が原因じゃないって言うんなら、ますます食べている物それ自体が怪しいって話だよ」
「や、止めてくれよ……美奈子の料理に、何か入ってるみたいに言うのはさ」
真剣な表情の桃子の言葉に、プロデューサーが若干怯えた顔になる。
誰だって差し入れられた料理の中に、得体の知れない物が混ぜられていたなどといった
想像をするのは気持ちのいいものではない。
用意される食事の量こそ規格外だが、美奈子の手料理は本格的で美味いのだ。
今となっては彼もすっかり、彼女の料理のファンであった。
しかし桃子は、ソレこそが彼の肥満の原因だと思っている。
彼女の推測が正しいならば、しばらくの間『美奈子断ち』させることにより、プロデューサーの体重は減るハズだった。
「とりあえず律子さんたちにもこのことは話すから。お兄ちゃんにもしものことがあったら、事務所の皆だって困るんだし……
だから美奈子さんからの差し入れも、今日から断るようにして」
「そ、そんな殺生なこと言うなって! アレがないと、俺の食生活はますます侘しい物になっちゃうぞ!?」
桃子が、プロデューサーのデスクをバシンと叩く。
「言っとくけどお兄ちゃんの体を心配して言ってるんだよ!? だいたい桃子ヤダからね?
みっともないお腹の人を、プロデューサーとして連れて歩くのは!!」
厳しく言い放つ桃子の迫力たるや。脇に居た麗花でさえ「うぅ、桃子ちゃん怖いです」と萎縮させたほど。
無論、人並みには肝の小さいプロデューサーがその申し出を断り切れるハズも無く。
この日から当分の間、彼には食事制限が課せられることとなったのだ。
一旦乙です
>>20
佐竹美奈子(18) Da
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こうして765プロダクション内に、『プロデューサー食事制限令』は発令された。
具体的にどんな内容なのかを説明すると、おやつなどの間食を、彼に差し入れることは原則禁止。
朝昼夕の三食も、何を食べたか、どこで食べたかの報告書の提出がプロデューサーには義務づけられた。
彼が美奈子に、美奈子が彼に、二人きりで接触することも固く禁止され、
事務所や劇場にいる時は、どちらかには常に監視のためのアイドルがついており、仕事も基本的には団体行動。
美奈子の業務が終わったその後も、前述の通りプロデューサーは彼女以外のアイドルたちを相手にせねばならぬ上、
そもそも仕事が(なにせ単純な書類仕事だけでも五十人分である)彼を放してはくれなかった。
当然、彼女の実家である佐竹飯店への立ち入りについても厳重な対策が施される。
なんと事務所は制限令を出したその日の内に、プロデューサーの首に賞金を懸けたのだ。
「おい聞いたか? 佐竹飯店で指名手配されてる男の話!」
「知ってるとも! 店内にいるのを見つけて連絡したら、賞金が出るらしいな」
「その賞金、飯食ってるところを現行犯で捕まえられたら額が二倍になるってことも知ってたか?」
「オッ、オレは今日から毎日あの店に行くぞ! 賞金貰って、死ぬほどガシャを回すんだ!」
以上は街の若者たちの会話だが、このやり過ぎなまでの行いには、プロデューサーも美奈子も参ってしまった。
おまけにプロデューサーの『美奈子断ち』は、事務所内に思わぬ流れも生むことになる。
「プロデューサーさん聞きましたよ? 間食の差し入れはダメだってことなので、私、お弁当作って来ちゃいました」
などと抜け駆け、いや、先駆けた二つリボンがいたせいで、彼の食事模様は多彩を極めることになったのだ。
「ハニーはまず事務所に来たら、ミキと一緒におにぎり食べるの!」
「お昼、まだでしたよね? これ、私のお弁当ですけど……よかったら」
「ねぇプロデューサー? 最近できたフレンチレストランがあるんだけど、
今夜はそこで、私と一緒に食事させてあげても構わないわよ?
……なによその顔。アンタ、この伊織ちゃんをディナーに誘えるチャンスが来たのに、
嬉しくないって言うんじゃないでしょうねっ!?」
――とまぁ、ことあるごとに手の空いたアイドルたちがプロデューサーのもとを訪れては、一緒に食事をしようと誘う始末。
侘しかった彼の食生活は一転、アイドルと同伴して食事をする彼の姿に、
居合わせた男性たちは妬み嫉みに唇を噛みしめたとかなんだとか。
それもこれも、全ては美奈子のいたポスト……要は、『プロデューサーへの差し入れ係』の席が空いてしまったことによる。
それまでは美奈子の料理によって他の娘の差し入れが入らない程に満たされていたプロデューサーの胃が、
今や「いつでもどうぞ」とばかりに空っぽなのだ。
「いや、今は腹が減って無いんだよ。さっき美奈子の料理を食べたから」と差し入れを断られていたあの子やその子が、
失われたショクニケーションの時間を取り戻そうとでもするように、こぞって二代目襲名に名乗りを上げたというワケである。
しかし、制限令が出されてからというもの、いくら日々の食卓に華と彩りがそえられようと、
プロデューサーの気分が晴れることは無かった。
彼の周りに集う少女たちの中に、肝心要のあの娘はいない。……彼は、自分の体が欲している物を知っていた。
『ヘルシーよりも、カロリーを』
彼の心も体も満たすのは、美奈子の、そう! 美奈子の料理でなくてはダメだったのだ。
ところで、皆さんは『密造酒』という物をご存知だろか?
密造酒とは読んで字のごとく、密造されたお酒のことであるのだが、一体何処で造られていたかと言うと、
基本的には密造主の自宅であり、誰に隠れて造られたのかと言えば女将、や、御上に内緒で造られていた。
これは現在でもそうなのだが、嗜好品であるお酒から、税金をふんだくるのは役人の知恵だ。
時に重たい税を掛けられることもあった酒を、どうにか自前で用意できないか? と、
庶民があれこれ知恵を絞った結果が密造酒製造という抜け道だった。
詳しい事は酒造について各自で調べてもらうとして、プロデューサーたちがとった行動も、まぁ、それに近いことだったのである。
いくら厳重な警備のある国境も、運と天が味方してくれれば越えられる者がいるように。
この日、運はプロデューサーに味方したのだ。
「ふっふっふ……まさかこんな抜け道があるなんて、お釈迦様でも見抜けまい」とは、悪い微笑みを浮かべたプロデューサーの台詞。
所は、765劇場内にあるフードコート。数多くの飲食店が出店するその中に、彼の目指す店は確かにあった。
本格的なオープンがまだ先なので、外装工事が終わっていないその店が一体何の店なのか知っているのは、
プロダクション内でも少数の人間だけである。
プロデューサーが、一緒にいた少女たちの方を向く。
「なぁ、響に環。俺はこれからココで、大切な仕事の話し合いをしなくちゃならない」
すると彼に話を振られた二人の少女、我那覇響と大神環はきょとんとしたような顔をして、
「話し合い? そんなの、プロデューサーの予定にあったかな?」
「おやぶんはこれから、たまきたちとスタジオに行くんじゃないの?」
あらかじめ律子から知らされていたプロデューサーの予定とは異なる事態に、二人の天然娘たちが疑問を唱える。
だが、プロデューサーは「そりゃ、古い予定だな」とこともなげに言ってのけると。
「実は、今朝急に決まった話なんだよ。多分、一時間ぐらいはかかるんじゃあないかなぁ」
「い、一時間もっ!?」
「それまでたまきたちはどーするの? 待機室で待ってなきゃダメ?」
不安そうな表情を浮かべた環の隣にしゃがみ込み、響が内緒話をするように彼女に耳うつ。
「だ、ダメだぞ環! 律子にお願いされたでしょ? 自分たち二人は、プロデューサーを見張ってなくちゃいけないんだし……」
「あっ、そっか! ……なるべくおやぶんの近くにいなきゃ、ダメなんだよね……」
二人の内緒話は傍にいたプロデューサーにも筒抜けだったが、それもまた彼女たちの魅力の一つ。ご愛嬌というものである。
「二人とも、心配しなくて大丈夫さ。お前たちは俺が出てくるまで、この辺の店でおやつでも食べながら待っててくれよ……ほら」
プロデューサーはそう言うと、財布から取り出したお金を響に手渡して背中を向けた。
「待って!」
歩き出そうとした彼を、後ろから響が呼び止める。
「……ど、どうした響?」
ゆっくりと振り返ったプロデューサーに、響は険しい顔をして言った。
「プロデューサー……二人で五百円じゃ、今時なんにも買えないぞ」
木を隠すには森の中、それは飲食店においても同じらしい。
追加の千円を響たちに渡し、プロデューサーが姿を消したその建物こそ、何を隠そう佐竹飯店の二号店。
つい先日、内装工事が終わったばかりの厨房では、真新しいコンロの前で中華鍋を振る少女が一人。
お察しの通り、その少女とは美奈子である。
「それにしても考えましたね。事務所の皆は、確かにココには来れませんよ」
「まっ、運も良かった。俺の方の監視役があの二人でな」
厨房の椅子に腰かけて、プロデューサーが不敵に笑った。彼の前には今、先に来ていた美奈子が用意した料理の数々が並んでいる。
いつかお呼ばれされた時に比べると、その品数は少なかったが……それでも、渇望していた彼女の料理がそこにはあった。
ニヤニヤとした笑みを浮かべながら、舌なめずりをして彼が言う。
「美奈子のオフに合わせて、俺が仕事を理由にココに立ち寄る」
「そこに、お手伝いに来ていた私が料理を用意して待っていて、プロデューサーさんを出迎える。
……律子さんや桃子ちゃんの裏をかく、完璧な作戦です! さすがはプロデューサーさん、悪知恵が冴えますね」
「はっはっはっ、褒めるな褒めるな! 何にせよこれだけ上手く行ったのも、
ココの店長を含めた佐竹飯店の店員さんが美奈子に協力的だったからさ。いわゆる、美奈子の人徳ってヤツだな」
「もう! ……嬉しいこと言ってくれるから、お肉、増量しちゃいます!」
しばらく後には、最後の一品を調理し終えた美奈子もプロデューサーの隣に座り、とうとう待ち望んでいた時はやって来た。
「でも、この話をメールして貰った時には本当に嬉しかったんですよ?
制限令が出されたこと、内心ではプロデューサーさんも喜んでるんじゃないかって……不安、でしたから」
顔を伏せる美奈子に、プロデューサーが「バカ言うな!」と言い放つ。
「そりゃ、律子たちを前にした時は俺も素直に頷いたけど……俺はもう、美奈子の料理無しじゃ生きられない体になってるんだ!
美奈子と知り合ったばかりの頃じゃいざ知らず、今じゃ毎日食べなきゃ落ち着かないぐらいにな」
「プロデューサーさん……私の料理を、そんなに……!」
感激する美奈子に向けて、フッと優しく笑って見せる。
プロデューサーがいざ箸を持ち、並べられた料理に突撃しようとしたその時だ。
「残念ながら、お二人の悪行もそこまでですよ~?」
スッと、その場の勢いを削ぐような声。
続いてけたたましく響いた笛の音と共に、どやどやと厨房へ押し入って来た者たちが居た。
突然の出来事に面食らったプロデューサーと美奈子が顔を向けると、
そこには物々しい雰囲気の男たちを従えた、見知った少女が立っていた。
「お、お前は……天空橋、朋花っ!?」
まるで悪巧みの現場を押さえられた悪役のように驚愕の表情を浮かべるプロデューサーとは反対に、
朋花と呼ばれた少女は聖母のような微笑みを浮かべると。
「律子さんたちと予想していた通りですね~。そろそろ、我慢も効かなくなる頃だと思っていたんです」
朋花が一歩、前に出た。
すると彼女の後ろにいた男たちもまた、プロデューサーと美奈子を取り囲むように移動する。
「まったく、情けない話……自制の一つも出来ないなんて、プロデューサーとしても失格です」
「ど、どうやって今日のことを知ったんだ!? この店に入る時だって、辺りには用心してたのに……」
「ふふふ、私の子豚ちゃんは優秀ですから」
そう言って朋花が視線をやった先に立つ男を見て、美奈子が「そ、その人は!」と驚きの声をあげた。
「二号店の、店長さん!」
「プロデューサーさんと美奈子さんが内緒で密会することは、彼が教えてくれました~。
……彼だけじゃ、ありません。勤勉な子豚ちゃんたちと、実直な騎士団の皆さんは、あらゆるところに居るんですよ?」
平然と言い切られた朋花の発言に、プロデューサーはゾクリと背筋を震わせた。
どうやら運は彼を手助けしたが、天は見放していたらしい。
朋花は変じ……変わり者だらけの765アイドルの中においてさえ、一際異色なアイドルである。
自身を『聖母』だと称する彼女は、その慈悲と慈愛の心をもってして、彼女のファン――
朋花本人は親しみを込めて『子豚ちゃん』と呼んでいる――を導かんと日々精力的に活動しているのだが。
そんな彼女のファンには子豚ちゃん以外にも、『天空騎士団』と呼ばれる一派が存在する。
彼らは朋花の行く先々に現れては、その名の通り朋花の手足となる騎士として、
時にマナーの手本となる有能なファンの姿に、時に彼女をマスコミから守る盾となり、
そして時にはプロデューサーの非道を朋花に報告する間者のように、その姿、立ち位置を変える謎多き集団だった。
「では、美奈子さん? このダメプロデューサーはお仕置きの為に、騎士団が連行させてもらいます。
今後はいくら頼まれたとしても、一切の食事を用意しないようにしてくださいね~」
味方だと思われていた佐竹飯店の店員を含む屈強な男たちに囲まれて、美奈子に「は、はい」と答える以外に道があろうか?
店外へと引きずられるようにして連れて行かれるプロデューサーの後姿を、
この時の美奈子はただ黙って見送るしかなかったのである――。
そらからというものプロデューサーには、事務所のアイドルたちに加えて朋花が率いる『天空騎士団』の厳しい監視もつけられた。
事務所内ではアイドルたちが、劇場施設ではスタッフたちが、外に食事へ行こうにも、
どこかで団員に見られているかと思うと、おちおち買い食いもできやしない。
一応、人並みに食事はさせてもらえるが、美奈子の作るボリューム満点な料理の数々に比べれば、なんと味気の無いことか。
もはや食の桃源郷はこの世に無いのか? 俺はこのまま、美奈子の手料理とは縁を切らねばならぬのか……。
必要な栄養こそ足りているものの、日に日に覇気を失くしていく彼の姿をついに見かねたアイドルが、
こっそりと差し入れを渡そうとすることもあったのだが、その都度「いけませんよ~?」と現れる朋花ときたら、
現代の忍者もかくやと言える神出鬼没ぶりである。
そして世に圧政が続けば革命の火花が散るように。
事ここに至っては、ついに美奈子もかねてから準備していた計画を、強引にでも実行に移す覚悟を決めた。
「本当は、もう少し時間をかけたかったけど……もう我慢なんてできないよ!
一刻も早く、プロデューサーさんのお腹を満たしてあげなくちゃ……!」
一旦乙です
>>38
我那覇響(16) Da
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大神環(12) Da
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>>43
天空橋朋花(15) Vo
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これがフードファイトってやつか……
さて、お話は変わってこちらは事務所。時間も、食事制限令が出された直後にまで巻き戻る。
765プロアイドルたちの元締めであり、事務手伝いであり、
プロデューサーでもある秋月律子は整頓された自分のデスクに腰を下ろすと、目の前の人物に確認をとるようにこう言った。
「それで桃子は、本当に美奈子の仕業だと思ってるのね?」
「うん……まだ証拠になるような物は見つけて無いけど、それ以外には考えられないもん」
桃子が、「間違いないよ」と言葉を続ける。
「律子さんたちだって困るでしょ? お兄ちゃんの見た目もそうだけど、本当に怖いのは、肥満から来る病気」
「糖尿病、高血圧、動脈硬化に関節障害……まぁ、数え上げたらキリは無いけど。
殺しても死なないような人ほど、案外あっけない理由でコロッと逝っちゃうのもよくある話。
……不安要素になるようなものは、予め取り除いておきたくなって当然ね」
「だから桃子が言ってすぐ、制限令を出してくれたんだってことは分かってる。でも、それだけじゃきっと足りないよ。
……お兄ちゃん、普段の気遣いはへたっぴなのに、どーでもいいことには気が利くし、頭も回る人だから」
「一応、伊織の協力で賞金を懸けようなんて話も出てるけど……念のため、他にも協力者は募っておいた方がよさそうね」
この時律子が口にした協力者というのが、朋花と天空騎士団だったということについては皆さんもよくご存じのことだろう。
律子と桃子、見つめ合った二人が殆ど同時にため息をつく。それから桃子は、思いつめたような表情で顔を上げると。
「それでね? お兄ちゃんに食事制限が出ている間、桃子は美奈子さんの作る料理の秘密を探ろうと思ってるの。
きっと……きっと何かがあるハズなんだ。あんなに忙しいお兄ちゃんのこと、太らせちゃうような何かがきっと」
「……なるほど。それでわたくしに協力を依頼したワケが分かりましたわ」
律子との話し合いから数日後、桃子から呼び出された二階堂千鶴は、
これまでの詳しい事情を説明されると納得したようにそう言った。
「うん。千鶴さんは、料理だって得意だし……多分、事務所でも美奈子さんの次には詳しいんじゃないかと思って」
「まぁ、自慢ではありませんけどもこれでもお台所には長年立って……あぁいえ! 料理研究には、余念が無いと。
……食事はただ食べて楽しむだけでなく、どのように作られているかも知っておいた方が話の幅も広がるものですから」
そんな二人がいるのは、劇場内の調理場だった。
どうしてそんな設備があるのかと言うと「アイドルたちが料理番組に出演することもあるだろうし、
一つぐらいあってもいいんじゃないかなぁ」なんてことを思いつきで口にした、社長の一言によるものである。
普段は美奈子がプロデューサーへの差し入れを作るために利用しているこの場所も、
制限令が出されてからは使われた様子が無い。
桃子が主のいない調理場の冷蔵庫を開けると、千鶴が中に入っていた食材を一つ一つ取り出しては吟味していく。
「どう? ……何か変な食べ物とか入ってない?」
「そうですわね……これと言って、怪しい食材は……」
「そこの瓶は? その、赤い蓋がしてあるやつ」
「ああ、それは醤ですわ。でもこれはその辺りのスーパーでも買えるような市販品で……あらやだ、このもやしったら痛んでる」
「ねぇ千鶴さん、見て!」
その時、桃子はもやしの袋の奥に隠された見慣れない入れ物を発見する。
ラベルも何もないプラスチックの容器のキャップを回すと、中身を確かめた千鶴は怪訝な表情で眉をひそめた。
「これは……サプリメント?」
「それ一個だけじゃないよ。まだ、いくつか同じ入れ物が入ってる」
「でも……妙ですわね。こんなところに、こんな物……」
「そうかな? むしろ、これこそ美奈子さんの料理の秘密だって桃子は思うな!」
「まさかそんな……サプリメントを使った料理だなんて、わたくし聞いたこともありませんわ」
美奈子の作る料理の秘密、その謎を解く手がかりになるかもしれない物品の発見に興奮気味な桃子とは違い、
千鶴はどこか腑に落ちない表情で見つかったサプリメントの入った容器を眺めていた。
本来、サプリメントの保存場所として冷蔵庫を使うのは適当でないとされている。
それは冷蔵庫内の冷たすぎる空気というのが、錠剤に悪影響を及ぼすからなのだが。
保管するならば日の当たらない涼しい場所に、風邪薬などの薬品同様、しまうなら戸棚の中などがベストなチョイスだろう。
なのにどうして、こんな場所に置かれているのか? それも、あからさまに隠すようにして……。
「きっと美奈子さんは、これを料理に入れてたんだよ」
犯行の動かぬ証拠を発見した探偵のような、勝ち誇った顔をしてそう言う桃子を、
「まだ美奈子がこれを使っていたかどうかは分かりませんわ。他のアイドルの持ち物かもしれませんですし」と千鶴が戒める。
「ただ、美奈子がプロデューサーに差し入れていた料理について、
相当な気を遣っていたことは間違いないようですわね。……ご覧なさい」
そう言って千鶴が、冷蔵庫の扉に貼られたカレンダーに指をさす。
桃子は日付欄に書かれた走り書きのようなメモを見ると、困ったように首を傾げた。
「えっと……ぼうぼうどりに、あお、あお……千鶴さん、何て読むの?」
「棒棒鶏に青椒肉絲。他の四字熟語のような漢字も、全て中華料理の名前ですわね。
でも、その隣に書かれた数字の方に注目してくださいまし。
……恐らくは一食当たりのカロリー数を、メモしたものではないかしら? それとこっちは、一日分の総カロリー」
なるほど、千鶴の言う通り。日付欄の一番下には、料理名の横にある数字よりも大きめに書かれた数字が並んでる。
「これって……つまり美奈子さんは、お兄ちゃんに差し入れする料理のカロリーコントロールをしてたってことでいいのかな?」
桃子が、感じたままにそう言った。千鶴も「だと、思いますわ」と同意する。
「とはいえ、わたくし一つ気になることが」
「気になること?」
「カレンダーに書かれたこの数字、料理名と一緒に書かれたものがバラバラなのは、わたくしにも理解はできますが……
一日の総カロリー、こちらはほぼ毎日同じ数値になっているでしょう?」
「……ほんとだ」
「この数字は平均的な男性が一日のうちに消費するとされている量よりも幾分多め。
恐らくは、プロデューサーに合わせたカロリー量ではないかしら……」
千鶴の言葉に、桃子が「千鶴さん、そんなことまで知ってるんだ」と感心する。
「えっ!? い、いえ、その……そう! たまたま、偶然ですわ!
じ、事務所に置いてあった雑誌にダイエットについての特集が……」
瞬間、閃きにも似た感覚が桃子の脳裏にビビッと走った。ダイエット、差し入れ、サプリメントに総カロリー……。
そして一日の消費量を算出し、美奈子によって厳格に管理されていたハズのプロデューサーの体重が
どういうワケだか増えていた理由。
全ての出来事が一直線に繋がった時、桃子は思わず「そうだったんだ!」と叫んでいた。
「も、桃子ちゃん……その容器を一体どうするつもりでして?」
千鶴が、何やら企んでいるような表情を浮かべ、手にしたサプリメントの容器を見つめる桃子に訊いた。
すると彼女は、カレンダーにメモを書き込むために用意されていたのであろうマジックを手に取って
「何って、確かめなくちゃいけないの。それから、皆のところにも行かなくちゃ!」
美奈子じゃない…!?
一旦乙です
>>53
秋月律子(19) Vi
http://i.imgur.com/gJvonNo.jpg
http://i.imgur.com/UFGcgDL.jpg
>>55
二階堂千鶴(21) Vi
http://i.imgur.com/hmjKb0Y.jpg
http://i.imgur.com/ZxhnuTS.jpg
なんとも意味深な桃子の台詞が飛び出したところで、物語もそろそろ佳境である。
刑事物の二時間ドラマなら、断崖絶壁を背景に刑事が犯人を追い詰めるところだが。
あいにく765劇場施設内に、そのようなセットは存在しない。
舞台は劇場事務室、お昼時。扉を開けてやって来た美奈子の台詞から幕は上がるのだ。
「プロデューサーさん。お昼、用意して来ましたよ」
事務室の中に入って来るなり、そう彼女は確かに言い切った。
この発言に部屋の中にいた人間――律子と、プロデューサーと、
そして彼のお目付け役として同席していた朋花の三人は驚きの表情を浮かべて美奈子を見た。
ドンとプロデューサーたちの前にあった机にラップがかけられたお皿が置かれると、
載せられていた料理を見た三人に再度衝撃走る。
「み、美奈子……一体お前、どうしたっていうんだ?」
プロデューサーが、信じられない物を見るような顔をして美奈子に言った。
彼だけではない。律子も、朋花も、ポカンと口を開けて彼女を見ている。
だが、当の美奈子はそんな三人の様子も意に介さずに
「律子さん、朋花ちゃん! これなら、プロデューサーさんに食べてもらっても構わないよね?」と自信ありげにニヤリと笑った。
それは、どこからどう見ても中華まんだった。肉まん、あんまん、カレーまんに代表される冬の定番。
老若男女問わずに大人気。ある意味もっとも知られ、もっともポピュラーな中華料理である包子。
無論、そんなことは三人だって知っている。むしろ、その人生の中で何度も口にしたことだってある。
問題なのは、そう、三人の度肝を抜いたその理由とは、
プロデューサーたちの前に置かれたソレが、普段の美奈子節からは想像もつかない程小さな肉まんだったことなのだ。
その大きさ、桃子の、育の、環の握りこぶしほど。つまり、小学生女児のお手てサイズ。
「多い大きいと言われるならば、少なくしよう料理のサイズ。でもその分、中に込めた愛情は濃く濃くだよ!」
そう言って美奈子が、歌舞伎張りの見栄を切った。
その顔は何とも自信に満ち溢れ、彼女の主張はいかなる反論も寄せ付けない正当性があるようにも聞こえる。
現に律子も朋花も、彼女の言葉にぐうの音も出すことが出来なかった。
「……確かに、制限令を出してるとは言ったって」
「たったこれだけの中華まんを食べるなとは……言えませんね~」
律子と朋花はお互いの顔を見合わせて、困惑と納得の入り混じった調子でそう言った。
二人のお許しともとれる言葉に、美奈子は中華まんの皿を手に取ると、ずずいっとプロデューサーとの距離を詰める。
「本当は、いつもみたいにいっぱい食べてもらいたいけど……何も、沢山の料理を用意することだけが愛じゃないですよね!
大切な人のお腹に入ってこそ、女の子は、料理の腕を振るう意味があるんです!」
一瞬、プロデューサーには美奈子の瞳の奥にギトギトと粘着するような輝きが見えた気がした。
だが、今の彼にそんな違和感を気に掛ける余裕はない。
中華まんの湯気に乗って鼻をくすぐる良い匂いが、彼の食に対する欲求をガツンガツンと刺激していたからである。
もはや我慢も限界だった。プロデューサーが無言で、しかし迫力のある形相で中華まんをむんずと掴む。
「ダメだよ!」
突然、彼を制止する声がした。それは僅かばかりに残った彼の理性が呼ぶ声か?
否、その場の全員が一斉に声のした方へ振り返ると、開けたばかりの扉の傍、腕を組んで仁王立つ桃子の姿がそこにはあった。
「それを食べちゃダメだよお兄ちゃん。……ちょっと前にも言ったでしょ? その一口が豚の元って」
真打ちは、遅れた頃にやって来る。桃子がしたり顔で言った言葉を聞いて美奈子が不快そうに眉をひそめ、
「ちょっと桃子、それって一体どういうことなの?」と律子が怪訝そうな顔で彼女に訊いた。
その傍ではいつの間にやら、朋花がプロデューサーの手から中華まんを取り上げている。
「焦らないでよ律子さん。今から桃子が、順を追って説明するから」
まるで桃子が主演のドラマを見ているようだと律子は思った。
この小さな女優の登場により、部屋の中はシンとした緊張に包まれ、
ゆっくりとした足取りでプロデューサーの傍までやって来ると、彼女は片手を腰に当てたポーズを決めて
「――さてと、それじゃあ説明を始めるね」と切り出した。
「初めに言っておきたいんだけど、お兄ちゃんが太ったってことが分かった時に、桃子には不思議に思ったことがあったんだけど。
……ねぇ律子さん。律子さんたちは、お兄ちゃんが普段どんな物を食べてるか知ってるよね?」
「プロデューサーの普段の食事っていうと……コンビニのおにぎりやお弁当に、昼はたるき亭の定食と……
夜は詳しく知らないけれど、他の子たちの食事に付き合ったり、自炊はできなさそうな人だから、
家に帰ってもカップラーメンってとこかしら?」
「律子ぉ、俺だって自炊の一つぐらいはできるぞ!
……ただ、仕事のせいで滅多に家には帰れないから、自炊する機会も無いだけだい」
いじけたように言い返すプロデューサーの言葉は無視をして、
桃子が「そう、律子さんもだけど、事務所にいる人間の殆どはお兄ちゃんが毎日ロクな食生活を送って無いことは知ってたの」
「それで皆さんは、よくプロデューサーさんに食べ物を差し入れていましたものね~」
朋花の言葉に、桃子が頷く。
「その中で一番差し入れの量も回数も多かったのは、ここにいる美奈子さん。
だから桃子は真っ先に、お兄ちゃんの『美奈子さん断ち』を決めたワケだけど……」
桃子が、チラリを美奈子に目をやった。しかし彼女は先ほどから、黙って桃子の話を聞いている。
それはまるで、探偵によって自分の犯行を語られる犯人のよう。
「筋肉をつけるとかって理由じゃなくて、単に体重を増やしたいだけなら方法は簡単。
ただ、一日に使うよりも多くのエネルギー……カロリーを摂り入れればいいワケだから。
例えばほんの数十キロのカロリーだったとしても、毎日多く摂り続ければいつかは変化が訪れる――
だけど普通の人の三倍は忙しいお兄ちゃんに、そんな余分なカロリーがあるのかなって。ソコが桃子には不思議だったの」
そうなのだ。桃子が初めに抱いた違和感の正体は、続ければやつれこそすれど太ることがあるとは
到底思うことのできない彼の食生活と殺人的な仕事量の対比にあった。
そのため、桃子は彼に注がれる余分なカロリーの供給元を、美奈子からの差し入れに絞ったワケだったのだが。
「律子さんたちの協力で制限令を出してもらってから、美奈子さんが劇場の厨房に入ることは無くなった。
これは、お兄ちゃんへの差し入れを止められたことが原因だけど……
その機会に桃子、千鶴さんと一緒に厨房の中を調べたの。そこで見つけたのが、コレだよ」
桃子が、その場にいる全員に見えるようポケットの中からある物を取り出した。
それはあの日、冷蔵庫の中から見つけたサプリメントの入った容器。
「この中にはサプリメントの錠剤が入ってるんだけど、冷蔵庫の中には他にも同じ容器がいくつもあって。
それで桃子は思ったの。美奈子さんが作る料理には、コレが使われてたんじゃないかって……
千鶴さんは美奈子さんの物じゃないかもしれないなんて言ったから、
その後で事務所の皆に自分の物じゃないかって確認を取って回るのが大変だったけど。
……ちなみに律子さんに朋花さんも、コレの持ち主じゃなかったね」
その言葉に、二人は揃って頷いた。桃子が、ほっとしたような表情を浮かべて話を続ける。
「他にも冷蔵庫の扉に貼ってあったカレンダーから、
美奈子さんが差し入れする料理のカロリーをキチンと計算してるのも分かったよ。
お兄ちゃんが一日に必要な大体のカロリーと、それに合わせた一食分のメニューが日付欄にはメモしてあった。
……千鶴さんが教えてくれたんだけど、ダイエットしたいならカロリーを制限しなさいってよく言うよね?
でも、本当はちょっと違う。正確にはカロリーを制限しつつも、栄養だって摂らなきゃダメ」
桃子が、厳しい視線でプロデューサーを見る
「それは体重を増やす時だっておんなじで、単に高カロリーな料理ばかり食べてたんじゃ――
そう、お兄ちゃんが普段食べてる侘しい食事じゃ、カロリーはともかく栄養をバランスよく摂取なんてできないの。
それは美奈子さんが差し入れてる料理でも同じことだよ。
お兄ちゃんの好みに合わせていたら、差し入れのメニューはどうしても
ボリュームがあって油っこい料理ばかりになっちゃう……不健康な体に、まっしぐらだよ」
「それで、サプリメントを無理やり料理に?」
「うん、きっと足りない栄養を補おうとしたんだと思うけど。
それに冷蔵庫の中には、中華料理によく使う醤っていう辛みをつける調味料もあって……
微妙な味の変化は、それで誤魔化してたんじゃないかな」
「それでは、プロデューサーさんの体重が増えたのは、美奈子さんのせいということですか~?
高カロリーな料理に栄養まで上乗せしていたとするならば、一食分のカロリー量も、必然的に増えそうですものね~」
困ったように頬へ手をやった朋花の言葉に、桃子が「ううん」と首を振る。
「桃子も、最初はそう思ったよ。……実際、美奈子さんが持って来たその肉まんは
劇場の厨房で作られたばかりの出来立てだよね?
サプリメントが入ってるかどうかについては美奈子さんが厨房を出て行った後で、
この容器の蓋に小さくつけておいた印を調べて分かったし」
そう言って桃子が持っていた容器のキャップ部分、その根元を指さした。
「桃子ね、冷蔵庫の中に入ってたすべての容器の蓋を少しだけ緩めておいたんだ。
それから、緩めた状態でキャップと入れ物を繋ぐように小さく線を入れて――後から見た時、この一直線に引いた線がズレてたら、
少なくともそれは誰かがこれに触った証拠になるし、厨房にあった計りで重さも調べておいたから、
印に変化があれば重さを比べて、使われたかどうかをハッキリさせることだってできるでしょ?」
朋花の手から皿に戻されていた中華まんと美奈子の顔を交互に見て、プロデューサーが言う。
「美奈子……本当なのか? その、俺への差し入れにサプリメントを入れてたってのは」
彼の言葉に少女は黙ったまま、ただ小さく一度頷いた。プロデューサーの顔が、なんとも苦渋に満ちた表情になる。
「……なんでだ? どうしてお前は、俺のことを太らせようと――」
だが、その続きは桃子による「早合点しないでよ、お兄ちゃん!」という叱責の声にかき消された。
「まだ桃子の話は終わって無いの! だいたい美奈子さんがサプリメントなんて物を使うことに決めたのも、
お兄ちゃんの健康を心配してのことなんだよ?
さっきも言ったけど、美奈子さんは差し入れする料理のカロリーと栄養をキチンと考えてて……
心配しなくてもサプリメントは、栄養を補うための物だから、それ自体のカロリーはほんの僅かなの。
……少なくとも美奈子さんの差し入れを食べてただけじゃ、お兄ちゃんが太ることなんてなかったんだよ!」
そうして桃子が「カロリーと栄養の違いについても、桃子はちゃんと調べたんだから!」と鼻息も荒く言い放つ。
「じゃ、じゃあ桃子! プロデューサーが太ったホントの原因っていうのはまさか……」
怒れる桃子の発言に、律子はハッとしたような顔でその人物の方を見た。
すると桃子も、彼女の目線の先にいる人物を見て頷くと。
「そうだよ律子さん。お兄ちゃんが太った原因、そしてこの騒動のきっかけを生み出した人騒がせな犯人、それは――!」
次の瞬間、桃子は名探偵もかくやという勢いでピッと立てた人差し指をその人物目がけて突き出した。
「それは――自分自身だよ、お兄ちゃん!」
「……お、俺が……自分で体重を増やしただって……?」
桃子に指摘されたプロデューサーが、何を言われたのか分からないといった顔で聞き返す。
すると桃子は両腕を組み、呆れたようにため息をつくと。
「美奈子さんの差し入れはその見た目の量とボリュームから、一見すると太った直接の原因に思える物だったけど。
本当はしっかりカロリーと栄養が計算された差し入れは、
それだけじゃお兄ちゃんが一日に必要とする量の半分を満たすかどうかって物だったの。
これは冷蔵庫に貼ってあったカレンダーのメモを見て初めて気づけたことだけど、
それと一緒に、もう一つの真実を桃子に気づかせてくれたワケ」
「もう一つの真実?」
「ほら、前にお兄ちゃん言ってたでしょ?
『忙しくても食べる物は食べてる』とか『差し入れを貰った日は他の分の量を減らしてる』とか」
「あ、ああ……言った。そういえば、そんな話もしたっけな」
桃子に言われて、思い出したようにプロデューサーが頷いた。だが、桃子は大げさに首を振り
「それ! お兄ちゃんのその、どーでもいいところに気が利いたり、真面目にやってる性格が災いしたの。
……たった今言ったことだけど、美奈子さんの差し入れはそれだけでお兄ちゃんが一日に必要な食事の半分の量になるんだよ?
大げさに例えるなら一回の差し入れでご飯を二回は食べたことになるわけで……
そこに量は少なくしても後二回、お兄ちゃんがご飯を食べたらどうなると思う?」
「え、ええっと……朝飯食って、昼に美奈子の差し入れを食べて、それから夕食と日によっては徹夜作業で夜食もあって……」
「ほら! だいたい一日に三食どころか四食分! 場合によっては五食分の量を食べてることになるんだもの!
運がいいのか悪いのか、美奈子さんが考えてたよりもお兄ちゃんが一日で使うカロリーの量が多かったみたいだから
一気に太るなんてことはなかったけれど……それでも毎日ちょっとずつ、余分なカロリーが残って行った結果がそのお腹だよ!」
桃子が、鋭い視線でプロデューサーの腹を見た。彼の隣に立っていた律子も、困ったように頭を掻く。
「……つまり、プロデューサー殿が太ったのは自業自得。身から出た錆だったというワケですね」
「は、ははは……いやぁ、さっぱり気がつかなかったなぁ……」
苦笑いするプロデューサーを律子と二人で挟むようにして、こわーい笑顔を浮かべた朋花が言う。
「これは笑い事ではありませんよ~? 時にはアイドルたちに模範を示さなくてはならないプロデューサーともあろう人が、
自己管理すら満足もできないと分かった以上……」
それは一瞬の内の出来事だった。
朋花が何をしたと言うわけでもないと言うのに、部屋の外からどやどやと大勢の人間が雪崩れ込むように現れたのだ
――説明するまでも無いだろうが、それは彼女の忠実なる側近『天空騎士団』の皆さんだった。
呆気にとられる桃子の前で、朋花はニコリと微笑むと。
「肥満の原因がハッキリと分かったところで、早速解決に向けて動き出しましょう~。
……とりあえずは以前の体重に戻るよう、プロデューサーさんには私がダイエットのための運動をさせることにします。
勿論、騎士団の皆さんにも協力してもらってみっちりと……ふふっ」
「う、うん……お願いするね、朋花さん」
朋花の指示により、部屋の中からプロデューサーが屈強な男たちに担がれて出荷されていく
(目の前に広がった光景を、桃子はそう呼ぶのが相応しく思えた)のを見送ると、
後に残されたのは律子と桃子、そして美奈子の三人だけ。
「……あ、あのね、美奈子さん」
自分が話をしている間、一言も発さなかった美奈子に向かって桃子がおずおずと距離を詰めていく。
今、プロデューサーの体重増加、その謎を解いた小さな少女の胸の中には、自分を責める気持ちが一杯だった。
呼びかけに顔を上げた美奈子を正面から見据え、意を決したように桃子が言った。
「ご、ごめんなさいっ!」
そうして、深々と頭を下げる。
「も、桃子……お兄ちゃんが太ったって知った時から、美奈子さんのせいだと思い込んじゃって……
勝手に制限令なんて出してもらうし、悪者みたいに扱っちゃって……それで、それで……!」
そう、そうなのだ。桃子は厨房で事の真相に辿り着くまでの間、今回の件の原因を作ったのは、
美奈子のせいだと決めつけて行動していた。
そもそも調理場を探ったことすらも、彼女が何かしらの細工を差し入れに行っていると思い込んでの行動であったのだし、
そこに一抹の疑問すら持たなかったのだ。
だが、それは一人の少女を事務所から孤立させ、あたかもいじめのように彼女を追い込んだのではないか?
少なくとも、制限令が出されてからの期間、美奈子はどことなく元気が無いようだったことは、
彼女たちを監視していたお目付け役のアイドルたちも証言している。
……自分の身に置き換えて考えた時、桃子はことの重大さと、
良かれと思ってとった自分の行動の乱暴さに改めて気がつき、後悔した。
だが、単に制限令を終わらせただけでは意味がない。美奈子にかかった誤解を、律子たちの納得のいく形で解く必要があったのだ。
「……大丈夫だよ、桃子ちゃん」
下げた頭を、そう言ってふわりと撫でられる。涙で滲んだ顔を上げると、少し困ったように微笑む美奈子の顔がそこにはあった。
「私だって普段から、誤解されるようなことはしていたワケだし。
それに今回の制限令のお陰で分かったこともあるから、むしろ感謝したいぐらいだよ」
「感謝……?」
「うん! ……プロデューサーさんが私の料理を必要としてくれてるんだってこと、直接聞くことができたから……」
美奈子が、どこか遠い目をしてそう呟いた。
すると彼女たちのやり取りを聞いていた律子が「……だったら、美奈子にお願いしちゃおうかしら」と二人に言った。
「律子さん……お願いするって、何のこと?」
桃子の問いかけに、律子が答える。
「ん! 実はさっきの話を聞いてて浮かんだんことなんだけど、そもそもプロデューサーの侘しい食事を、
侘しくない食事にしちゃえば良いんじゃないかなって思ったの。
要は、誰かにあの人の食生活を、キッチリ管理して貰っちゃおうかしらって……ね!」
その言葉に、桃子と美奈子は思わず顔を見合わせた。
「それって、美奈子さんに今みたいな一食だけの差し入れをしてもらうんじゃなくて――」
「私が毎日プロデューサーさんの三食分の食事を、用意しても良いってことですか!?」
喰いつくような二人の反応に、律子が「どう? やってくれるかしら」と再度尋ねた。
「も、勿論です! やります! やらせてくださいっ!」
「よーっし、良い返事! ……なら、早速明日からお願いね。プロデューサーの体重と健康は、美奈子に任せたわよ」
美奈子がはち切れんばかりの笑顔を浮かべ、勢いよく桃子の両手を取った。
「これも桃子ちゃんのお陰だね! ありがとう!!」
「え、えぇ? 桃子は、何もしてないんだけどな……」
「ううん! そんなことない……うぅ~! 明日からと言わず今日からでも、
プロデューサーさんの食欲は、この佐竹美奈子が責任を持って満たしちゃいますよぉ~!!」
わっほーい! と、美奈子が歓喜の声を上げる。
桃子は幸せそうな彼女の姿に、安堵のため息をついたのだった。
あのプロデューサー食事制限令が取り消されてから、早くも一ヶ月の時がたった。
美奈子に食事当番を任せてからというもの、彼と美奈子の間には、毎日三食を美奈子の作った料理で過ごし、
増々彼女の料理の虜となったプロデューサーと、それに応えるよう美味しい食事を提供する美奈子との、
一種の共存関係のような物が築かれていた。
もちろん、食べ過ぎによるカロリー過多にならないよう、プロデューサーは定期的な運動も行っている。
それは麗花と行くハイキングと言う名の登山であったり、
朋花と騎士団の皆さんの協力によるダイエットプログラムであったり色々だ。
傍から見れば誰も損をしないうえ、日に日に覇気を取り戻し、健康的になっていくプロデューサーの姿に、
一時は彼のことを心配していた多くのアイドルたちもホッと安心したようだった。
――しかし、一つだけ気がかりなこともある。
ある日のお昼時。持参したお弁当を食べている律子のところに、紙袋を持った千鶴がやって来てこう言った。
「わたくし、コロッケの差し入れを持って来ましたの……お一ついかが?」
渡されたお肉たっぷりのコロッケを一口齧り、律子はその美味しさに頬を緩める。
「千鶴さんの差し入れてくれるコロッケは絶品ですよね。温かくても冷めてても、油断したらついつい手が伸びちゃいそうで」
そんな律子の反応を見て、千鶴がホッとしたように微笑んだ。
「……律子がそう言ってくれるということは、コロッケの味が落ちたと言うワケでもないようですわね」
「味が落ちた……? 何か、変わったんですかこのコロッケ」
不思議そうに聞き返す律子に、千鶴が言う。
「いいえ、ちっとも! ただ、先ほどコレを食べたプロデューサーは……」
千鶴が、彼女にしては珍しく渋い顔になって
「『味、変わりました?』なんて、以前なら律子と同じように、
一つと言わず二つ三つと美味しそうに食べていましたのに。今日は一つお食べになっただけでもういいと」
「……そんなことが」
「それに、わたくしだけではありませんのよ。近頃では他の子の差し入れにも興味を示さず、
貴音の話では以前は週に三度は通っていた常連のラーメン屋台にも、姿を見せないことが多くなったとか……」
「でも、美奈子が作る食事には夢中ですよ?
今朝だって、仮眠室から出て来たと思ったらわざわざ厨房の方に自分から出向いて行って――」
そこまで言って、律子はふと言葉を止めた。……何かが、おかしくはないだろうか?
その何かが、一体なんだというのかについてまでは分からないものの……妙な違和感が、浮かんでは消え浮かんでは消え。
「あの方の舌には、美奈子の料理の方が合っているのかしら?」
千鶴にとってしてみれば、その一言は何気ない一言だったのだろう。
だがその言葉を聞いた途端、律子は末恐ろしい想像をしてしまった。
そもそも桃子からの説明を聞く限り、事の発端は麗花であった。
いつものように彼女がプロデューサーに抱き着いたことにより発覚した彼の体重増加。
それは本人や、まして周囲の人間には殆ど気づかれない程度の微々たる変化。
それをただ抱き着いただけで瞬時に察した麗花の勘というヤツも、
常人離れしているどころの話では無いが――今はいい。それよりも妙なのは、だ。
「……ちょっといいですか、千鶴さん」
「あら、何ですの?」
「いきなり変なことを聞くんですけど、ダイエットの基本に、カロリーコントロールってあるじゃないですか。
……あれって普通は、一日に必要なカロリーを計算してから食事のメニューを考えるものですよね?」
突然のダイエットの話題に、千鶴がポカンとした顔で「……体重でも増えましたの?」と聞き返す。
だが、律子が「違いますよ」と首を振ると
「まぁ、普通はそういう順番ですわね。でないと、一食分のカロリー計算だって立てられませんもの」
「なら、一日に必要な量を確認した時点で、その日に食べられる食事の量やメニューはある程度絞られる……」
律子の脳裏に、あの日の桃子の言葉が蘇る。
『美奈子さんが差し入れする料理のカロリーをキチンと計算してるのも分かったよ』
だが、それはおかしな話じゃないか。
他にも桃子は言っていた、彼女は栄養とカロリーのバランスも考えて、プロデューサーの健康には人一倍気を遣っていたと。
桃子の推理では、プロデューサーの体重が増えたのは彼自身の過失によってであると説明された。
あの話を聞いた時は、なるほどそうかと思いもしたが……そこまで気を遣うことのできる少女が、
果たして自分の差し入れる分以外の食事によって加算されるカロリーのことを、ないがしろなどするものだろうか?
二言三言、『差し入れの分、食事を抜いてくださいね』などと伝えることすらせずに――。
「……そういえば千鶴さんは、桃子と一緒に美奈子の厨房を調べてましたよね」
「あら、ご存知ですの? 確かに桃子ちゃんにお願いされて、二人で冷蔵庫の中を見て回ったりしましたわ」
「その時、何か妙だなと思ったことはありませんでした?」
真剣な顔で言う律子の様子に、千鶴も只ならぬことだと気づいたのだろう。
当時の記憶を思い出そうとするように、千鶴は顎に手を当ててしばし考えると
「……そういえば、冷蔵庫の中にサプリメントの入った容器が見つかった時、わたくし少々気になったことが」
「違和感ですか?」
「え、えぇ……もやしの袋の奥に、まるで見つけてくれと言わんばかりにわざとらしく隠されていて……」
瞬間、律子は己の立てた仮説が徐々に現実味を帯びて行くのを感じ、戦慄にその肩を震わせた。
この仮説が正しければ、事のきっかけ事態はなんでもよかった。ただ必要なのは、『プロデューサーが太った』という事実。
今回は麗花が気づいたが、本来ならばそれは、もっと後になってから発覚することだったのかもしれない……
それこそ、見た目に大きな変化が表れ出してから。
彼が太れば、事務所の人間はその原因を解明しようとするだろう。現に桃子がそうだった。
彼女は一番疑いがある美奈子を犯人として、彼女の料理にプロデューサーを太らせた『何か』があると躍起になって証拠を探した。
その間、制限令を出してプロデューサーには『美奈子断ち』をさせたが、それが結果どうなった?
そう、朋花と天空騎士団が現場を押さえたフードコートでの密会だ。
朋花の話によれば、あの時既にプロデューサーは、彼女の料理にどっぷりと魅了されていたそうではないか!!
そもそも美奈子という少女は、普段からよく事務所で料理を振る舞う少女であった。
なのに、制限令の間は誰にも……誰にも食事を出していない!
おかしいじゃあないか! 律子は険しい顔で目の前にある自分のお昼を睨みつける。
あの子はプロデューサー以外の人間にだって、言ってみれば自分にだって差し入れと称して手料理を持って来ていた。
それが制限令が出ている間は、一切そういった類の行動を取らなかったのだ。
制限令なんてものを出したせいで嫌われたからとも考えられたが、本来はそんな生ぬるい理由では無いのではないか?
桃子が見つけたサプリメントとカロリーの計算表。
彼女の話では制限令が出ている間、美奈子が差し入れを作らなくなった機会を狙って厨房に探りを入れたと言っていたが
……それすらも、仕組まれていたことならば?
まるで見つけてくれと言わんばかりに置かれたサプリメントを発見し、桃子は嬉々としてそれが証拠だと考えた。
しかし同時に、彼女はカロリーの計算表も発見し……美奈子の行動は、
プロデューサーに対する善意で行われていたものだったとも知ったのだ。いや、そう思い込まされたのだ!
大人びてはいるが彼女もまだ小学生。思い込みやすいし、間違いやすい子供じゃないか!
不健康な食生活によって『勝手に』太るプロデューサー。
その原因を調べて行く過程において、実は健康に気を遣って作られていたと判明する美奈子の料理。
一体誰がこの状況で、彼女に疑いをかけようか? むしろそんな彼女であるからこそ、
彼の不摂生を正すのに手を貸してくれと――あぁ! そんな話を出したのは誰だ? 他でもない私だ。私自身だ!
今回桃子は、真犯人を弁護するための『名探偵役』にまんまと仕立て上げられたのではないか?
……誰あろう、佐竹美奈子の手によって!
……だが、その証拠は何もない。全ては単に、律子一人の想像だ。
とはいえ、彼女の目論見は達成され始めているのではないだろうか?
その予兆とも言える変化……プロデューサーの嗜好の変化は、既に表れ始めている。
一食だけの差し入れの時でさえ、彼は他のアイドルからの差し入れや食事の誘いを
――いわば、アイドルたちとのコミュニケーションをとる機会を――美奈子の料理を理由に度々断っていたのだ。
それでも何とか時間や腹の余裕を見つけ、彼女たちと過ごしていたプロデューサーだが……
食の好みすら変わってしまったなら、そんな機会はこれまで以上に減るだろう。
それがアイドルとのコミュニケーション不全や事務所内における扱いの格差、
そこから始まる嫉妬や内部分裂に繋がって行かないと誰が言い切れる?
そんなことになった時ですら、彼の隣に寄り添っているのはもちろん……
胃袋を掴めとはよく言ったものだと、律子が静かに自嘲する。
「……プロデューサーが本当に太ったのは体じゃないわ」
自分は、早まったことをしたかもしれない。思わず、律子の口から呟きが漏れた。
「味覚のダイエット法なんて……知らないわよ……」
以上でおしまいです。いやほんと、千鶴さんと朋花の口調が難しいのなんのって。
本来は天空騎士団の登場後、謎の増肉食材が使われていた肉まん(お手てサイズの下りはほぼ一緒)を
Pと一緒に食べちゃった可奈の胸が大きくなって、それを見た千早と真壁が同じ物を食べようと佐竹飯店に突撃。
胸だけじゃなくお腹にまで肉がつき、ライブまでに麗花主導による地獄のダイエットを行うというオチだったのですが、
気づけばエセサスペンス風な妙な展開に……。
読みづらい文章だったとは思いますが、多少なりとも楽しんで頂けたなら幸いです。
それではここまで長々とお読みいただき、ありがとうございました。
カロリーこわい……
全ては彼女の陰謀か…
乙です
乙
乙カロリー
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