※ このssにはオリジナル設定やキャラ崩壊が含まれます。
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くらくらと目の前を、紫煙の煙が揺れていた。
紫煙とは煙草の先より立ち上る煙のことであり、「紫煙の煙」と続けると、それは重言となるのだが、
この場合に大切なのはそんな些細な誤りではなく、口に出したときのリズム感なのである。
「手、止まってますよ」
そんな僕を見て、ソファーに座る春香が言う。
その顔は手元の雑誌に落とされており、いかにも自分は興味は無いが、
私が言わないわけにもいくまいといった様子が見て取れた。
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僕はもごもごと口を動かして、「あぁ、うん」と答えると、手元の書類に視線を戻す。
壁掛け時計の針の音と、時折春香が雑誌をめくるぱらぱらという音だけが部屋の中に響く。
手元の書類は、白紙のまま。ただ真っ白な紙が、でんとその存在を主張していた。
「今、何時だい」
「さぁ、何時でしょう」
「腹、空かないか」
「空いてません」
「そうか」
「はい」
そうして二人、のたりくたりとただ時間を過ごすのだ。のたくたのたくた、のたくたのたくた。
「よしっと」
ぱたんとわざとらしい音をたて、春香が読んでいた雑誌を閉じる。僕も咥えていた煙草を灰皿に押しつける。
二人の視線が同時に合う。いくばくかの沈黙、二人の間に物言わぬ会話がとりおこなわれ、
そこからめくるめくアバンチュールが「そんな物は始まりません」
一蹴されて、僕は再び書類に視線を戻す。あぁちくしょう。やはり白紙は白紙のままだ。
ここの事務所は二人きり。のたりくたりと、針の無い時計が鳴っていた。
のたくたのたくた、時計の針は進む。
だが、針の無い時計の針がいくら進もうと、流れた時間は計れないのだ。
長針も短針も、そして末っ子の秒針も、僕が気づいた時には消えていた。
急いで春香にたずねてみたが、「散歩にでも出かけたんじゃないですか」と軽くあしらわれた。
行方は、知れない。
24時間365日、休みなく働く彼らのことだ。
過酷な労働環境に耐えかねて、ストライキでも起こしたのかもしれない。
「一声かけてくれれば、僕も一緒に行けたのに」
「どこに行こうっていうんです」
「どこって、そうだなぁ……ここじゃない、どこかかなぁ」
「どこにも行けませんよ。それは散々、試したじゃないですか」
ソファーから立ち上がった春香が、備えつけの給湯室へと消えていく。
そう、彼女の言うとおり、僕らは事務所を出る事ができなかった。
ここの窓には、鍵がない。閉めっぱなしにしたままで、開くための取っ手が消えていた。
外へ出るための扉についていた、ドアノブも同様だ。
「ならば、ぶち破ってみてはどうだろう」と思い立ち、すぐさま実行に移してみたが、
いくら体をぶつけても、硬いもので叩いてみても、彼らはびくともしなかった。
どいつもこいつも姿をくらまして。
どうやら事務所の中ではストライキが流行っているようだった。
不思議な話だが、世の中は不思議で作られている。
不思議で作られているのだから、不思議な事が起きたとしても、それはなんら不思議ではない。
結局のところ、僕らはのたくたと時間を過ごすところに落ち着いた。
「良いもの、見つけちゃいました」
テレビのリモコン。逃亡常習犯の彼にしては珍しく、今回は逃げ遅れたのだろう。
給湯室から戻って来た春香が、手に持ったソレを僕に見せる。
「これで時間が潰せますね」
春香が、冷めた瞳で言い放つ。僕はわくわくしながらリモコンを受け取ると、
ソファーの隣、台の上に乗せられたテレビの前へと向かう。
ここの事務所は二人きり。今日はテレビも逃げていた。
雪が積もって真っ白になった景色の事を、一面の銀世界と言うならば、
視界を埋めるこの真っ白な書類の事も、一面の銀世界と言えるのではないだろうか。
ならばその積雪に足あとを残すかのごとく、鉛筆で線を書き込んでいく僕は、雪の上を歩いていることになるのだろうか?
「手、止まってますよ」
気だるそうにソファーに寝転んだ春香が、背中を向けて僕に言う。
僕は彼女の背中に目玉がついていない事を確認すると、持っていた筆記具を走らせる。
それはまるでソリのように積雪の上を走りぬけ、色のない足跡を残していった。
書いても書いても、色はつかない。
そうだ、だからこの書類は真っ白なままなのだ。
無意味な事をやっている。
気づいた僕は手を止めて、ただただじっと紙の上に目を凝らす。
そうしているといつの間にか、僕は一面の雪景色の中に立っているのだ。
地平は遠く、まっ平らな大地が、彼方まで続いている。
僕はどこからともなく取り出したスコップを使い、そこに雪だるまをこしらえてみた。
ひとつ、ふたつ。
だがどれものっぺらぼうで、ただ何も言わずそこにたたずむだけである。
みっつ、よっつ。
寒さも忘れて、僕は延々と雪だるまを作り続ける。
十二個目の雪だるまが完成したところで、持っていたスコップの柄が折れた。
困ったぞ、これでは後一つが作れない。
「どうしました?」
「あぁ、スコップの柄が折れてしまってね」
「それは、困りましたね」
「うん。とても困っている」
「手」
「手?」
「手で、すくえば良いじゃないですか。手でも雪だるまは作れます」
「その通りだ。これはまったく、盲点だった」
「だから手」
「そうだ手」
「手、止まってますよ」
振り向くと、春香がそこに立っていた。
そしてここは事務所であり、雪の積もる銀世界では決してない。
そうするともちろん、雪だるまも存在しない。
僕のかじかんだ掌は、真っ白な書類の上に置かれたまま、雪解けの時を待っている。
ここの事務所は二人きり。すくいあげた書類の下、見慣れた蝶々がそこにいた。
「春香」
僕は書類に隠されていた、蝶々のようなリボンを彼女に手渡す。
「あぁ、そこにいたんですか」
彼女がその髪の上に蝶々を乗せると、ふっと春の匂いがして、辺りが少し、明るくなった気がした。
のたくたと鳴っていた時計が、またかちこちと音を立て始める。
「今、何時だい」
「ちょうど、お昼です」
「腹、空かないか」
「そうですね、ぺこぺこです」
「飯でも食べに行こうか」
「はい」
ストライキを起こしていた連中も、どうやら無事に帰ってきたようだった。
僕はドアノブに手をかけると、二人で事務所を後にする。
帰ったら、白紙の書類の言い訳を考えなくちゃあならないな。
そんな事を考えながら、僕らは町へと繰り出していった。
以上。
お読みいただき、ありがとうございました。
乙
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