・非一人称
・雪歩誕生日おめでとう
・ただしイチャイチャはしない
よろしければお付き合いください
「お疲れ、雪歩」
そう言うと、男は助手席のドアを開けた。
振り返った先には一人の少女が佇んでいる。
「あ、ありがとうございますぅ」
雪歩と呼ばれた少女は、少し上目遣いに答えた。
儚げな雰囲気を漂わせた少女、萩原雪歩は遠慮がちに車に乗り込んでいく。
男はプロデューサーであり、彼女はその担当アイドルだった。
「どうだった?」
プロデューサーが隣に座る雪歩へと問いかける。
飾りの一つもない言葉。
それだけに、二人が気兼ねのない関係を築いていることがうかがえる。
「うぅ、やっぱりまだトーク番組は慣れません……」
落ち込み気味の声音で話す雪歩。
その回答は、プロデューサーにとっては予想されたもののようだった。
「そうか? 雪歩らしさが出てて、俺はよかったと思うけどな」
雪歩は異性が苦手である。
それなのになぜアイドルになったのかというと、弱い自分を変えたいから、という理由からだった。
そんな想いだけで一歩を踏み出せるのだから、芯の部分に秘めた強さは相当のものだろう。
プロデューサーはそう思う。
「……そ、そうでしょうか」
「番組の制作側からも、おおむね好評だったぞ」
異性が苦手で、引っ込み思案で、自信がなくて……
アイドルとしての格好がつくまで、障害は少なくはなかった。
けれど、雪歩は持ち前の芯の強さで、プロデューサーは彼女を信じることで、一つずつ乗り越えてきた。
本来後部座席にいるべきアイドルが助手席に収まっているのも、その努力の一環である。
少しでも異性に慣れるために。
そう言って助手席に乗ることを提案したのは雪歩だった。
そしてプロデューサーは、そんな雪歩の想いを尊重した。
「ほ、本当ですか?」
絶対に無理はしないこと。
そう約束して始まったこの特訓は、今となってはただの習慣になってしまっている。
車中の雪歩を見て、異性が苦手だなどと考える者はそういないだろう。
「こんなことで嘘を言ってどうするよ」
「で、でも、私、失敗もしちゃったし……」
とはいえ、異性への苦手意識が完全に払拭されたわけではなく。
プロデューサーをはじめとした、よく知る異性以外には今も緊張してしまう。
雪歩の言う失敗も、ここから来ていた。
「後半はかなりスムーズに行けてたんだ、気にする必要はないよ」
全体を通して見れば、最初は緊張していたんだな、程度のものである。
むしろ、短い時間の中で自分を適応させることができるようになったことの方が重要ではないか。
それは確かな成長の証なのだから。
「プロデューサーの言うことも分かるんですけど……」
けれど、雪歩はそう考えることができなかった。
それは彼女の性格がそうさせることなのかもしれない。
おそらく雪歩の中には、自分の理想とする姿があるのだろう。
理想とのギャップの中、『そうできない自分』をもどかしく感じている。
プロデューサーの目にはそう映っていた。
だからこそ、無理強いも否定もしない。
背中を支えて、後押しができるような存在になる。
それがプロデューサーの決意だった。
「少しずつでも前に進んでる自分を認めてやらないと。現に俺とはこうやって普通に話せるようになったんだし」
「それは、プロデューサーだからで……」
もごもごと口の中でつぶやいたその言葉は、プロデューサーに届く前に消えてしまった。
「初対面の人だって、今日みたいに頑張れるようになったんだ。凄いことだよ」
異性というだけで逃げ腰になっていた頃に比べ、見違えるような思いがする。
たとえ今が理想に届かなくとも、確実に成長していることは感じて欲しい。
それが次の一歩につながると、そうプロデューサーは信じている。
「それに、犬の方も少しずつ成果が出てるらしいじゃないか」
この数ヶ月、雪歩は苦手な犬を克服するべく特訓している。
その甲斐あってか、事務所仲間の飼い犬を触れるようにはなったらしい。
「それは、いぬ美ちゃんだけのことで……それも、吠えられたり急に向かってこられると………」
雪歩にとって、『そうできない自分』の存在はやはり大きいらしい。
だが、プロデューサーが伝えたいのは成果の有無だけの話ではなく。
「俺は、そうやって苦手に正面から向き合って何とかしようとする雪歩の強さを、すごいと思ってる」
「そ、そんな。私なんてダメダメで……」
「俺は、そんな雪歩を尊敬してるんだ」
「ふえっ!?」
思わず隣に目を向けると、軽い口調とは裏腹の真面目な顔があった。
その視線に気づいたプロデューサーは、何か含んだような表情を浮かべる。
「雪歩が自信を持てない分、俺が褒めるから」
プロデューサーの口角が持ち上がる。
雪歩の反応が楽しみで仕方ない、といった表情だった。
「そ、それはちょっと恥ずかしいですぅ」
「じゃあ、少しは自信を持たないとな」
冗談めかして言ってはいるが、本気なのだろう。
それだけは雪歩にもわかった。
「い、意地悪ですぅ」
自信なんて、持てと言われて持てるものではない。
それはプロデューサーも重々承知している。
ただ、ほんの些細なことでもいい、きっかけにさえなれば。
そんなことを考えながら笑みを浮かべる。
「……ふふ」
そんな顔を見ていると、いつの間にか雪歩も笑っていた。
年上の、それも異性から『尊敬している』などと言われたのは、雪歩にとっては初めての経験だった。
嘘や冗談でないことは表情からわかる。
それが読み取れるくらいには、二人の信頼関係は強くなっていた。
「お、どうした?」
小さくこぼれた笑いは、それでもプロデューサーに届いたらしい。
「ちょっとだけ、自信を持ってもいいような気がしてきました」
驚きと恥ずかしさが去った後、雪歩が感じたのは暖かな喜びだった。
春先に担当になってから、プロデューサーは辛抱強く付き合ってくれた。
いつからか、年の離れた兄に対するような想いを抱くようになっていた。
そんな人が『尊敬している』と言ってくれている。
それを信じなければ、これまでの全てが嘘になってしまうような気がしたのだ。
「ちょっとでいいんだよ。それが次の一歩につながるんだ」
プロデューサーは嬉しさを隠そうとしない。
純粋に、雪歩が前向きになってきていることを喜んでいる。
「はい、頑張りますぅ」
なぜ雪歩がその答えに至ったのか。
それはしばらく胸の内にしまっておくことにした。
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「到着、っと」
車が止まったのは、何の変哲もない雑居ビルの前。
『765』とテープが貼られた窓からは灯りが漏れている。
今日、事務所ではクリスマスパーティが開かれていた。
「ちょっと遅れちゃいましたね」
雪歩が到着すれば、全員集合となるはずだ。
全員で集まるために奔走した、当のプロデューサーに複雑な笑みが浮かぶ。
今日という日にスケジュール調整が出来てしまったという現実への苦笑。
どうしても今日集まりたいという、みんなの想いを誇るような微笑。
一方の雪歩は、そんなみんなの想いに気付いているのかどうか。
いそいそと降りる準備をする姿からは、今日の主役としての自覚はうかがえなかった。
「雪歩、後ろの袋取ってくれないか」
それだけを言い、プロデューサーはトランクへと向かっていった。
振り返ると、そこには一抱えほどもある袋が鎮座している。
綺麗にラッピングされた袋は、見た目ほど重くはなかった。
パーティのプレゼント交換用だろう。
一人納得して車を降りた雪歩の前に、プロデューサーが立っている。
プロデューサーは笑顔だった。
心底楽しそうな、何かを隠しているような、悪戯っぽい笑顔。
「誕生日おめでとう、雪歩」
「…………ふぇっ!?」
ぽかんと口を開けたまま固まる。
言葉の意味を理解するのに、少しばかり時間が必要だった。
もちろん自分の誕生日を忘れていたわけではない。
ただ、一日一緒に行動していて、プロデューサーにそんな素振りは全くなかった。
だからもう諦めかけていたのに。
「開けてみてくれ」
ようやく頭が動き始めた雪歩に、プロデューサーの声が届く。
言われるままに手を動かし、袋を開ける。
「ひゃうっ!?」
……さっきから変な声しか出していないなぁ
頭の片隅でそんな冷静は声が響く。
実際には、驚きでプレゼントを落とさないようにするので精一杯だった。
「まだ犬が苦手みたいだからさ、ぬいぐるみで慣れるのもいいかなって思ったんだが」
そんな声をかけられても、雪歩はいまだに固まったまま。
その目だけが、キョロキョロと落ち着きなく動いている。
「……気に入らなかった?」
そんな雪歩を見て、プロデューサーが遠慮がちに問いかける。
腕の中のぬいぐるみと、プロデューサーの顔と。
何度か目で往復するうちに、雪歩に正常な思考が戻ってきた。
「い、いえ、とっても嬉しいです」
そう、嬉しい。
それについては間違いない。
ただ、どこか裏切られたような、失望したような気持ちが混ざっているだけで。
その、ほんの少しの異物のせいで雪歩の胸は騒いでいた。
「そうか、良かった……」
そんな雪歩の内心には気付かず、プロデューサーは嬉しそうな、安心したような表情になる。
雪歩自身、なんでそんな異物が混ざっているのか見当がつかない。
それをプロデューサーに気付けというのも、酷な話だろう。
「女の子へのプレゼントなんて、どうすればいいのかよくわからくてな」
『女の子』
その単語に、またしても雪歩の胸がざわめく。
このプレゼントは、アイドル萩原雪歩へのものなのか。
それとも、萩原雪歩という個人へのものなのか。
プロデューサーとしてのプレゼントだったから、異物が混ざったのだろうか。
プライベートでのプレゼントを期待していたということなのだろうか。
今まで考えもしなかった様々なことが心に浮かんでくる。
「えへへ、ありがとうございます。大切にしますね」
今抱いている感情が身近な人への親愛の情なのか。
それ以上を望む感情なのか。
形も定まらず、正体も判然としない想い。
「あらためて、これからもよろしくお願いします、プロデューサー」
だから雪歩はすべてをそのまま受け入れることにした。
きっといつか、分かる日が来ると信じて。
だからそれまでは、助手席に乗り続けよう。
<了>
久々に地の文書きました
おかしなことになっていなければいいのですが……
短い内容でしたが、お付き合いいただきましてありがとうございました
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