「一つ、確認しておきます。あなたはエッチなのですか?」
問われ、男は言葉を失った。
今、目の前に立つ見目麗しい少女はその澄んだ瞳を真っ直ぐに向け、彼の返事を待っている。
だがしかし、ここは何と答えることが正解なのか?
「はい」か「いいえ」か、単純な二択のハズなのに、
男にはそのどちらを選んだ場合でも、来るべき未来は同じ物に思えてならなかった。
そしてまた、その予感と予想は至極正しい。
どちらを選んでもバッドコミュ。
彼にはとても気の毒だが、この質問に正解など、
最初(ハナ)から用意されていない。
「……プロデューサー?」
故に、男が選んだのは「沈黙」……
その整った眉を訝し気にしかめる少女に対し、
彼は無言の回答でこの場を乗り切ろうとした。
だが、少女はそれで納得しない。
頭に被っていた麦わら帽子のつばを上げ、
先ほどよりも強い口調で問いかける。
「プロデューサー? 声は届いておられましょう」
その言葉遣いは丁寧だが、彼女の視線は返答無きならササニシキ。
いや、返答次第ではあなたを指すのもやぶさかでないと、
そのような鋭く厳しい視線であった。
誰だってさされるのは嫌である。
刃物だろうと、トドメだろうと、少女の場合は人差し指だが、
あまつさえ呉服屋の娘が人様を指でさすなんて!
それも人差し指で遠慮なく、躊躇もせずに指すだなんて!
それは少々行儀が悪いんじゃあないか?
などと些末な疑問を抱くのは、軽い現実逃避の表れである。
(だが俺は、これでも彼女のプロデューサー。
アイドルの抱える悩みとは、真っ向から勝負しなくっちゃあ!)
早くも白旗上げて敵前逃亡。
折れかけていた自分自身の心を焚きつけ、男が無言で肯いた。
古来より伝わる由緒正しいジェスチャーは、
「話を聞いている」という意思表示。
ああしかし! 少女はそうは取らなかった。
自身を見下ろす男の態度に、無言で応える彼の態度に、少女は驕りと不遜を見た。
「……なるほど。私の声は届いていると」
一回、男が小さく頷いた。
「であれば、先ほどの私の質問も、当然聞いておられますね?」
二回、男が強く頷いた。
「なのに、プロデューサーのその反応――」
少女がお腹の辺りで両手を組み、考え込むように押し黙る。
その美しく上品な佇まいは彼女の流れるような白髪と相まって、
まるで名探偵のミス・マープル……っと失礼。
少女、白石紬はまだ十七。老婦と呼ぶにはあまりに若い。
今、二人の間にはしばしの静寂。
審判を待つ男の喉がごくりと鳴り、紬が残念そうにかぶりを振ってこう言った。
「それはつまり……口もききたくない程に、私を嫌っていると言う事実」
これには男も苦笑い。「えっ?」と間抜けに訊き返す、
彼の胸をピンと伸ばした人差し指でさし示すと、紬はその眉を吊り上げて捲し立てる。
「ならば面と向かって『嫌いだ』と、キッパリ言ってしまえばどうですか!
それもせず、普段はニコニコと作り笑いでたばかって……。
そんなあなたに声かける私を、内心嘲笑っては面白おかしく見ていたのでしょう?
バカな小娘だと私のことを、見下げていたのでないですかっ!?」
ざわざわと、通行人の視線がこの奇妙な二人連れに――もちろん、ここで言う二人連れとはただの二人組のことであり、
恋だの愛だの、そう言った類の組み合わせで無いことだけは明言したい――注がれる。
ここに、他の劇場メンバーが居なかった事実を私は神に感謝しよう。
なぜならば今この二人は、どこからどう見ても痴話喧嘩をしている恋人同士。
例えるならば大学生と高校生の、
歳の差カップルとしか捉えられなかったためである。
「待て待て待て! 別に俺はそんなこと――」
「それも分からんとあんな質問……。これでは私は笑い者、とんだ道化です!」
「だから一旦落ち着くんだ紬! 悩みがあるならちゃんと聞くから!」
「っ! またあなたはそうやって、すぐに人を気遣うフリをする!」
「フリだなんて! 俺はいつでも紬に本気だぞっ!?」
「嘘っ! 離してください! 離して――!!」
踵を返し、その場から走り去ろうとした紬の腕を男が掴んだ。
その繋がりを振りほどこうと、彼女も必死に身をよじる。
だがしかし、華奢な体躯の少女が大人の男に勝てるものか。
腕だけでなく肩も掴まれ、くるりと体の向きを変えられる紬。
男は少女の顎を掴み、背けた顔を強引に自分の方へと向き直させると。
「俺はエッチな男だよ! って言うか、男はみんなスケベなんだっ!!」
それは腹の底から放たれた、飾らない真実の叫びだった。
彼の言葉は周囲にいた男性諸氏の胸も打ち、
(そうだお嬢ちゃん。残念ながらそれが男って生き物さ!)などと謎の団結を可能にするほどの真理である。
「正直紬みたいな可愛い子見て、欲じょ(ピー)しない奴なんているもんか!」
「か、可愛いなんてうち、そんな……」
鬼気迫る表情で自分を見下ろす男から、
思わぬ告白を受けた紬が真っ赤になった顔を伏せ……られないので目を逸らす。
さらには今まで一度も見たことの無い本気の『男』を目の当たりにして、
少女は肩を強張らせると、無意識のうちに叫んでいた。
「誰かっ! 来て! 誰かああぁぁーーっ!!!」
……時は白昼、ここは天下の大通り。
いたいけな少女がそんな叫びをあげたなら、
事情はともかく狼藉者などあっという間に取り押さえられる往来だ。
案の定、数秒もせぬうちに男は紬から引き剥がされ、地面に倒され、殴られ蹴られ、
ありとあらゆる制裁をもってしてその活動を沈黙させられることになるのだが……。
素直に彼の自業自得だと、一旦締めにくいのは気のせいか?
「ならば面と向かって『嫌いだ』と、キッパリ言ってしまえばどうですか!
それもせず、普段はニコニコと作り笑いでたばかって……。
そんなあなたに声かける私を、内心嘲笑っては面白おかしく見ていたのでしょう?
バカな小娘だと私のことを、見下げていたのでないですかっ!?」
ざわざわと、通行人の視線がこの奇妙な二人連れに――もちろん、ここで言う二人連れとはただの二人組のことであり、
恋だの愛だの、そう言った類の組み合わせで無いことだけは、彼らの尊厳の為に明記したい――注がれる。
それでもここに、他の劇場メンバーが居なかった事実を私は神に感謝しよう。
なぜなら事情を知らぬ者から見ればこの二人は、
どこからどう見ても痴話喧嘩をしている恋人同士。
例えるならば大学生と高校生の、
歳の差カップルにしか捉えられなかったためである。
白石紬(17) Fa
http://i.imgur.com/sasipRR.png
http://i.imgur.com/mWVrTMQ.jpg
安直な話だと思われてしまうかもしれないが、女の子とは基本的に、
ほんの些細な言葉に傷ついても、次の瞬間には甘い物食べて幸せよ……そういうものだ、そのハズなのだ。
少なくとも、男の周りにいる少女たちの大半はそうであった。
だがそれは、決して彼女たちの思考回路が単純に出来ているからと言うワケではなく、
「それはそれ、これはこれ」のしたたかな精神から来る割り切りの良さに由来する。
さて、白昼堂々路上で起きた、捕り物騒動からしばらく。
瞬時に敵と化した通行人、束の間の心の友たちの誤解をなんとか解いたプロデューサーは、
有無を言わせず紬を連れて、近くの甘味処へと駆け込んだ。
流石は街の大通り。
ちょっと首を左右に振れば、そう言った類の店は
道路のあっち側にもこっち側にも沢山並んでいたのである。
内装が和風で統一された中々に風情を感じる店内にて。
テーブルに座る男の前には水の入ったグラスが置かれ、
紬の前にはクリームあんみつ。
そして同席する四条貴音の御前に今、
店員が特盛のかき氷を持ってやって来た。
「お待たせしました。ラムネ色かき氷、チョコミントアイス添えです」
「これはこれは、とても絢爛豪華な一品で」
大正時代を彷彿させる、袴姿の店員から
山盛りのかき氷を受け取った貴音が、ペコリと丁寧にお辞儀する。
礼で始まり礼で終わる。
それが四条貴音の"みーるうぇい"、
この食の道の先に待つのは果たして地獄か天国か……。
「それにしても、貴音が通りがかってくれて助かったよ」
ちびりちびりと水を飲み、男がホッとしたように話し出す。
「あのまま俺一人だけだったらさ、今でも地面の上だったろうし。もしくは、お縄について交番か」
「真、運が良くありました。少々距離が離れていても、かような騒ぎは目につく故」
「ホント、貴音には感謝してるよ。あの人たちの誤解を解いてくれてありがとな」
そう、そうなのだ。そのお詫びとしてのかき氷なのだ。
だがしかし、通行人の誤解は解けたとて、頑なな紬の心は溶けぬまま。
男が良かれと頼んだクリームあんみつにも手をつけず、
彼女はジッとテーブルに視線を落としたきりである。
まさか、木目を数える趣味もあるまい。
二人だけならば確実に気まずくなっていたこの空気、
貴音がこの場に居ることが、男にとってどれほど救いになったことか!
「紬は、ほら……貴音みたいに食べないのか?」
とはいえ男よ、無茶苦茶を口にするものでない。
ココだけの話、貴音のかき氷は二杯目なのだ。
さらにはその二杯目も既に、付け合わせ(?)の
チョコミントアイスを残すだけになっていた。
真、侮りがたし食欲である。
「……白石紬? プロデューサーが尋ねております」
すぅっと鼻に抜けるミントの香りを楽しみながら、貴音がさりげなく言葉を添えた。
紬の視線が僅かに揺らぐ。
自らの態度に非があったと、感じるからこその少女が示す頑ななのだ。
十七歳、半端な年頃。
大人になりかけているからこそ果たそうとする"責任"と、
まだ子供でいたい心が求める"無責任"。
それは定めか偶然か悪戯か? 運命的な出会いを果たしたアイドルと言う仕事に対し、
紬は年不相応なほどに大きな責任感を負っていた。
そんな大切な仕事のパートナーと呼べる男に向けて、
紬が生真面目すぎるほどに生真面目に、
時には思い込んだらデコでも、否、テコでも動かぬ姿勢を見せてしまうのは、
彼女生来の頑固さと、商家の娘として育てられたことによる、
"仕事"に対しての実直さの表れだったと言えるだろう。
だからこそ、彼女は今の状況に戸惑っている。
無論顔には出さないが、実のところ内心ドキドキし過ぎて落ち着かない。
もちろん恋だの鯉でもない気持ち。
説明するならばこれはそう、紬がまだまだ幼かった頃に起きた話とそっくり同じ状況だった。
一旦乙です
>>19
四条貴音(18) Vo/Fa
http://i.imgur.com/0EOh8CV.png
http://i.imgur.com/uTIalR2.jpg
それは忘れられない大失敗。
誰もが秘める憧れと、ほんの僅かな好奇心が引き起こしてしまった一大事。
好奇心が猫を転がすその傍で、幼い紬は人形遊びに興じるような、
ごく普通の可愛らしい少女だったとは彼女の母親談である。
そしてまた、世の幼女たちが嗜むように。
あえて一人名を上げるなら、あの如月千早も幼少期にはそうであったように。
紬もアイドルの真似事を家族の前で披露する、
やたらめったら愛らしい少女であったとは彼女の父親談である。
そんな紬がある日のことだ。
大事な商売道具でもある店の着物に手をつけた。
無論、着物は生き物では無いのだから、手に手を取って愛の逃避行……などと事は進まない。
両親の仕事を見様見真似で再現し、
生まれて初めて姿見の前で着付けた女性は何を隠そう自分自身。
「これがうち? ……キレイ!」
着ると言うよりも羽織るに近く、完璧には程遠い仕上がりでも紬は大満足だった。
彼女が思うにはこれはアレンジ。
我流自己流アイドル流の、革新的な着こなし方。
煌びやかな柄の着物を纏い、気分はまさに小野小町か。
「幼女が知ってるわきゃ無いだろう!」と野暮なツッコミはおよしなさい。
誰がなんと言おうとも、この日その時鏡の前には、
間違いなく絶世の着物美人がしゃなりと佇んでいたのだから。
――そう! お気づきの通りこれもまた、紬の両親談である。
衣装も小物も組み合わせも、曲も振りも口上も、全てを自分でプロデュース。
それは小さな和室の姿見の前、観客は障子の隙間から覗き見をする両親二人だけという、
非常に特別で、贅沢で、そして記憶に残る初舞台だった。
親に内緒で持ち出した一枚。それを纏って歌い踊る。
多大なリスクを払って得た、たった十数分の非日常が、
紬の心を弾みに弾ませたはもはや説明するだけ野暮だろう。
……そしてまた当然のことながら、
幼い彼女にも悪いことをしているという自覚はあった。
それでも着物は畳み直して、店に戻せば万事解決。
お咎めなしの無罪放免よ――なんて浅はかな
計画を元に行動できるのは、子供だけが持つ特権だ。
だがしかし、彼女のおイタはバレている。
神様が見逃したとしても、地獄の閻魔は見過ごさない。
いくら両親が優しくても、罰は受けねばならぬのだ。
……魔法が解けた、その時に。
「紬、全部見ていたよ」
突然障子が開けられて、両親に気づいた時の彼女はと言えば
……ああ、なんともかわいそうに。
これ以上ないほどに青ざめて、
幼い紬はこれから自分に降りかかるであろう、雷の恐怖に怯えていた。
……けれども、両親は紬を叱らなかった。
むしろ彼女の着物の着方を褒め、特別ライブの出来を褒め、
褒めて褒めて褒め倒した後でたった一言こう訊いた。
「紬は、着物が好きか?」
答えなどとうに決まっている。
紬が全力で肯くと、両親はここで初めて彼女に説いたのだ。
一つ、自分が着ているその着物が、既に売り物にならぬことを。
二つ、人は自分の行動に、責任を持たねばならぬことを。
この話を、幼い紬は苦戦しながらも理解した。
元来賢い娘である。それが彼女にとって幸だったのか、不幸だったのかはまた別として……。
話を終えた父親が、紬の肩に手をかけ言った。
「これからお前は、ウチの看板娘だぞ」
頷くことに迷いは無かった。
この日を境に白石紬は、「白石家の紬」だけでなく、
「呉服屋の紬」としても生きていくことになる。
誰しも悪いことをしたら、「ごめんなさい」と謝るように。
これから家業を手伝うことが、謝罪と同じ意味を持っていると
……そう、彼女は説明されたばかりだった。
「――あなたは、私を責めないのですか?」
路上の一件それ以降、初めて紬が言葉を発した。
相変わらず顔は伏せたまま、貴音が食事をする音だけが、辺りに響くテーブルだ。
問われた男が視線を泳がせ、軽口を叩く調子でこう言った。
「責めるって……紬のドコを?」
刹那。ピタリと食事の手を止めて、貴音が男を睨みつける。
「プロデューサー、真面目な話をしているのです」
「わ、分かってるよ貴音。そんな顔で俺を睨むな」
男が僅かに残っていたグラスの水を飲み干して、仕切り直すように紬を見た。
「その言い方だと、俺に叱られるとでも思ってたのか? ……どうして?」
今度は相談を受けた先生が、生徒に話しかけるように。
安心感を与えるような、優しく、ゆったりとした口調である。
助平でも男はアイドル相手のプロデューサー。
多感で繊細な乙女を相手に、常々磨いてきたそのコミュニケーション能力は――。
「どうしてだなんて。その理由を、一々説明しなくては分かりませんか?」
「できることならそう願うよ。俺は物分かりが悪いって評判でね」
「……バカにしてます?」
「まさかまさかっ!」
――その能力は、時に要らぬ誤解と怒りを相手に与える。
紬がようやく顔を上げた。
彼女の見せた表情は、呆れが二割、怒りが七割、そして一割弱の僅かな不安。
どことなく緊張している彼女の様子を、貴音がチラリと横目で一瞥する。
「プロデューサー? もう少し真摯にお相手を」
「俺、いつでも真面目がモットーなのに……ジェントルマンだぞ?」
「存じております。ですが、今の紬には逆効果かと」
二人のやり取りを聞いた紬が、微かに口を歪ませた。
不快に思ったワケでは無い、心を読まれたと思ったのだ。
案の定、男は考えるように頭を掻くと。
「なら言っとこう。俺は紬を怒らない、怒る理由も見つからない。
まっ、俺が責められる理由なら、いくらでも思いつくけどな」
二カッと笑って言い切った、この男がなんと憎らしいことか!
紬は思わず顔を伏せ、テーブルの下で組んでいたやり場のない両手に視線を落とす。
男のスカした返事は気に入らないが、
それ以上に自分自身に腹が立っていた。
何を隠そうその一言で、ホッと安堵した自分が居たからだ。
0 件のコメント :
コメントを投稿