少なくとも私は小学生の頃には自分が「カワイイ」娘なのだと自覚していた。
私が笑えば男女問わず皆も笑っていて、私が悲しめば同じく皆が心配してくれた。
まあ、中学生になってからは周りの皆は周りの目を気にして、そういうのは控えめになったけれど。それでも、表立っていないだけで皆が私に興味があるのが見て取れたものだ。
だから、私と同じで「カワイイ」娘――――例えばアイドルの娘達は、やはり自分の可愛さを自覚しているのだと思っていた。
無尽蔵の可愛さを、出し渋ることなく、それでいて無駄遣いもしないことでファンの目線を意図的に釘付けしているんだと、そう思っていた。
だから初めてその娘に会った時も、表には出さないだけで、やはり自分の魅力を自覚しているんだと思ったんだ。
「私、春日未来って言います! よろしくお願いします!」
明るい、太陽のような笑顔。大きな手振りは自分の積極性をアピールしているように当時の私には見えていた。
オーディションに合格して、初めて事務所に集められた時のことだった。初顔合わせということで一人一人自己紹介をさせられていく――もちろん、37人もの人間を一目で覚えるのは難しいので、他のアイドルへ、というよりも、プロデューサーさんや社長へのアピールとしての役割も半分程度あるのだと安易に考えられた。
だから他の合格者も私もしっかりと、アピールできるように色々考えてきていたのだ。
『姫は徳川まつりと言うのです。わんだほーなアイドルを目指してるので、よろしくなのです!』
『瑞希、真壁瑞希と申します。よろしくお願いします。口下手なのでここで一つマジックを…………せいっ』
と、中々印象的な紹介を短い時間に収めるアイドルが多かった。オーディションに受かっただけのことはあって、そして全員が自分の魅力を活かそうとしていた。
だから、
「え、え? っと。他に何言えばいいですか? あっ、特技? 特技は……うーん? 何かな」
彼女のそのアピールは目立っていた。もちろん、悪目立ちという方向で。
初めて事務所に集められたという時点で今日何をするのかなんてことは予測がつきそうであり、ならば対策するのが普通なのに彼女はそれをしていないようだった。
「あっ、でも! 頑張ることは誰にも負けません! よろしくお願いします! ……あれ、これさっき言ったような」
そう言い残して彼女はそそくさと次の人へバトンタッチしてしまった。
今まで自己紹介してきた娘たちが皆、しっかりとアピールを決めていたから彼女の姿は、特別悪目立ちしていた。
純粋な娘、と同時に思った。
今の自己紹介はダメダメで、とてもアピールになんてなりそうにもなかったのだけど。
「あははは、春日さん? やっけ。ダメダメやん、自己紹介」
「でへへ?。事務所に来て、急に言われたから何も考えてなくて」
そんな会話が聞こえてくる。いや、今思えば私がその声を追っていた。
聞き逃さないように私は聞き耳を立てていたんだと思う。
「私、アイドル向いてないかも」
「そんなことないやろ! ……周り、見てみぃ。春日さんのおかげで心なし皆リラックスしてるで」
その言葉の通りだった。彼女の自己紹介はとても立派と言えたものではないけれども、言葉以上に周りに響くものがあった。理屈ではない何かが、この緊張感に満たされていた空間に注がれたのだ。
そして、他の皆もそうだったのだろう。
アピールの場でもある、つまるところ一種の芸能界の入口とも言えるこの場には気持ち悪い緊張感が漂っていたのに、彼女はそれを変えてしまった。
これこそが、アイドルに一番必要なことではないか。
そんな思いが私の頭を掠めた。いくら可愛くても、それが必ず観客に良い影響を与えてくれるわけではない。そんな中で必要なスキルは、今の……彼女、春日未来がやったようなことではないのか――。
「……そんな、まさかね」
不意の思いつきを振り切るように自分の頬を軽く叩く。ピリリと残る感覚は、私を少し冷静にした。
例えそうだとしても、私は負ける気はなかった。
私は「カワイイ」。そして、その活かし方も経験から見出している。だからそれを活かせば負けるはずなんてない。
自分の名前が呼ばれる。私はいつもの輝くような笑顔をして、皆の前に出ていった。
アイドルとしてまだまだ見習いの私達は、連日歌や体づくりのレッスンをしたり、芸能界に必要な礼儀作法を叩き込まれた。
自己紹介をしたものの、その多忙さの中ではとても横にいる娘に気をつけることなんてできなかった。
それでも私の瞳は彼女を自然と追っていた。
それはいつからか習慣のようになっていて、私や未来、つまるところ同期の皆がアイドルとして一人前になった頃には私はあることに気づいた。
「ああ――――、私、未来のことが好きなんだ」
可愛さを持ち合わせているのに、私と対照的に、未だに純粋な彼女。
そして、周りを無意識の内にポカポカと、明るくさせる太陽のような彼女に私は恋に落ちたのだった。
それがわかったから、行動あるのみだ。
「わあっ! 翼かー。びっくりした」
急に抱きつく私に、未来はそんなことを言いながら笑いかける。
改めて言うまでもないけど、未来の笑顔は素敵だ。ついついこっちまでつられて楽しくさせられてしまう。
未来にこうやってくっついているとレッスン終わりの疲れもどこかへ消えてしまいそうだ。
「最近のレッスン、ハードだよね。私、付いて行くためにもっとがんばらなくちゃ」
と、未来は言う。
近々、未来と私を含めた何人かで、今までにないくらい大きい規模のライブをする。それに伴ってレッスンも高度なものになっていっていた。
「未来、最後の方のステップ苦手だもんね」
「あれっ、バレてた?」
未来は少しだけ驚いた瞳で私を見つめる。いつも見ているから、なんて言えない。
誰よりも早くレッスン場に来て未来がそこのステップを練習しているのは知っていたから。
私は動揺を見透かされないように次の言葉を考える。
「未来ってば、そのステップする場面になると顔がね…………? あははっ」
「顔!? 私の顔が変になるの?」
そんなところー、と適当に返すと未来は気になるよー! なんて返事をする。とても可愛いと思った。
でも、言えないよね。
苦手を克服しようと一所懸命になる未来の表情がとても真剣で、カッコイイなんて、ね。
だから、言える言葉で代用するんだ。
「ねぇ、未来」
「何? 翼」
自分でも驚くほどスルリと出てくるその言葉。
「大好きだよ」
「え? うん。私も翼のこと大好き!」
そう言うと今度は未来の方から私に抱きついてくる。未来の笑顔が見えなくなっちゃうけれど、都合がいいと思った。
私が言ったのはそういうことじゃないのに、未来はきっとわかってないんだろうな。
そう思うと少しだけ私らしくない表情が漏れ出してしまう。とても、未来には見せられないような、ね。
でもきっと逆は成り立たない。というか、あの未来が恋愛的なことを考えることが想像できなかった。
そして私も、そんな彼女をどうやって振り向かせるのかよくわからない。
「今まで、何もしなくても皆が私のこと好きになったのになー」
初めての経験だった。
未来は私がいくらスキンシップしてと嫌な顔をしないで、だらしない笑顔を浮かべてくれるけれども、私を好きになったりはしてくれない。
どうすればいいんだろう。
「みんなに聞いてみようかな」
やったことのないことはいくら悩んでも仕方ない。そう思って私は聞き込みをすることにした。
「杏奈、百合子ちゃーん!」
とりあえず事務所に行けば誰かいるかな、そんな考えはバッチリ正解のようだった。
2人ともオフなのか、一つのソファに並んで座りながら杏奈と百合子ちゃんは談笑していた。
杏奈の手には電源の切ってあるゲーム機があって、さっきまで一緒にそれで遊んでたのかもしれない。
杏奈の方は百合子ちゃんに寄りかかっていて、それでいて百合子ちゃんはそれを嫌がったりしないで受け止めていてとても仲が良さげに見える。
「うんっ。相談相手にバッチリかな」
「翼が、相談…………? 杏奈に?それとも百合子さんに……?」
私が相談をすることを杏奈は少し不思議がってるようだ。確かに、いつもの私はマイペースというか、ゴーイングマイウェイ(こんなに横文字を並べてるとロコちゃんみたい、なんて)という感じだよね、私は。
「うん、そうなんだー。引き受けてくれる?」
「もちろん良いよ! 普段困り事と無縁そうな翼が相談…………はっ! そう、それは日本中を巻き込む怪奇現象の始まりに過ぎなかった……! そしてその救世主として選ばれた少女こそ――――」
「翼、百合子さんはこうなると長いから…………。悩み、教えて……?」
「う、うん」
百合子ちゃんは相変わらずだなぁ、なんて思いつつ、それを大して気にせず会話を進める杏奈にはやはり百合子ちゃんとの信頼を感じないではいられなかった。
つまり、好都合だ。
誰にも言ったことのないそれを口にするのは、少しだけ緊張したけれど背に腹は変えられない。
言った後に周りを確認する。今更だけど、近くに未来がいたら流石に恥ずかしいから。
幸い、いないみたいだったけど。
「そうなんだ…………」
杏奈はあまり驚いてはいないようだった。……ちょっとつまらないかも、私としては恥を忍んでの告白だったのに。
これが未来だったらすごい驚いてくれそう、なんて。
「うん、それでね。相談なんだけど、どうやったら相手に私を好きになってもらえるかな、って」
「なるほど、ね……」
すると、杏奈はうーん、なんて唸りながら百合子ちゃんの方を見て、ため息一つを残し、すぐ目を逸らした。
気持ちはわかる。百合子ちゃんは未だに妄想を垂れ流していたから、ね。すごいね、百合子ちゃん。色々と。
うーん、もう一つだけ挟んで杏奈は口を開いた。
「なんで、杏奈達に聞きに来たの…………? 乙女ストーム! のメンバー、だったから……?」
と、逆に聞き返される。多分杏奈は自分たち以上に相応しい相談相手がいると思ったのかもしれない。
「いや、違うよ」
「……? だったら、なんで……」
だって、と私は言って、続ける。
「杏奈と百合子ちゃんっていつもラブラブしてるから、かな?」
「…………えっ」
「あっぶない。しっかり持ってなきゃダメだよ?」
はい、とゲーム機を手渡す私。それを受け取る杏奈。
「翼…………。杏奈達、ラブラブしてるの……?」
「うん」
私は即答した。杏奈と百合子ちゃんって気付いたら一緒にいる気がするし、いつも、距離も近いもんね。
私がそう返すと、杏奈は黙り込んでしまう。でも落ち込んでるって感じじゃなかった。
杏奈の顔は真っ赤だった。それこそ、湯気でも立ちそうなくらい。
「あ、杏奈?」
「らぶらぶ…………うぅ……」
さっきまで落ち着いていたのに、心配になるくらい杏奈の様子は変だった。
大丈夫かな、と私は手を伸ばす。
が、
「――はっ、いけないいけない。また暴走しちゃった」
と、そんな声が上がる。
そして続けて、
「あれっ。杏奈ちゃん、顔真っ赤だよ? 熱でもあるの?」
と言うとそれを確認するかのように、杏奈の額に自身の額を当てる。
ぴたり、と。
「ひゃっあ!」
「また熱くなった……? 大丈夫? 杏奈ちゃん」
私はその光景を見て、茹で蛸を思い出していた。
何から連想したのかって? 特に説明の必要もない気がする。
ともかく、百合子ちゃんはようやく現実に帰還したみたいだ。
「あっ、うぅ……。だ、大丈夫。大丈夫だから……!」
「ううん。心配だよ、杏奈ちゃん。この後オフだよね? 私もついていくからもう帰ったほうがいいよ!」
「そっ、そうじゃなくて…………」
真っ赤な顔で否定する杏奈。なんとか弁明しようとしてるんだろうけど、あたふたと、動揺して上手く言葉が出てこない。
「そういうのじゃ……、なくて……っ。でも、百合子さんには絶対、言えない……!」
「ええっ! どういうこと杏奈ちゃん――――」
私はそんな2人のイチャつきを尻目に、その場を離れる。なんというか、とっくに蚊帳の外だったしね。
百合子ちゃんの方はわからないけど、杏奈はあれでラブラブしてないつもりだったんだ……。
私も未来とあんな関係になりたいな。私といったら未来、未来といったら私。
そんな感じに。
あれっ、そうなるために私は何かしようとしていた気がするんだけど――――、
「あっ。そう言えば、結局相談できなかった!」
結局、杏奈からアドバイスをもらう前に目の前で見せつけられてしまった。当て馬? っていうのかな、こう言うの。
ともかく、
「誰か相談に乗ってくれないかな?」
そう呟く。
「はい、喜んで」
「うわぁっ!?」
真後ろから即答する声に驚いて、私は床に尻餅をつかされる。少しお尻が痛い。
私は見上げる体勢になりながら、声の主を見上げた。
「み、瑞希ちゃんかー。いきなりだったから、驚いたよ」
「そんな大きい反応をしてくれたなら、驚かした甲斐がありました」
そう言う瑞希ちゃんの顔は、少しだけ――それでも付き合いの長い私にはわかるくらいに、微笑んでいた。実際、驚いたもん、私。
「でも、尻餅をつかせる気はありませんでした、すいません…………反省だぞ」
つかまってください、と瑞希ちゃんが差し伸ばした手を取って私は立ち上がる。
「相変わらず、瑞希ちゃんはお茶目だね」
服についた埃を払い落としながら私は皮肉抜きにそう言う。
「はい。表情筋の分、手を動かして皆を楽しませろ。我が家の家訓です」
「ほんと?」
「嘘です」
快活な瑞希ちゃんの言葉に、あははっ、とつい笑ってしまう。瑞希ちゃんはそんな私を見て、再び満足げに微笑んでいた。
相談を聞いてもらうので私の奢りだと伝えると、瑞希ちゃんは控えめにアイスコーヒーを頼んだ。私はキャラメルマキアート。甘くて美味しいよね、女の子用の味って感じ。
お茶をしたいなら事務所内でもできるけれど、そこは瑞希ちゃんが、
『相談事なら、事務所の外にしましょう』
『え? なんで?』
『…………通りすがりの他のアイドルの皆さんに聞かれるのは、嫌でしょう?』
なるほど、と私は賛成したのだった。
瑞希ちゃんがアイスコーヒーに口をつける。なんとなく、その動作が様になっている、と思った。
私もそれにつられてキャラメルマキアートを口にする。生クリームとキャラメルソースの甘さが体に染み込むみたいで心地いい。
「それで相談というのは?」
「実はね……」
ここで私は杏奈に告白した時のことを思い出す。私としては結構衝撃的なことを言ったつもりも、杏奈はあまり驚いたなかったみたいだった。
瑞希ちゃんは、驚いてくれるかな。
「私、好きな人がいるんだー!」
「…………ふむ」
あれっ、あんまり驚いてないみたい?
私としては今日になるまで胸に秘めていた気持ちなのに、こうも自然に受け入れられると拍子抜けだ。
「もしかして……」
「なになに?」
瑞希ちゃんは何かを少し言い淀む。私は、ついその答えを急かすように返した。
瑞希ちゃんにも言いたくないことがあるかもしれないのに、とも一瞬遅れて思ったけど、瑞希ちゃんはしっかり言い直してくれた。
「伊吹さんの好きな人って、プロデューサーですか?」
「えっ、違うよ? なんで?」
瑞希ちゃんはそんな私から少し目を逸らして、いえ、なんでも、ないです、と珍しく歯切れの悪い答えを返してきた。感情を隠そうとしているのか、私には上手く瑞希ちゃんの表情から想いを読み取れない。
けれど、言っているようなものかも。
……もしかして。
「瑞希ちゃんって、プロデューサーさんのこと好きなの?」
「…………っ」
今度は、私にもしっかりとわかった。
頬が薄く、それでも確かに朱に染まる。目線は迷子になったようにキョロキョロとして、口は言葉を探すけれど上手く見つけられないようだった。
私はそんな彼女に声をかけられないでいた――――なんでだろう、ともかく、出来なかった。
私がそんな風に固まっていると、瑞希ちゃんは何回か深呼吸を挟んで、アイスコーヒーに再び口をつけて、もう一度深呼吸して、口を開いた。
「伊吹さん」
「う、うん」
なんとなく、私は声が裏返ってしまう。
瑞希ちゃんは私の瞳を真摯に、正面から見つめて言う。
うん、と私は何とか返す。
瑞希ちゃんは続ける。
「でも、恋愛対象としてプロデューサーを見ているか、と言われると分かりません」
そう言うと瑞希ちゃんは一度深く目を瞑った。心の準備をしているのだと、私にも感じられた。
数瞬、それを挟んで瑞希ちゃんは続ける。
「それでも……私はプロデューサーの近くにいると、心が温かくなります」
「温かく……」
はい、と瑞希ちゃんは言う。
「温かく……そう。プロデューサーに背中を押されると、出来ないと思っていたことにも挑戦したくなります。――――見たことのない世界へ、飛び立てる気がします」
見たことのない世界、そう言った時の瑞希ちゃんの瞳は輝いて、私ではないどこか高く、遠いところを見ているように感じた。
素敵な瞳。尊敬とも、親愛とも違うような色をしているような、そんな瞳。
そうか、これがーー恋をしてる目なのか。
そんな真摯な答えを、生半可な覚悟で聞き出そうとした自分が少し嫌な人に思えてしまって、私は自然と申し訳なくなる。
「いえいえ。私こそ、相談に乗るつもりが水を差してしまってすいません」
と、まだほんのりと赤色を残す頬で穏やかに微笑む瑞希ちゃん。
何となく、間が悪くなって私はキャラメルマキアートに口をつける。甘くて、舌が溶けてしまいそうだった。
あ、うん。予想できる会話の流れなのに私はどこか乗れないでいた。
理由はわからない。けれども、瑞希ちゃんのあの瞳を見てから私は少し変だ。
「そう、それで、私に好きな人がいるって話なんだけどね」
「はい」
なんとなく気持ちがしぼんでいることに私は気づいた。そしてそれは、胸中を打ち明ける恥ずかしさから来たわけではないのもわかっていた。
「どうやったら、その人に振り向いてもらえるのかな?って」
「…………なるほど」
私がそう言うと瑞希ちゃんは少し考えて、言った。
「自然体、でしょうか」
「自然体?」
はい、と瑞希ちゃんは言う。
「自分の好きな人の前に出て、あれこれ考えていられるほど私は器用ではないようなので」
私は、どうだろう。
瑞希ちゃんのその言葉を聞いて私は未来の近くにいる自分を思い返す。私は、未来の前で何も考えていないのかな? いや、違う。
私は、きっと未来に振り向いてもらおうと頭をいっぱいにしてしまう。
それが恋をするということ。
ふと、杏奈のことを思い出す。
杏奈は百合子ちゃんのことが好きだと思う。だって、あんなにベタベタいちゃいちゃしてるし。
だけど杏奈は特にそれを意識していなかった――――自然体だった。
私は、未来の目の前にいる時の私は、きっと違う。
どうにかして未来に自分を見てもらおうと必死だ。だから抱きついたり、好きだと、口に出したりする。
――わざわざ形にしようとする。
途端、私は、嫌な予感の正体に気づく。
そうか、これは、気づきたくないことなのかもしれない。
足元が、崩れそうな気がした。
「だから、もっとリラックスしてみた方が良いかと…………伊吹さん?」
「……ごめん、瑞希ちゃん。ここまでで、大丈夫」
ありがとう、と言って財布から何枚かのお札を机に置いて席を離れる私。瑞希ちゃんが何か言っていた気がするけれど、とても足を止める気にはならなかった。
店を出て、あてもなく足を延ばす。
一人になりたかった。
街の人混みの中で一人、呟く。私のその声は人の波に飲まれてどこにも届くことなく消えていくようだ。
好都合だ。
「どこまでも純粋で、可愛い」
私と違って、と続けても良いと思う。
私と違って、頭をいっぱいにしなくていい。そうしていられるのだ。
空を見ると雲は厚く、空の彩りは灰色の一色に塗りつぶされていた。
私の心のようだと、なんとなく思った。
「ずっと未来のことを見ていて、それが恋をするってことだって思ってた」
でも、と続ける。
「でも、もしかしたら。そんな未来に嫉妬してただけなのかも」
同じ可愛さを持っていて、でも私と違って未来は純粋で――だから、私自身が穢れて見える。
未来の目の前に立つと、自分の嫌なところを見せられてるみたいで、だからそれを解消するために「恋」という隠れ蓑に隠してしまったのかもしれない。
だったら、私は。
このことに気づいてしまった私は、未来とどんな顔をして話せば良いんだろう。
「――翼?」
――――ああ。
聞きたくない声がした。
「やっぱり翼だ! どうしたの? そろそろレッスン始まるよ?」
そう言われて、自分がレッスンのことをすっかり忘れていたことを思い出した。周りを見ると、事務所からは少し遠い。このままでは遅刻してしまうだろう。
つまり、目の前の未来も遅刻しそうということだけど。
「未来こそ、遅刻?」
「でへへ~? 実はそうなの」
未来はだらしない笑顔を見せる。私はこの笑顔が好きだ。……好きだったはずだ。
「駅でお婆ちゃんに会ってね? どの路線に乗ればいいのか聞かれて、案内してたら間違えてお婆ちゃんと一緒の路線に乗っちゃって……」
あはは、と私は未来に笑いかける。……上手く笑えているといいな、なんて願いながら。
早くこの場から、逃れたかった。薄皮一枚剥がれて仕舞えば、未来の前で自分の汚い部分が露呈してしまいそうだったから。
頭に疑問符を浮かべたような顔で、私を心配してくれる未来。
私がどれだけ、未来に汚い感情を抱えているのか知らない、そんな純粋な心配を抱えてくれていた。
そんな未来はやはり、私には目の毒だ。
そう思うと私の体の奥から嫌なモノが流れ始めてくるのを確かに感じた。言ってしまえば、未来との関係を壊してしまうかもしれない、そんなものを。
わからない、わからないけど。私の胸から込み上げるものを飲み込むのはできない、そんな気がした。
「ねえ、翼! 大丈夫?」
私の意識が遠くに向いていることに気づいて未来は私の肩を揺らして、目を覚まさせようとする。
そんな未来の手を、私は振り払った。
私は、構わず言葉を放ち始める。
「未来、私ね? 未来のことが好きだと思ってたよ」
と、言う。きっと未来はこれから私が言うことを理解できないんだろうな、と思ったけど言わずにはいられなかった。
「? うん。私も翼のこと大好きだよ?」
やはり、困惑したような顔で未来は嬉しい一言を投げる。いや、もう嬉しいのかもわからない。
私は続ける。
「一緒にアイドルになって、一緒のユニットを組んだ時も、そうじゃない時も。私はずっと未来のこと見てた」
アイドルとして歩んだ日々は長く、だから未来のこともその分長く追っていた。
「未来のこと、可愛いなって。そう思ってたよ」
「で、でへへー。嬉しいかも」
未来は私のこんな告白を聞いても、素直に笑っている。今は、そんな笑顔すら見たくはなかった。
目を逸らして、空を見上げる。相変わらずの曇天の空が私の気分を一層逆撫でするようだった。
未来から目を離したまま、話を続ける。
「未来はさ。表裏がないよね。……いつだって素直で、優しいんだ――私なんかと違って」
涙、とも思ったけれど泣きたい気分じゃなかった。どんな気分か言われても説明はしづらいけれどね。最悪だ。
雨が降り始めたのだ。
「未来と話してると、私が悪い子みたいに思えてくる。それが嫌で、無理矢理、未来のことを好きだって思ってたんだ」
嫉妬を憧れに、憧れを恋心に。
私は自分の汚い感情をそうやって置き換えていた。
「……未来にも、裏があったら良かったのに。そんな風に思うこともあったよ」
誰かに言って欲しかった。皆、私と同じなんだって。純粋のままでなんていられないんだって。
だけど、未来は違った。
見ていたら、わかるもん。
「翼……? 何言ってるの――」
「未来が悪いわけじゃないよ。ただ、私はもう……未来のことを好きだって思う資格なんて、ないっ!」
未来に背を向けて私は走り出した。雨は強くなってきていて、未来が何かを言ってはいたけど、聞き取ることはできなくなっていた。
未来は多分、困っている。こういうことには疎いし、私が言いたいことを伝えるつもりでは言わなかったからね。
「……ごめんね」
こんな言葉さえ、私は未来に面と向かって言うことができない。とても、無理だ。
消えてしまいたい。そう願いながら、冷たい雨の中を私は駆け続ける。
自分の部屋のベッドに寝転びながら、私は後悔していた。
ともかく、プロデューサーから怒られるだろうな、と思いながらプロデューサーからの電話に出たわけだけど、
『具合悪いんだって? 未来から聞いたぞ。長引かせないように、しっかり休むんだぞ』
とのことらしい。
あんなことされても未来は私に気を回してくれる。私はそんな現実をやはり素直には受け止められなかった。
「……いっそ、嫌ってくれたらいいのに」
好意も悪意も、一方通行は辛いものだと思う。でも、あの未来に人を嫌いになれるとも思えないから仕方ないか。
「ライブ。未来とも一緒の、ライブ」
なんとなく、口に出してみる。
これからのライブを思うと憂鬱だけど、ファンの皆やプロデューサーのためにも失敗はできない。未来のことを気にしないくらい、練習に没頭することにしよう。
そんなことを思って、とりあえず今日の所は眠ってしまおうなんて思っていたら、不意に携帯電話から軽快な電子女が短く鳴った。
未来からの、メッセージだった。
全部で二通。
『明日はちゃんとレッスン来るよね?』
『待ってるから』
私は携帯電話の電源を切る。
昨日までだったら、未来からメッセージが来たらドキドキしてすぐに返信をしてたと思う。
だけど今の私には、できない。
私に一方的に色々言われても、未来は何も変わらないで優しい、そんな事実が一層私を傷つけるようだった。
私は未来を傷つけることすらできないのか、なんて思って見たりして。
「明日から、どうしよう」
言葉は暗い部屋で輪郭も持たずに溶けていってしまった。
レッスンルームの床を足が踏みつけ、心地よい音もそれに従ってテンポを刻んで行った。
気の所為かそうでないかは分からないけれど、私が休んだ次の日からレッスンは一層高度になっていった。
いつもよりキレのある動き、いつもより透き通るような声を要求され、それについて行くことで精一杯だった。
そしてそれと同じくらい私には気にしていることがある。もちろん、未来のことだった。
未来とは、あれからロクに話していない。
曲のCパートに突入して、この曲の鬼門である特徴的な激しいステップに突入する。初めの頃は足が絡みそうになっていたけれど、今はなんとか捌ききれる。
緩急のついたテンポに合わせて足を踏み、歌も最後の盛り上がりだから声をしっかりと張る。そして最後にポージング。うん、完璧。今日の私は調子が良かったのか、特に危なげなく踊り切ることができた。
全員が静止し、残火のような音楽が消えていく。
私は達成感を得られるこの瞬間が嫌いじゃない、はずだ。だけど今の私はあまりそれを感じていなかった。
トレーナーさんが口を開く。
「――――よしっ。一旦休憩! その後にダメな所を一人一人伝えるからな!」
ハイっ、と皆それぞれ答える。その声は疲れからか震えていたり、弱々しかったりしていた。もちろん私もだけど。
トレーナーさんの表情は悪くなかった。つまり私たちのパフォーマンスの出来も悪くない、ということだと思う。満足はしないけど、安心はできたかも。
ライブまであまり日数は余っていない。少しでも私たちはパフォーマンスの精度を上げなくてはいけない。
と、そんな風にトレーナーさんを見て、その目線を戻していると――未来と目が合った。
一瞬、周りの音が消えたような錯覚をする。
「…………」
言葉は出てこなかった。良かったと思う。どうせ私はまともな言葉を言わないだろうから。
目が合った未来は一瞬反応に困ったような顔をして、だけど目を逸らさずに私の方へ向かってきた。
「つ、翼」
未来はこういう時に作り笑いを貼り付けたりしない。最初は戸惑っても、直ぐに真剣な、カッコいい目をして人に向き合おうとするんだ。
とても凄いことだと思う。
だから逃げるのは私。みっともないのも、私。
「えっ……でも――」
未来の返答を聞き切る前に私はレッスンルームから出ていく。汗ばんだ身体を、廊下の冷えた空気が撫でてどこか爽やかな気分にさせられる。
爽やか、そうかもしれない。
私は未来を冷たくあしらって爽快感を味わっているのかもしれない。
なんでだろうか。それは、分からないけれど。
でもこれで良いとも思う。私は未来の目の前じゃあ自分が嫌いになるし、未来もこんな私とじゃなくて静香や可奈達といた方が良い。
それが、良い。
と、威勢良く声をあげて玄関を出る。朝から緊張しぱなっしじゃあ疲れるもんね。騙し騙しでもテンションを上げていこう。
と、そんな風に家を出た私を出迎えたのは、
「おはようございます。伊吹さん」
「瑞希ちゃん。お、おはよう……」
困惑を隠せない私を尻目に、瑞希ちゃんはずんずんと私を先導していく。私は意外すぎる彼女の姿に言葉を失っていた。
瑞希ちゃんの進む方向は駅の方、ひとまずそれに安心していると瑞希ちゃんが話しかけてきた。
「私のことはボディガー、いや、SPだと思ってください」
瑞希ちゃんは先導し、私に背を向けながらそんなことを言う。
「どっちも変わらなくない?」
「そうかもしれません」
そう言うとやはりずんずんと瑞希ちゃんは歩いていく。いつもと変わらない様子に、少しだけ笑ってしまった。
どうやら瑞希ちゃんが同行してくれるらしい、こんなこと今までなかったから少し違和感。
「瑞希ちゃん、プロデューサーさんに頼まれたとか?」
心当たりはある。
最近の私は未来と周りやから見てもうまくいっていない。それでもライブに向けて順調なのは、未来も私もその分だけ練習に打ち込んでいるからだと思う。
だから、問題はないはずだ。
多分。
「いいえ」
と、瑞希ちゃんは言う。
「プロデューサーは伊吹さんと……春日さんを信じて、口を出さないようです。だから――これは私の独断です」
瑞希ちゃんが振り向く。私と目が合う。目を逸らすことは出来るはずなのに、逸らせなかった。
「伊吹さん」
「うん」
と、そう言う事しか私にはできなかった。
「私の相談が元凶でこんなことになったのだと思います。だから、その責任を果たすために、一言だけ」
そんなことない、と口に出したかったが瑞希ちゃんの瞳はそんな茶々を押しのける。だから、私はただその言葉を聞くだけだ。
「色々考えずに、流されるべき時は流されてしまいましょう」
それから駅に着き、電車に乗り込んでも私たちの間に会話は無かった。
電車特有の、不規則なテンポで奏でる乱暴な音だけが耳を支配していた。
無言の中で私はさっきの瑞希ちゃんの言葉が頭の中をぐるぐると動き回っていることを感じていた。
流されるべき時に、流される。
あまりに抽象的でよくわからない。百合子ちゃんだったら、瑞希ちゃんが何を言いたかったのか分かるのだろうか。少なくとも、未来には分からない気がする。
瑞希ちゃんの横顔を眺める。けれども、振り向いてはくれない。自分の役目が終わった、そう考えているのかも。
ふと、外を見ると遠くに今日の目的地――ライブ会場が見える。不意に自分の身体に力が入るのを感じた。緊張か、武者震いか、分からない。
落ち着くために今までの練習を思い出そうとする。だけど、どの風景にも未来がチラついて、心がざわつく。
私ほど滑らかに踏めなかったステップも、繰り返して行くたびに洗練されていった。疲れがたまって声が震えていた後半のメロディも、そのうち芯のある歌声に変わっていった。ずっと、ずっと見ていたから私には分かっていた。
目を逸らし続けようとしても、それでも。
私は、
「伊吹さん」
「ふえっ!?」
耳元で囁かれたそんな声で私は正気に引き戻される。窓の外の風景は止まっていて、駅に到着していることが分かった。
「降りますよ」
「え、あ。うん」
どうやらここが目的の駅だったらしい。瑞希ちゃんの後に続いて私もなんとか電車を降りる。声をかけてもらわなかったら、乗り過ごしていたかも。
「瑞希ちゃん、ありがとう」
「いえ、お気になさらず。……どんとこい、だぞ」
瑞希ちゃんはそう言っていつも通り、優しく微笑んだ。瑞希ちゃんの笑顔は未来の、一緒にいるとこっちまで楽しくなる太陽のような笑顔とは違う。穏やかで、見ていると落ち着くことができる、そんな笑顔だ。
今の私には、そんな瑞希ちゃんが有り難かった。
「本当に、ありがとう。瑞希ちゃん」
「…………はい。応援してますから、ライブ、頑張ってください」
うんっ、と。
私は今日一番の元気な返事をした。
会場に入って挨拶回りをしたり、着替えたり、お化粧をしてもらったり、リハーサルをしたり、目まぐるしく私の現実は動いていた。
リハーサルといっても立ち位置の確認や行程の確認が主で、歌ったり、ファンへの声かけを通すわけじゃあない。
「『会場に来てくれた皆! 絶対に忘れられないくらい、楽しんでね! 大好きだよ!』…………とか、かなぁ」
私は控え室で、本番でどんな声かけをするか考えていた――――本当はこんなギリギリまで決まってないのもダメなんだけど、いつも台本作っても本番中に、言いたい事が新しく生まれちゃって台本の意味がなくなりがちだったから良いかなって。
控え室をぐるりと見渡す。他のアイドルの娘とお話をして緊張を和らげたり、音楽プレイヤーに耳を傾けて集中したり、軽くステップを踏んで確認したり、小声で歌って見たり。
皆それぞれがライブに向けて、心の準備をしていた。
私はいつもこういう時何をしていただろうか――いや、白々しい。私はしっかりと覚えている。
こういう時、私はいつも未来と話をしていたのだ。
ライブを前にした未来は緊張もするけれど、それ以上に目を輝かせて楽しみにしているんだ。
そんな未来と話していると、私もその輝きに照らされて緊張もどこかに飛んでいってしまいそう、そんなことを感じられて私は好きだった。
でも、今の私はそれを純粋に受け止められないから。
私は控室を出る。本当は出ないよう言われていたけど、遠くに行かなければ許してもらえるだろう。
そう思って私が控室のドアに手をかける。その時、背中から声がした。
「翼」
振り返って、声の主を確認するまでもない。未来だ。
「ねえ翼。私、話したいことがあるよ」
「……私は無いかな」
「私にはあるの!」
未来は声を張り上げる。
控室が一瞬で静かになったことを感じた。私からは見えないけれど、皆私達を見てるんだと思う。
それでも未来は声のトーンを変えずに、こんな私に言葉を投げつけ続けようとする。
「言ってくれなきゃ分かんないよ。翼が何考えてるのか、全然!」
だよね、と思う。だけど、未来はきっと私みたいな人の気持ちはわからないと思う。それに、未来が悪いわけじゃないんだから未来が気にする必要もない。
「そういうことじゃな――」
背後から私の名前を呼ぶ声がしたけど、それに応えないで控室を出ていく。扉を閉じると未来の声が全く聞こえなくなって、最初から未来に声をかけられていなかったような気すらする。
ふぅ、と一つ息を吐く。ふと胸に手をあてるといつもよりも鼓動が早いことに気づく。
緊張しているのだと、そう思った。
いつもなら未来が私の背中を押してくれていたから、そんな感触に少し戸惑ってしまう。
「私なら、やれるよ」
誰ともなしに私は呟く。
そうだ。私ならできる。
レッスンはあの日以外はしっかりとこなした。他のメンバーよりも上手くできる自信もある。
いつも通り、私が自分の「可愛さ」をファンの皆に見せつけてあげれば良いんだ。
そう、いつも通り、いつも通りだ。
だから、この激しく鳴り続ける心臓も止まってほしい。
まるで星空のようだ、なんて思う。多分私だけじゃない。このステージに立つアイドルは皆そう思ってるんじゃないかな。
この光景は何度見ても慣れない。もちろん良い意味で。何度見ても私はその景色に気持ちに火をつけさせられて、加速した心をパフォーマンスにぶつけるのだ。
そんな気持ちで歌ったり、踊ったりしてるからあっという間にライブは進んでいくように感じられる。
今流れている曲を歌い終われば、ファンへの声掛けになる。この気持ちを保ったままそれをすれば、やはり台本を踏み倒すようなことを言うことになる気がする。
つまり、いつも通りで、最高の気分。
最初のレッスンの時はステップも歌も難しくて、あまり好きになれなかった曲も上手く踊れて、歌える今なら全然違うように見える。
楽しい、楽しい、楽しい!
疲れもあるはずなのにまるで感じない。光り輝く星空の中を自由に泳いでるような、そんな感触だけが私を――きっと、私達を包んでいた。
でも、そんな時間も永遠には続かない。
たった数分、けれどもとてつもなく濃密な数分の終わり、音楽の残響が消えてステージのどこかへ飲み込まれていく。
呼吸はいつもより苦しいし、身体に触れればきっとベタベタだと思う。だけれども、それ以上に楽しく、そして興奮していた。
どうやら声掛けが始まったようだった。私は何番目だったかな、とりあえず未来の次だっていうことは覚えてるんだけどな。
そんな普通に私が待ち受けていると、ついに未来の番がやってくる。
未来は緊張したのか、一瞬深呼吸してから声を張り上げた。
「きょ――」
未来が何かを言おうとした途端、耳をつんざくような怪音が会場に響きわたった。ハウリングだと、すぐに分かった。
キィィィーン、とそんな耳に残る音が高く鳴る。
たまにあることだけど、こんな大事な場面で起こるなんて。
会場に漂っていた熱気のようなものが、その音によって水をかけられたように消えていこうとしていた。
そんな様子は、このライブを導いていたテンポが酷く狂うのを予感させる。一旦静かになってしまった観客はすぐには再燃しない。ライブの盛り上がりでこれは。
これはまずい、どうにかしないと――。
「あっ、あれー? おかしいな……って、今度はマイク入ってるし!」
未来は、酷く焦っているはずなのにいつものだらしない笑みを携えてまた話し始める。
私は、そんな未来を見つめてしまう。
「うぅ、大失敗……。でも、こういうのも逆に私らしいかも!」
プッ、と私はつい笑ってしまう。観客席でも似たような風景がいくつか見て取れた。
未来はいつだってそうだ。
そう思わずにはいられなかった。
「失敗して、上手くいかないこともいっぱいあるけど。それってまだまだ成長できるってことだよ!」
未来は太陽のようだ。どれだけ心を凍て付かせても、きっといつかその熱を伝えてくる。
今だって、そうだった。
会場の白けた雰囲気は、熱に侵されていく。
そんな光景を目にして、未来はまた燃え上がる。
「だから、こんな私を今まで応援してくれてありがとう! そして、これからもよろしくお願いします!」
一瞬の静寂を挟む。
そして直ぐに、会場が熱狂に包まれた。
煌々と会場の光が強まっている気がする。
この空気の中で私の番を直ぐに始めても呑まれてしまう、そう判断して少しだけ間を挟むことにした。
熱狂の中、私はなんとなく目線が吸い込まれるのを感じた。それに逆らわずに、私は未来を視界に収める。
未来はこっちを見てくれなかった。観客席に目線を向けて、ただ、緊張から解放された安堵の表情を浮かべているように見える。
私はそんな様子を見て、負けられないと思った。
私は未来のように純粋じゃない。
自分を上手く見せようと躍起になるように、そんな人間だ。
だからもし、私が未来に置いてかれるようなことになれば、
私は、
「翼、そろそろ」
「あっ、うん」
そう声をかけられて私は思考を中断する。今は、自分にできることをやるだけやろう、そう決めた。
一呼吸に緊張感を詰め込んで、息を吐き出して緊張を振り払う。
ニッと、笑う。
もう既に台本から私は解き放たれていた。私は思ったままを反射的に言葉にして、そしてそれがその場の私にはベストだとわかっている。
その一方で、私だって、私だって、といつも以上に気持ちが急いているのを感じていた。未来の熱が広がったこの星空で、彼女に負けないように輝かなければいけないと、そう心が叫んでいる。
純粋な未来。
不純で、汚い私。
ふと、思う。私がさっきの未来の立ち位置にいたら同じように会場を沸かせられただろうか、と。
「まだまだライブは続くから、最後まで楽しみにしててね!」
未来は純粋、だけどこの会場を再燃させたのもその純粋さだろう。
アクシデントをも巻き込んで、全てを熱に変えるにはそれが必要だった。
私は、
きっと、
締めの言葉を口にしようとする。台本でも似たようなセリフを考えていた。私らしい言葉だとも、思っていた。
皆、大好き。
そう言おうと、
――――好き?
大好き、と続けようとした。
けれどもそれは言葉にならなかった。
マイクの故障でもなければ、台本を覚え忘れたから、とかそういうわけじゃない。
声が出ないわけでもない。
ただ――――大好き、そう言えなかった。
好きってなんだろう。
未来に向けていた感情は「好き」ではなかった。それどころかもっと汚い感情でしかなかった。
だから、この言葉は私が知らない言葉だ。そして、そんな私が口にしてもただ薄っぺらいだけだ。
「あ…………」
代わりの言葉を探せばいい、そう分かっていても私の頭は動いてくれなかった。
自然、ステージ上に無言のまま立ち尽くす私が生まれる。そんな状態が数秒間続けば、会場には不信感が生まれ始める。
未来の余熱が残るこの会場。
燃え盛る会場で、私だけが浮いていた。
「…………あはは」
マイクに反応しないようにして、私は笑った。未来の笑顔とは全く別種の、そして比べ物にならないほど陳腐なものを。
これがツケなのだと、そう思った。
未来に偽った恋心を抱えて、ずっと嫉妬をして、あまつさえそれを本人にぶつけた私への――罰だ。
それに気づいた瞬間、ステージが私には全く違うものに見え始める。
未来の残した熱狂は私の身を焦がす炎だ。そして、観客席もステージ上の他の娘達も私を囲う。
私はそんな中で磔となり、熱狂の熱で殺されるのだろう。
さながら、魔女狩りのように。
これで良いのかもしれない。
無意識に、人に嫉妬し続けてアイドルをやってきた私は、アイドルの神様に嫌われてしまったのだ。
最高で、最悪の舞台を用意してくれたそんな神様。
目の前で最高のアイドルを見せつけて、その後に私を[ピーーー]。そんな完璧な筋書きが出来上がっていた。
とりあえず次の娘に合図を送って、私の番を終わらせてもらおう。
それで、終わる――。
足音がした。
誰も動くはずがない、今はそんな時間だったのに私の方へと向かってくる人間がいた。
「未来…………」
ただ、私はそんな彼女が私のマイクを奪ってくれないか、と思ってしまった。これ以上私がステージにいても歌うことすら出来なさそうだから。
そう思って、私はマイクを未来に差し出す。
最後の一撃を、未来にしてもらえるならこれ以上はない。
「緊張しちゃったの? 翼」
でも、未来はその手を取らない。
ただ、いつも通りなだけだった。
「……違うよ」
緊張なんてしていない。私は、ただここに自分がいるべきではないことに気づいただけだ。
「分かったんだ」
私は懺悔するように、最低の告白をする。未来と仲違いをしたあの日とうまく光景が重なっていた。
本当はあの日に、全て気づくべきだった。
私にはアイドルは相応しくないんだと。
「私は未来みたいにはなれないよ。……アイドルなんて、向いてなかった」
未来は自然と、周りの幸運も不幸も巻き込んで力にする。そして、笑顔にしていく。
私にはとても真似できない。
「私なんて、全然……」
そんなことない、と言いたかったが、きっとそう言っても未来は認めはしないだろう。
だから、端的に自分の言いたいことを口にする。
「辞めるよ、アイドル」
もっと早く気づいていれば、このステージはきっと未来や他の娘達で輝いていたはずなのに。
私が、もっと早く――、
「嫌だ」
未来はそう言った。
…………あれ。
これは……。
未来を見る。全く気づいていないように見えた。そしてそのまま未来は言葉を紡いでいく。
「そんなの嫌!」
先ほどより強い意志が込もった、そんな声だった。
「私ね。初めて翼を見た時から、すごいなって、追いつきたいなって、そう思ってここまで来た!」
意外だった。
私は未来の自己紹介を覚えていて、それからずっと彼女を追っていたけど、未来が私のことを見ていたとは全く考えていなかった。
少し、嬉しかった。
私の執着はとても醜く、一方通行のものだと思っていたけれども、未来がほんの少しでも私を見ていてくれた。
それは、とても。
とても、
「それに……」
未来は続ける。
「翼は翼でしょ? 私と同じ必要なんてない!」
不意に、大きな流れを感じた。
それは、熱風のように私の背を押しているようだった。腰を下げ、ドロップアウトしようもしている私を押し上げるようなそんなもの。
「だから、苦しいなら私を頼ってよ。翼が苦しむのは、私も苦しいよ!」
また、強く風が吹く。
未来が言葉を口にするほどそれは強くなっていき、私はそんな流れに揉まれて体が熱くなっていく。
未来に、あてられていく。
「翼は私の憧れで、仲間で、親友で――大好き! だから勝手にいなくなるなんて許さないから!」
とても、目を合わせられなかった。
これは――――致命的だ。
熱くて、熱くて、堪らない。
私の胸に渦巻いていた黒い感情や、理屈が全て音を立てて崩れていくのを感じないではいられなかった。
これが――そうか、これこそが。
胸中とは裏腹に、私の口はよく回った。だけど、それが明らかに照れ隠しであることは言うまでもなかった。
とりあえず、口を開く。気をそらして、この熱を少しでも冷ますために。
「マイク、入ってるよ」
「……へ?」
未来は一瞬だけ私の言葉を飲み込むのに時間を使って、観客席を見回して、すぐに顔を真っ青にした。
私への熱い言葉は全て、この会場全てに響いていたのだ。
観客席は誰一人状況についていけていない。それどころか一緒のステージに立つ仲間たちもそれに漏れていなかった。
さっきはあんなにうまく立ち回れていた未来だったのに、二度目は流石に混乱するらしい。オタオタと……多分、さっきの私もこんな風に見えていたんだろうな。
つい、笑いが溢れていた。
「つ、翼?」
焦って、惑ったままの未来。そんな彼女に今度は私が手を伸ばすべきだろう。
私に憧れてくれる、そんな私の憧れの彼女に。
「未来。私と一緒に、言ってくれる?」
そう、私は未来に耳打ちする。
「う、うん」
私一人じゃ……いや、他のアイドルの娘と二人だったとしてもこの場をどうにかすることなんて出来る気がしない。
だけど、未来となら。
未来が私に力を貸してくれるなら、どこまでも行ける気がするんだ。
マイクを強く握る。誰にも渡してなるものか、未来にだって、譲ってあげない。私の「可愛さ」を知らしめるために、これは必要なんだ。
未来に並んで歩くために、必要なんだ。
ステージを前へへ進んでいく。ファンの皆の顔が良く見える。そして、あんまり楽しんでいないのも分かる。
会場は冷え冷えで、困惑一色に染まっていて最悪とも言える状況だった。
元はと言えば私が悪いんだけどね。
私は、マイクを握って言葉を紡ぐ。考えるより先にするりと音が抜けていった。
んなっ、と後ろから声がする。まあまあ、と心の中だけで宥めておく。
「大事なライブで、こんなことしちゃってさ」
本当に、ね。
こんなことを、してくれるなんて。
おかげで私は変になってしまった。体を巡る熱は出口を失ってしまって、血液を沸騰させていく。
色々今日まで考えていたはずなのに、そんな濁った想いは全部蒸発していってしまう。
火照った体で私は続ける。
「でもね。未来は、良い馬鹿なんだ。皆も知ってるよね?」
いつだって未来はそうだった。
愚直と言われるかもしれない。それくらい真っ直ぐで、純粋で。
「私のために……他の人のために馬鹿をやれる。それが未来なんだ」
そんな未来だからこそ私は、嫉妬をして、そして。
会場を見渡す。私の話に耳を傾けてくれているのか、分からない。だけど伝わって欲しいって強く、強く思ってるんだ。
私は、未来みたいにはなれない。
だからこそ、未来が失敗した時に手を伸ばせるんだって、証明しなくちゃいけないんだ――――。
「だから、そんな未来のことを、見捨てないで応援してほしい! 今まで未来に元気づけられてきた分、今の未来の背中を押してあげて!」
いや、冷静になって私は何を言っているんだろうか。
口を開けば、未来、未来、未来とそれしか言っていなかった気がする。……でも、仕方ないよね。
「わぁ……」
未来が、それに続いて他のアイドルの娘達も呆けた声を上げる。どうやら、成功したらしい。
いつもより近い観客席を眺めると、そこには再び熱気と輝きが舞い戻っていた。
駆け寄ってくる未来。あたかもライブが終わったかのように安堵しているように見えた。だけど、まだまだこれからなのだ。
ライブは続く。
私たちも続く。
「一緒に行くよ。未来」
「……うん!」
さっきは言えなかった言葉。それを彼女に背中を押してもらいながら、声に出そう。
「みんな――」
声が重ねて、言う。きっと私の隣にいる彼女と、今の私がこの言葉に込める想いは違うんだと思う。
でも、それがどうしたって言うのか。
――いつか、振り向かせてあげるよ。
心地よい。そう心の底から思いながら、熱い風に背中を強く押されて声を出す。
「――大好き!」
事務所のソファに二人して腰をかける。目的があると言うより、とにかく疲れていた。
未来が凝り固まった体を伸ばしながらそんなことを言う。ふと、窓ガラス越しに空を眺めると夕陽が差し込んでいた。
ここに呼び出された時はまだ空は青かった。だから、随分拘束されていたことになる。
「お説教、本当長かったね」
「ね。律子さんに怒られたことはいっぱいあるけど、一番長かったかも」
私の記憶の中にも、あれほど長く、真剣な説教は思い当たらない。できればもう二度とされたくないものだ。
だけど、短く済ませられるよりはマシだと思う。
短く、事務的に済ませられてしまったならそれは見限られたということだろうから。
だから、私たちの首の皮はまだ繋がっているらしい。
その事実に、私は安心してしまう―――ーいや、アイドルを続けるとしても全て今まで通りとはいかなくなっているとは思うけどね。
せっかくのライブを台無しにしたんだから、当たり前のことだ。
安堵と不安、そんな二つが混ざってため息となり私の口から漏れる。
「翼……? あっ、もしかしてあの後律子さんに何か言われたの?」
「……まあ、それもあるかな」
色々な意味で大変だったあの熱狂の日の後始末が、私たちの知らないところで終わったらしい、そんな日に私たち――私と未来は事務所に呼び出された。
クビを覚悟していたけど、それを言われることはなく――しかし長く長い説教を二人で受けて、その後私だけ律子さんに居残りをさせられたのだった。
『律子さん……もしかして私、クビですか?』
『馬鹿』
チョップが飛んでくる。洗練されたその軌跡は私をすっかり捉え、程よい痛みを私に与えた。
『あ痛っ』
『私の目が黒い内はあなた達をクビにしたりしないわよ』
まったくもう、と律子さんは呟く。さっきまでのお説教と雰囲気が違って、どこか緊張感が解けていく。
つい、笑ってしまう。
『あはは』
『まあ、そういう話も関係者の人から出てきたけどね』
『ええっ! …………まあ、そうですよね』
冗談で言っているわけではないのだと思う。実際、あの日の私が全ての元凶であり、私が主催者だったらそんな提案をする気持ちもわかる。
『……はは』
未来と上手くいってない、そんな状態があったことすらもう遠い昔のことに感じられて、ひょっとして夢だったのではないかとすら思う。
でも、きっと私に必要なことだったんだろう。
爆弾はいつか爆発される必要があって、それが偶々あの日だっただけだ。
『でも、私も……私たちも同じようなことがあったから怒りにくいのよね』
『え? 本当ですか?』
ええ、と懐かしむような顔をして律子さんは言った。続く言葉はなく、きっと今教えてくれる気はないんだろう。いつか私もこの出来事をそうやって、今は使ってないおもちゃ箱を見つめるような気持ちで振り返れる時が来るんだろうか、よくわからなかった。
『ともかく!』
『はっ、はい!』
律子さんは表情を一変させて声を張る。私はびっくりする。
『はい!』
『だけどね』
一呼吸挟んで、
『ライブはアイドルのためのものでもあるわ』
『私たちのため?』
ええ、と言い、続ける。
『あのライブの後半。未来も、翼も、今までで一番のパフォーマンスだった思うわ』
後半――あの騒動のすぐ後。
確かに、私たちも観客もいつも以上に盛り上がっていた。体はどんどん軽くなっていって、声も弾んで……とても楽しかった。
『事情は知らないけど、あの騒動はあなたと未来には良い体験になったらしいわね…………本当に、良かった』
そう言う律子さんの表情はとても優しくて、私は堪らなく――堪らなく――堪らなくて、
『……って、翼!? 泣いてるの?』
『り、律子さ、ん……。私――』
――絶対にアイドル辞めませんから。
泣き跡が残ってることを心配されたりしたことだけが失敗かな。
それにしても、
「最近、恥ずかしいことばかり言ってる気がする」
「そうなの?」
「未来もだよ」
「ええっ」
未来もだけど、私もよくすらすら恥ずかしいことを言えるものだな、なんて思う。
だけど、今の私には口が裂けても言えない言葉が出来てしまった。
特に、未来には絶対に言えない言葉。
「流されろ、ね」
あの日の朝に瑞希ちゃんが言っていたことを思い出す。今の私はまさしくそうだと思った。確かに私は未来を遠ざけようとしていたはずなのに、何がどうなったらこんなことになっているのか。
だけど、きっとこれで良かったのだ。
私が軽々しく辞めようとしたアイドルというのは、まだまだ私が知らない輝きが眠っていて、いつか未来の隣を胸張って歩けるようになる何かを見つけ出せるだろう。
私なりに、未来とは全く違うものを。
その時はいつか、分からないけれど。
「ねえ、未来」
「んー? 何、翼?」
振り向く未来。窓ガラスを透かし、夕日を背後に背負った彼女は、逆光に照らされてとても眩しかった。
だから、もう少し近くに寄って、顔を近づけてみる。ぐいっと。
「つ、翼? 近くない?」
「いつも通りだよ。いつも通り」
えぇ? と、気の抜けた声を上げる未来。実際、いつも通りの距離だと思う。ただ、最近の私が未来から距離を置いていただけで。
「未来ってさ、私をどう思ってる?」
「どうって……」
未来は少し考え込むように、表情を難しくする。そんな顔もやっぱりどこか馬鹿っぽい、なんて思ってしまう。
そこが良いんだけどね。
「翼はね? 私にとっての……大切な友達! それで、仲間で、ライバルで……いっぱい有りすぎて言い切れないよ!」
思えばライブでも似たようなことを言われた気がする、なんて思った。
何にせよ、
「未来らしいよね」
「そうかなー」
うん、と頷く。
「じゃあそろそろ帰ろうか」
私は立ち上がり、そう言う。体の節々から小気味いい音がして、面白い。
「ええっ、そこは私のことを翼がどう思ってるのか教えてよ!」
あっ、やっぱり気になるよね。
立ち上がった体をもう一度ソファに預ける。藪蛇だったかな、と思わなくもない。
それでも未来に聞いてしまったのだから、と口を開いた。
「うんうん!」
未来は無邪気な、期待をしたような顔をして私の答えを待つ。雛を育てる親鳥もこんな気分なのかな。
いや、違うよね。
だって私はこんなに焦がれていて、言うか言わまいか迷っていて、ふとしてらこの言葉がこぼれてしまいそうで。
こんなに熱に侵されてなんて、いるはずない。
空気を通して未来に伝わってしまいそうな、こんな気持ちを私以外の誰が抱えられるというのか。
「――――秘密!」
「ず、ズルい!?」
私はそんな反応を確認して、さっさとソファから離れて帰ろうとする。未来が待ってよー、なんて言いながら私の後を追おうとしていた。
願わくば、少しだけ時間が欲しい。
今の顔を未来に見られたくなかった。
恋とは何だろうか。
杏奈と瑞希ちゃんに聞いて、そのせいでいろいろ悩んでしまって、結果として大事になってしまったけど答はまだない。
杏奈は無自覚だった。あるいは自然体で百合子ちゃんと触れ合っていた。
瑞希ちゃんも似たようなものだ。その人の前にいれば、考える必要はないらしい。
未来の前にいる私はきっと、自然体じゃない。
自然にするにはあまりにも、未来に憧れてしまっていて、そして焦がれてしまっている。
多分表情もうまく作れない。ドキドキして、緊張してしまっている。
前なら言えていた言葉も、今はうまく口にできなかった。
だけどそれは私が未来に恋をしていないことにはならないんだ。
私は、私なりの、私だけの恋をしている。
背中越しに聞こえる声が近くなっている。未来が追いついてきたようだ。
表情は大丈夫かな? いや、大丈夫。
「未来!」
私は未来に振り向く。突然大きな声で名前を呼ばれて、未来が肩を揺らすのが見て取れた。
「いつか、さっきの答えを教えてあげるよ」
その時は必ず来なければならない。恋というのは、不完全燃焼じゃあ終わらないから、放っておけばまた爆発するだろう。
だから、私は未来に自信を持って並び立ちたいと強く思うのだ。
その時なら、きっと私も想いを伝えられる。
一方通行かもしれない。いや、きっとそうだろう。
だけど――だからどうしたというのか。
未来が私にしたように、今度は私が未来を夢中にさせてやる――。
「だから、待ってて」
未来のキョトンとした顔が見える。やっぱりか、と思う。未来はとことんこういうことに疎い。
でも、いつかは嫌でも分からせてあげる。
さっきの答えを伝えてあげるからね。
――――大好きだよ、未来。
乙です
伊吹翼(14)Vi
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>>1
春日未来(14)Vo
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>>2
真壁瑞希(17)Da
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徳川まつり(19)Vi
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>>7
望月杏奈(14)Vo
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七尾百合子(15)Vi
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>>53
秋月律子(19)Vi
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