■目次
プロローグ:初恋と流星群
第一章 :ロコ、思うままに
第二章 :消えたギターと墓参り
第三章 :アイ・オブ・ザ・タイガー
第四章 :オールドホイッスル
エピローグ:アディオス
千早「ジュリア、あなた緊張はしないの?」
チハもあたしも衣装に身を包み、準備万端だった。チハは六つボタンの前開きにスカート。
ピンクが基調の動きやすい格好……無防備に晒した腹部が呼吸の度に揺れている。
衣装の名前はピンクダイヤモンドとかいってたな、プロデューサーが。
対してあたしの衣装は……いつも履いているようなパンツにTシャツ。
ジュリア「いつもならそんなにしない。けどさ……アイドルのステージは初めてなんだよ」
チハの眼は、どこまでもまっすぐで、迷いがなくて……それでいてどこか淀んでいる。
そこに秘めた想いなんて、あたしは知る由も無い。それに、必要以上に強く知りたいとも思わない。
今はただ単にステージで自分の持っているものを観客にぶつける瞬間だ、そこに全力を向けるべき時だ。
ジュリア「ここはかなり広いしさ。キャパは200?それがチケットソールドアウトなんだから大したもんだよ」
それでも場末の雰囲気が拭い切れないライブハウスだった。
控室の壁紙はところどころ剥がれ、穴が空き、よく見れば猥雑な落書きも。
千早「観衆の多さでパフォーマンスを左右させたくないわね。それに……まだまだ足りない、もっと多くの人に聴いてもらいたい」
ジュリア「……あたしもだ」
チハとあたしは目的が同じ。でもきっと理由・動機が違う。そしてたどり着くための道もきっと違う。
でも、少なくても言えることは……チハは一歩先を行っている。今日はあたしが前座だった。
千早「オープニングアクト、私も袖から見てるわ。あなたの歌……とても参考になるから」
ジュリア「好き、とは言ってくれないんだな」
千早「……ごめんなさい。好きな歌は別にあるの」
フレームに飾られた、サイン入り……頭に二つのリボンを下げた少女の一瞬を切り取ったポスターだった。
ジュリア「天海春香の歌だろ?」
千早「ええ……」
トップアイドル・天海春香。その存在はアイドルそのものを体現しているなんて事務所においてあった雑誌で読んだっけか。
あたしはアイドルに疎いから、その子を知らなかったけど。
ジュリア「……ところでさ、あたしの特技をまだ見せてなかったな」
千早「特技なんてあるの?」
ジュリア「ああ、ステージで披露するからさ。ちゃんと見ててくれよ」
二人の会話を割るかのように控室の重いドアが開いて男が入ってきた。
P「ジュリア、スタンバってくれ。千早もすぐだからな」
チハは「はい」とだけ返事。席を立って進行の最終確認を始めた。
ジュリア「プロデューサー、あたしの特技の準備は?」
P「ああ、バッチリだ」
あまりに自信満々な顔をして返事してくれるものだから、
なんだかこれからもこの人にまかせておけば何もかも大丈夫なんだと、根拠の無い安心感を抱いてしまった。
舞台袖から観客席をこっそりと覗きこむ。会場は超満員。でも、
ジュリア「……そこそこ静かだな」
P「だから言っただろ?みんな基本的には千早の歌を聴きにきてるんだよ。本当に不思議なアイドルだよな」
ジュリア「言われた通りにして正解だったよ……」
ステージ上にはアコースティックギターがポツリと置かれている。主人の帰りを待っている子犬みたいだ。
P「エレキじゃ、雰囲気壊しちゃうだろ?いや、自信があるならぶっ壊してもいいけどさ」
ジュリア「……観客を惹きつける自信?」
P「そうだな。求めているものと全く異質のものが現れたときに、普通抱くのは反感だよ。
それを凌駕する魅力を見せる必要があるだろうな。それだけのモノがある?」
観客の熱狂ぶりだって、尋常じゃなかったはずだ。だから……
ジュリア「自信はある」
P「ほう……酔狂?」
ジュリア「……自惚れだとも思ってないぜ」
P「じゃあ、やる?今から変えたっていいぞ」
ジュリア「……いや。今日はチハのステージなんだ。それを壊そうとは思わない」
P「案外、空気の読めるやつなんだな」
ジュリア「そんなことはないかもしれないぜ。気に入らないヤツなら、メインを食ったっていいんだ」
アイドルだろうがなんだろうが、音楽に関わるのであれば、そこは完全実力主義の世界……それぐらいしたって構わないと思う。
ジュリア「でもさ、チハの歌、聴きたいんだよ。だから……まずはチハにあたしの本気を見せる」
スタッフの合図と開演のアナウンス。前座がいるということは事前に告知があったけど、このタイミングで改めて会場にその旨が流れる。
P「いけるか?」
ジュリア「ああ、大丈夫」
P「急ぐなよ」
ジュリア「……何の話?」
P「緊張してると走り気味になる」
ジュリア「……あたしのギター、そこまで見抜いてたのか」
P「今回は弾き語りだからリズムはジュリアが握るが、雰囲気が重要だ……緩急をつけて」
下手のスタッフが手をこまねいている、もう時間だ。
ジュリア「わかった、行ってくるよ」
P「よし、全力で表現してこい」
客席の方を向き、明転。ライトがあたしを照らす。
ジュリア「オープニングアクトを努めさせてもらうジュリアです、よろしく」
客を見る。不思議な顔……きっとこれからどうなるのか想像がついてないのかも。
でも、その表情もきっと当たり前だろうな。アイドルを見に来たってのに、髪を真っ赤に染めた奴が出てくるんだから。
メイクこそアイドルっぽくはしてもらったつもりで、だけどあたしらしさの象徴である目元の星だけは描いてもらった。
ジュリア「チハ……千早とは同じ事務所です。あたしの方が後に入ったけど、ほとんど同期みたいなもので……仲良くやらせてもらってます」
固くはないだろうかと自分を顧みる。でも、初めて会う人達なんだから礼儀は大事だよな……。
ジュリア「……いいや。喋るのはあんまり得意じゃないからさ」
アコギを手に取り、丸椅子に座る。ギターのくびれを太ももに乗せ、マイクの位置を調整する。
深呼吸して、もう一度前方を眺める。皆の視線があたしに集中する。ここまでくれば何が起こるかきっと解るはず。
ピックを鉄弦に向けて構える。
弦を弾く。そこから先はドミノ倒し。音を糸でたぐり寄せるように奏でていく。
しなやかなイントロが終わり、声を出す。いつものパンクス用のくぐもった声じゃなくて、クリアで綺麗な音の粒を……。
とにかく、この場所は静かだった。あたしの声と、奏でるコードしか響いていない。皆が聴き入っている。
間奏の最中、上手の舞台袖に一瞬だけ目を向ける。チハが驚き混じりの表情であたしを見ていたから、ウインクを飛ばす。
アウトロの最後の音まで、プロデューサーのアドバイスを意識していた。
自分の感覚より遅めにリズムをキープし続けて、演奏を終えた。残響、そして静寂。
ジュリア「……ありがとう」
あたしがその言葉を言うまで、ここの皆は、全員どこか不思議の国に連れて行かれていたのかもしれない。
きっと、ここがライブハウスなのだと気づいたから、この万雷の拍手を送ってくれているはず。
多くは語るまいと、お辞儀をして下手へ捌けていく。観客の表情を見れば解る……きっとあたしの歌は、胸に響いたのだと。
出番が終わり、プロデューサーに許可を取って関係者席でチハのステージを眺める。
見せる表情は真剣そのもの。いくら切っても刃こぼれしないような鋭利なナイフ……。
ジュリア「……楽しいのかな」
楽しくはないのかもしれない。あたしだって楽しいと感じるのはいつも唄い終わった後。
最中に感じるのは、高揚感と遊離感……現実から一歩踏み出す恐怖と歓喜……。
千早『次は……relations』
MCなんてありゃしない。唄うことに酔いしれているよう。
ジュリア「うまいし、とてもきれいだな、でも……」
ライブ感、それがチハに足りないもののように思える。
CDが流れているようで、ある意味ではその音源より正確だった。
音が止み、観客が立ち上がって拍手を送る。曲の間、座って聞くのもチハのファンの文化なんだろうな。
X. 私の歌、すごいでしょう?
Y. 私、こんな風にしか唄えないの
B. ……物足りないわ
うーん……どれだ?あたし的にはBだと思うんだけどさ。
そんな他愛もない事柄に思考を巡らせて、チハの歌声に耳を傾けていたら、舞台上はすでにアンコールに差しかかっていた。
千早『本日はお越しいただいて、誠にありがとうございます』
千早『今回のライブは最初に、同じ事務所のジュリアが唄ってくれました』
千早『彼女の歌はとてもうまくて……なによりギターの演奏』
千早『実はさっきのを見るまで、ギターが弾けるなんて知らなかったんです。だから……寝首をかかれたみたい』
客席から笑い声。チハのやつ、顔は笑ってるけど目が笑ってないぜ……。
……やられた。
前座でチハに不意打ちをかけようという気は、正直に言えばなくはなかった。
でも、その意趣返しがこれか。やってくれるぜ。
チハの唄う流星群は、持ち歌じゃないだけあって、いつもより自由に唄えている印象を受けた。
あたしの歌を必死に自分のものにしようとしている。
その過程で、きっとチハ自身の持っている枠も飛び越えようとしている……。
知らない間に関係者席にプロデューサーが来ていたようで、意地の悪い笑みを浮かべている。
ジュリア「あんただろ、仕込んだの。思いつきでオケがだせるわけない」
P「さあな……ただ、〈撃っていいのは撃たれる覚悟のあるやつだけだ〉ってね」
ジュリア「じゃあ、さしずめあんたは武器商人だな」
P「ま、なんとでも言ってくれ。ただ、みんなの成長のために必死なだけだよ」
今まで座って静かに聴いていた観客も、立ち上がって、拳を振って、声を張り上げている。
ジュリア「前に居たバンドで歌ってた曲だからさ、演奏する側からしか見たことがなかったんだよ。こっちからの光景は初めてだ」
P「好きなんだな、音楽が」
ジュリア「ああ……でもアイドルが好きなのかはわからない」
P「千早も同じ事を言っていたよ。自分がアイドルである理由がないって」
ジュリア「でも好きなアイドルはいるんだろ、確か?」
P「……天海春香か」
ジュリア「ギョーカイの人間なんだから、知り合いなんじゃないのか?」
P「いや、雲の上だよあの子は」
そう言うプロデューサーの顔は複雑でどこか諦めにも似たような表情だった。
千早「ジュリア……とても素晴らしい演奏だったわ」
再び楽屋裏。チハと二人きりだった。ライブの興奮もいくらか落ち着き、反省会のような雰囲気になっていた。
チハは、笑っている……見える分にはそう。
ジュリア「怒ってない?」
千早「私が?どうしてそんなことを?」
ジュリア「だってさ……不意打ちだったしさ」
千早「確かにそうかもしれないけど、何も気にしてないわ。私の最後の曲で貸し借り無し……」
そういうチハの顔は笑っていた。事務所に入ってから、こんな表情は見たことがなかった。
かといって品の無い笑いというわけでもない。心穏やか、というのがぴったりのような。
ジュリア「こんな気持ちって?」
千早「心が軽くなるような、そんな気持ちよ」
ジュリア「あたしが、そんなに?」
千早「ええ……ライバルだと思っていい?」
ジュリア「いいけどさ、前座で唄ったようなのは、あまり唄わないぜ」
千早「パンクロックが好きだっていうのは知ってるから」
そうかいと答えて、改めて自分の衣装を見る。ふりふり、ふわふわ、きらきら。
ジュリア「……どうしてこんなことに」
チハの流星群が終わった後にプロデューサーに楽屋まで連れてこられて、即座にこの衣装に着替えた。
そのままステージに引っ張りだされてチハと終演の挨拶……。
ジュリア「ああ、そんなもんだよ」
千早「ふふっ、私もアイドル志望じゃなかったんだけど……ただ単に歌手になりたかったの」
ジュリア「天海春香に憧れてか」
千早「それもあるけど、私は春香のように唄えないし、唄うつもりもないわ」
ジュリア「へぇ……春香って呼ぶんだ」
その指摘にチハは虚を突かれたようで、赤面している。
千早「変よね、会ったこともないのに」
ジュリア「いや、いいんじゃないか?実際に会って、呼べるように頑張ればいいさ」
千早「そうね、きっと……プロデューサーについていけば」
ジュリア「アイツ、なんかテキトーに仕事してるのかと思ってたけど」
千早「私も最初はそう思っていたけど、私が唄の仕事がいいって駄々をこねてたら、その通りの仕事を持ってきてくれるし」
千早「だから、春香とプロデューサーと……そしてあなた。私の気持ちを抱え上げてくれる人」
ジュリア「……あたしが、ねぇ」
千早「当たり前じゃない。正面から張り合える人が現れて……沈んでばかりじゃいられないわ」
ジュリア「沈んで、か……それでプロデューサーに食ってかかってるときがあるのか」
千早「私の悪い癖ね……でも、いつもプロデューサーは真剣に聞いてくれて、納得する答えをだしてくれるの」
ジュリア「……うまくかわされて言いくるめられてるだけじゃないのか?」
千早「でも、いいの、私が納得してるから」
ジュリア「そうだな、それならいいのかも、ケンカにならないならさ。……ああ、ケンカした方がいいのか?」
千早「……なんで?」
ジュリア「ケンカするほど仲がいいっていうじゃんか」
千早「……っ」
チハは顔を赤らめて、
千早「それってどういう意味!?」
あーあ、やっぱりこの顔をステージでも出せればいいのに。
さて、チハが叫んだ瞬間プロデューサーが楽屋に入ってきて、チハの顔を見るなり、
P「どうした千早、顔赤いぞ」
チハはもう悪態をつくような気力もないのか、そっぽを向いてしまう。
仕事――その言葉を聞いた途端、チハは冷静な表情を取り戻し、プロデューサーに向き直る。
ジュリア「賛成だな。で、どんな仕事?あたしも出る幕あるか?」
P「ああ。二人と、あとはまつりとロコ、合計四人でかな」
千早「……一体どんな仕事でしょうか?」
チハは、何か気がかりな顔をしている。プロデューサーはきっとそれに気づいて、
P「大丈夫だ。歌はある……というか望めばできる。それぞれの得意分野を活かせる内容になる予定だ」
ジュリア「そりゃ……面白そうだ」
P「詳しいことは追って連絡するよ。ともかく今日は疲れただろ。送るから帰って休んでくれ」
プロデューサーの運転は、特別荒くもなく静かすぎることもなかった。
そんな中、疲労がどっと来てうつらうつらとしてしまった。
途中でチハがマンションの前で降りたのだけ覚えている。一人暮らしだっていうのは初耳だった。
P「ジュリアも一人暮らしだよな」
ジュリア「ああ……音楽やるって上京してきて……」
反対はあまりされなかった。特に家族から煙たがられていたわけじゃないけど、
中学の時から音楽に浸かりきっていたから、両親だって覚悟の上だったのかもな。
ジュリア「あんたのお陰だよ。通信でもいいから高校に行かなきゃ事務所に入れないって両親にまで言ってくれて」
P「勉強は大事だからな。視野が狭かったら、創るものだって小さくなるからな」
高校に行く条件を付けられたとき、もう765プロがアイドルの事務所だってのは知っていた。
でも、なんで、そうまでして入ったんだっけ……。
P「そうだったか?歳取ると、前に言ったことなんて忘れるんだ」
ジュリア「あんた、まだそんな歳じゃないだろ……」
P「そう見えるならいいな……ああ、そうだ、似たようなことを他の子にも言ったっけかな」
ジュリア「事務所の奴は皆言われそうだな。勉強ほっぽり出すような前のめりなのが多いし」
P「それが千早だとしたらどう思う?」
ジュリア「チハが?」
プロデューサーがそう言うからにはきっと事実で……あたしにとって、チハがそんなことを言うのは意外だった。
ジュリア「もう少し堅実で、現実主義者なのかとばかり」
P「……バカがつくほどの歌好きだからな」
ジュリア「好きって思いと、やらなきゃって思う使命感……」
きっとチハは、そんなものに追われている。
ジュリア「……そりゃ簡単さ。あたしと同じ匂いがするからさ」
P「そうか……面白いことになりそうだな」
ジュリア「なんだ、また悪巧みしてるのか」
P「いや……千早とジュリア、きっとアイドルの枠を飛び越えられるんじゃないかと思っててさ」
ジュリア「歌を極められるってことか?」
P「それだけじゃないさ。アイドルそのものの在り方をきっと変えられる、そういう力がある。もちろん、他の765プロの子もそうだ」
ジュリア「そんなに過大な期待をされてもさ……結局はあんたの腕次第だと思うぜ」
P「だからさ、みんなにやる気を出して貰わないと」
ジュリア「そりゃ、もちろん。あんたが相応の舞台を容易してくれればさ」
P「わかった。よろしく頼むよ」
シートベルトをはずし、外に出て真っ先に車の後部へ向かう。
ジュリア「プロデューサー!トランク開けるからなー!」
P「あいよー」
ハードケースにしまいこんだアコースティックギターを片手に、マンションのエントランスへ向かう。
その最中、振り返って、
ジュリア「お疲れさま!」
P「おう、お疲れ!」
ジュリア「……ありがとな!」
プロデューサーはお礼の真意が読めないのか、キョトンとした表情でいる。
ジュリア「おかげで見つけられるかもしれないと思ったんだ、あたしがアイドルをやる意味!」
プロデューサーの表情は、打って変わって優しいものになる。あたしのお礼に納得してくれたようだった。
P「オーケー、じゃあ早く寝ろよ」
プロデューサーは、窓から顔を引っ込めて、パワーウィンドウを閉めながらアクセルを踏む。軽く手を振り行ってしまった。
あのくらいの年齢の男なら、あたしなんてガキみたいなものかもしれない。
ジュリア「でもさ、少しは認めてくれてるんだよな」
……もっと認められたい。
何かを意図したわけでもなく、エレキギターを抱える。日課であって、ほとんど癖みたいなものだった。
イエローのレスポールにシールドケーブルを差し込む。そのシールドをギター・アンプへ。アンプの出力端子にはヘッドホンを差し込む。
ヘッドホンを頭にかけると髪の毛が潰れるも、そんな事は気にも留めない。もうシャワーを浴びて、メイクは落とした。あとは眠るだけ。
ボリュームを上げて、六弦をはじく。鈍い開放弦の音がアンプで歪み、あたしの鼓膜を揺らす。
そこからいつもの練習フレーズをひたすら繰り返す。
才能、理由、そんなものは後回しだ。ギターを持ったからにはそこに一切を集中させる。
人を魅了したいと思う。形はなんだっていい。でもそれはなんでだろう。
自己顕示欲?いや、もっと、綺麗な想いがあったはず……なんだっけ?
雑念が消えなくて、考えと動きが乖離する。思考とフレーズが同時に走っていく。
それが正確に両立するなんて、きっとこれまでの練習の成果なんだろうけど。
ジュリア「……チハのせいだ」
きっとそうだ。だからまずはチハに追いつかなきゃ。だから今は練習あるのみ……。
光はさせど風は吹かず。
伴田路子は郊外のアトリウムに居た。
パーティションで区切られた、彼女だけの空間には油彩独特の匂いが立ち込めていた。
ロコ「光のアングルがこっちで……」
筆を走らせる。直感のまま、より綺麗で純粋な劣化の無い思考をカンバスへと浴びせるように。
ロコ「ああ、もう!フィジカルが邪魔でしょうがないです!」
どうして、頭の中ではあれだけ美しい作品が思い浮かんでいるのに、実際に出来上がるものは退屈なのだろうとロコは思う。
しかし、悩むだけでは埒が明かない。どうにもならない課題を克服するべく作戦を練る。
ロコ「地球をリフトアップしながら描いてみれば……」
つまり逆立ちしながら筆をふるえば、ということだ。
そんな愚にもつかないアイデアを絞り出している最中、一人の足音がロコの耳に入り、その主の黒い影が現れた。
ロコ「プロデューサー……」
P「なんすかロコセンセー、行き詰まり?」
ロコ「そうなんですよ~」
プロデューサーは、ロコのカンバスに近づく。近づけば点の集合、しかし遠目で見れば、何らかの事物を見いだせる。人物画だった。可愛らしい少女の絵。
ロコ「イリュージョンですよ」
P「……なんの話?」
ロコ「この、色つきのネバネバが、アーチストの手にかかれば、何にだって変わってしまうんです」
P「そうだな……例えば、さっき言ったモネは光の画家なんて呼ばれている。絵から光そのものは出てこないが、カンバスの中には光が溢れているようで……」
そんな絵を描けるロコは一端の画家なんだなと、プロデューサーはロコを褒める。
得意顔になるロコ。プロデューサーの意図は『とりあえず乗せておけ』にもかかわらず。
空は必ずしも青ではなく、赤でもいい。それどころか白い空に青い雲が浮かんでたっていいのだ。そうロコは主張する。
P「……自由なんだな。自分を縛らなくても飛んでいけるんだ」
ロコ「自分を縛ったら飛べないなんて当たり前じゃないですか」
P「グレートスーパーアウトスタンディングお嬢ちゃんにとっちゃな」
そうやっていつものようにプロデューサーはロコからかう。しかし、ロコの取り組みを否定したことはない。
むしろ好きなように描けと創れと、こんな光あふれる室内空間まで用意したのだった。
P「そりゃまたなんで?」
ロコ「その絵です」
P「さっきから褒めてるつもりだったんだが」
ロコ「全然!ぜーんぜんです!」
ロコは普段事務所では表に出さない、不機嫌な表情を僅かに覗かせる。
P「自分で納得が行かないってことか」
ロコ「思い立った時は、脳にサンダーボルトが走ったのに、なんだか今はもう……デフレスパイラル?」
それを聞いたプロデューサー、意味解ってんのかと軽くデコピン。
あいた、とロコは可愛らしい額を押さえる。
ロコ「バイオレンスな男の人は嫌われちゃいますよ」
P「ははっ、大人はな、程よくコントロールできるんだよ」
ロコ「やっぱりデンジャラスな人ですね……」
ロコ「私にですか!?必ず結果にコミット?しますから!」
プロディ―サーはもう対応が面倒なのか特にツッコミもなく、
P「解った解った……きっとロコにしかできないような内容になる」
ロコ「それで、どんな仕事なんですか?」
P「そうだな、俺の馴染みのテレビ屋に話しをつけてきてさ……」
プロデューサーが言うには、深夜帯の30分を丸々押さえたのだという。
新進気鋭のアイドルを事務所単位で紹介するというその番組は、アイドル好きに定評があるらしいのだった。
ロコ「……だとすると他のメンバーは誰なんですか?」
P「あとは、千早、ジュリア、まつりだな」
ロコ「……クセのあるメンバーですね」
お前がいうかとプロデューサーは再びゆるいデコピン、ロコは額を押さえる。
P「それぞれの特技を披露してもらうつもりだ。個性的なメンバーだって解ってるなら、ロコも目立てるようにアピール内容をしっかり考えなきゃならないぞ」
ロコ「ロコは……やっぱりアートでアピールですね!」
P「持ち時間は……一人五分間だ」
ロコ「あまり時間ありませんね……」
四人なら計二十分。番組本編が二十五分なんだからそこそこもらった方だとプロデューサー。
ロコ「もしかして、ロコだけヒイキしてくれたりするんですか?」
P「……んなことすると思う?」
ロコ「思わないですけど……ロコにこんなにいい場所を用意してくれるし、お仕事もらえるし……」
P「そんな甘く見てるなら、ここでいっちょテレビに出すためにしごかないと」
ロコ「……ああっ、ごめんなさい!そんな怖い目で見ないでください!アポロジャイズしますから……」
P「全力でPDCAサイクル回すからな、覚悟しろよ……」
しかし、ロコには強制などせずとも自分の好きな事柄に熱中して取り組める才能があることをプロデューサーは理解している。
その武器を活かせる場を作らねばとも意識していた。
P「あの二人もそこそこ似た者同士だから……」
ロコ「プロデューサー、もしかしてアローンな時間が長くて独り言が癖になったタイプですか?」
P「……一緒にしないでくれる?」
ロコ「ロコだってぼっちじゃないです!」
ガラス張りの天井からは相も変わらず、日の光がさんさんと降り注いでいた。
その緩やかな光の中、ロコの描いた少女が微笑んでいるようにも見えた。
ロコ「アート……アート」
ロコはアイディアを求めて、一人町中を歩いていた。
ロコ「心細いですけど、プロデューサーに頼り切りは良くないし……何より、アートはもとから孤独な作業……」
空を見上げると、雲の中に時折晴れ間が混ざる。平日の昼間だからか比較的人が少ない。
そもそも、普段ならこんな時間に外に出ることはない。
ロコ「学校……サボってまで……」
いやいや、学校のつまらない授業なんかより、芸術のほうが大切だとロコは自分に言い聞かせる。
しかし、根が真面目だからかロコは小さな罪悪感を抱いてしまう。
ロコ「でも、学校は息苦しいし……」
いじめを受けたとか、そんなことではない。でも、あそこだと自分のやりたいことができない。
アートのクラス……美術だってそうだ、好きなことをさせて貰えない。
やりたいことをやっても褒められるどころか怒られることもあった。
少なくとも、同じ年代の女の子……765プロのみんなは、学校の人たちより生き生きしているとロコには思えた。
楽しんでいるばかりではなくて、真剣にアイドルと向き合って、苦しさすらも真正面から受け止めていた。
ロコ(もし、プロデューサーにこんなことを言ったら笑われるんでしょうか。それとも、同意してくれるんでしょうか)
思考の渦に飲まれた足取りに目的地などなかった。いつのまにやら、居酒屋の並ぶ地区にロコは足を踏み入れていた。
ロコ「ここのあたりは……昼間からやっているんですね」
白い無精髭をはやしたおじさん、髪の薄い太めのスーツ姿の男性……どういう事情かは知らないけど、
きっとこの区画だけでは生き生きとしていられるのかもしれないとロコは思う。
ロコが視線を向けた先で小学生ぐらいの背丈の女の子(?)が居酒屋の店主に抗議していた。
?「ちょっと、どうして飲ませてくれないわけ!?」
店主「いやー、お嬢ちゃん……二十歳になってからだって……そんな歳でお酒飲んだらご両親悲しんじゃうよ」
?「だから、私は――」
そのやりとりにロコは近づき、
ロコ「どうしたんですか、コノミ?」
このみ「うわっ、ロコちゃん!どうしたのこんなところで?こんなところ子供が来ちゃだめよ……」
店主「……お前も子供だろうが!いいから帰った帰った!」
このみ「全く……融通が利かないのね、あの店」
そりゃあ、証明するものがなければ小学生にしかみえないだろうとロコも心の中であの店主に同意する。
ロコ「それで……なんでこんな時間にこんなところに……?」
このみ「それはもちろん……昼呑みよ。この街でだけ大ぴらに許された贅沢……」
ロコ「ダメな大人ですね……一応、アイドルなんですよ……?」
このみ「一応ってなによ!?というか、あなたこそなんでこんなところに……」
そう言ってこのみは何か察したような表情で、
このみ「ふふっ、分かっちゃったわ……人生経験豊富な私だからこそ成し得る技ね」
人生経験についてはそうだろうとロコは思っても口に出さず、
このみ「ズバリ、恋ね」
ロコ「……恋ですか?」
ロコ「いえ、一部正しいアンサーですけど、全体としては間違いです」
そもそも、未成年がやけ酒はまずいだろうと言及する気力はもう無く、
ロコ「ただ、学校をサボタージュしてアートに……」
ここで会ったのがこのみで幸いだったとロコは思う。このみはいつも気さくで、話しかけやすい。
他の事務所の子だったら、もしかすると、嘘をついてしまうかもしれなかった。
このみは、優しくも神妙な面持ちになるので、ロコはその言葉に聞き入ってしまう。
このみ「だから、大人の意見としては、今しかできないことをやったほうがいいんじゃないかって思う」
ロコ「アズ・スーン・アズ・ポッシブルで学校に行きなさいってことですか?」
このみ「……今すぐに?そうはいってないわ。むしろ、行きたくない理由があるなら、すぐには行かないほうがいいと思うの」
このみ「でもロコちゃんは学校に行く必要もあると思っているのよね?」
ロコ「……アグリーします。アテンダンスがないと卒業できませんから」
このみ「卒業できないって理由だけで学校にいかなきゃって思うなら、私はそんなの行かなくても同じだって思うわ」
ロコ「そうなんですか?」
このみ「問題は学校で何を手に入れるか。そこでしか手に入らないものもあると思うし、そこだけでは絶対に手に入らないものもあると思うわ」
このみは腕時計を見てはっとする。
このみ「いけない、もうこんな時間……怒られちゃうかも」
ロコ「誰かと待ち合わせですか?」
このみ「ええ、長くなりそうだから……ロコちゃんも来る?もう一人、人生の先輩に話しを聞くのもいいんじゃない?」
駅から離れる方向へと通りを歩き、途中の細い路地を曲がると地下への階段が現れた。
このみ「赤羽でも珍しい雰囲気の場所だから気に入ってるのよ」
そう言ってこのみは小さな身体を揺らし階段を下っていく。
ロコは何も言わずについていくが、内心では少しだけ怖がっており、
怪しい場所に連れて行かれてバケモノに食べられてしまうのではないかと訝しんでいた。
しかし、この世の果ての様な深い階層まで降りるわけでもなく。
十数段、きっと建物の一階分だろう。先に降り切ったこのみは奥へと続くドアを開ける。
ドアの内側に取り付けられたベルが振動で鳴り、来客を店内に知らせる。
外の日差しはどこへやら。店内は電球色の間接照明で柔らかく照らされ、今何時なのかさっぱり見当がつかない。
ここだけ二十四時間、夜なのではないかとロコは思う。
入り口付近から見える店内の設備はバーカウンターと椅子……至ってシンプル。
さらにバックバーがリキュール類の鮮やかな色で彩られていた。
他に客は無くこのみは迷わずカウンターに陣取る。
そのカウンターの中に居る、店員と思わしき人物の真ん前。
?「姉さん、遅いー……連絡もくれないし」
このみ「早めに来すぎたから一杯ひっかけようと思ったら、誰も飲ませてくれなくてね~」
?「……そりゃそうよ」
このみ「そりゃそうよ、って言い草への怒りはとりあえず引っ込めておいて……途中で不良少女を拾ってきちゃったのよ」
?「あれ……ロコ?」
ロコ「……なんで、リオ?」
このみ「……イケナイ、アルバイトよ」
莉緒「こら、このみ姉さん、若い子に変な嘘言っちゃだめよ!」
ロコ「もしかしてここって、ロコのようなティーンエージャーにはフォービドゥンされたモラルハザードな場所ですか……?」
莉緒「……大丈夫よ、昼間はカフェ営業だから。ついでに言えば、私、夜は働いてないわよ。カフェタイムに手伝いに来ているだけだから」
このみ「莉緒ちゃん、芋焼酎ソーダ割りお願い!」
莉緒「カフェタイムだって言ってるのに、しょうがないわね……飲み過ぎは厳禁よ。ロコは……黒糖カフェオレとかどう?」
ロコ「じゃあ、お願いします!」
このみ「お金は私の奢りだから気にしなくていいからね~」
このみ「つまりー、ひっく……ロコちゃんは遊びをクリエイトしたいわけね」
ロコ「それじゃ、どこかの会社のマニフェスト?みたいです……」
莉緒「お姉さん、わかってるわよ……ロコみたいな年端もいかないか弱い女の子が、一生懸命頑張ってるところを見て男の子がキュンときちゃうのよね」
カフェタイムなのに、なんて言葉はどこへやら。リオもビールを飲み始める。仕事じゃないのですか?とロコはつぶやく。聞こえてないらしい。
このみ「そうよそうよー。さっき言ってたテレビ番組の話?あれもロコちゃんが一生懸命になっている所を見せるのが一番ね」
ロコ「だとすると、やっぱりアートですね!」
ロコ「ええっと、絵だと……オイルとウォーターカラーに、あと水墨画もやりました!」
ロコは今までに製作してきた芸術作品に思いを巡らす。
ロコ「あとはブロンズのスタチューを作って社長室に飾ったり、事務所の壁にラッカーでファンクなウォールアートを描いたり……
とにかくプロデューサーにロコのプログレッシブなワークスを見せたら一杯褒めてくれて、今のアトリエを用意してくれたんです!」
このみ(それって事務所を壊されるのが嫌だからプロデューサーが隔離しただけじゃ……)
莉緒(姉さん、だめよそんなこと言っちゃ……)
ロコ「二人共どうしたんですか、そんなウィスパーボイスじゃ聞こえないです」
莉緒「いやいや、トリビアルな話よ、ねえこのみ姉さん……」
このみ「そ、そうね……というかなんで莉緒ちゃんも横文字混じりなの?」
莉緒「親身になるのにまず形から入るタイプなのよ……」
ロコ(どうして大人たちは好んでこんな物を……)
莉緒「ともかく、ロコは今まで色々な種類の芸術に手を染めてきたのよね」
このみ「犯罪みたいな言い草ね!」
二人は声を上げて笑う。酔っ払ってはいるものの、下品な騒ぎ方ではない。まだアイドルとしての理性を残した笑い声で良かったとロコは思う。
ロコ「ロコの中のアンディスカバードなエリアを探すわけですね!」
このみ「うーん、それって……例えば?」
莉緒「裸婦よ」
ロコ「ラフ?なにがラフなんですか?」
このみ「普段、莉緒ちゃんが年甲斐もなくプロデューサーに対してラフすぎる色仕掛けをしちゃう話?」
莉緒「違うわよ……。裸の女性……裸婦よ」
『裸の』の部分を妙にセクシーな吐息混じりで声に出す莉緒。
ロコ「アブソルートに酔っ払ったダメな大人になってしまいましたか……」
ロコ「お酒やたばこには興味ないけど、なので、よくわかりませんけど飲み過ぎなことは人類のコモンセンスから……」
再び頭を絞って怪しいカタカナ語を振り絞ろうとしていたロコだったが、このみが俯いていることに気づく。
このみ「はだか……はだか……」
このみは頬を染めて狼狽するものだから、莉緒はそこに追撃をかける。
莉緒「あら、このみ姉さん、裸は嫌?」
このみ「……いやじゃないけど」
なにがどう嫌なのか、もうよく解ったもんじゃない。
ロコは、三杯目となる烏龍茶を口に含む。安っぽい味。このみの横には莉緒と同じぐらいの空きグラス。
ロコ「一応そうですけど……」
このみ「はだか……はだか……」
ロコ「でもロコ、あまり女性の裸にエキサイトしません!」
莉緒「頑張って英語を使うとするあまり、変な意味になってない?」
このみ「はだか……はだか……」
莉緒「ほら、このみ姉さん、こっちの世界に戻ってきて!」
莉緒はこのみの肩を掴み、軽く揺する。眠りから覚めたようにこのみは目を見開く。
このみ「……裸の女性たちがたくさん踊っている夢をみたわ」
酔っぱらいの相手は妙に疲れてしまうとロコは思う。
このみ「待ってロコちゃん、帰る準備しないで……」
ロコ「残念ながらアートイズロング、ライフイズショートですから」
このみ「『少年老い易く学成り難し』?」
ロコ「そんなところです!」
このみ「ええっと、じゃあ真面目に私なりのアドバイスをあげるわ。莉緒ちゃんがさっき言ってた、『やったことないことをやれば』っていうのは私も同意で」
莉緒「さっすが姉さん♪」
このみ「例えば、ロコちゃんは絵を描いているイメージが強いから、新しいジャンルとしては……陶芸とかどうかしら?」
ロコ「うーん、良いディレクションだとは思うんですけど、もっとマーケットに対してインパクトを与えられるようなホットワードで、かつブルーオーシャンなカテゴリで……」
このみ「うーんなんかそれとも違うような……」
ロコ「鉄を熱いうちに打つ……それですよ、リオ!」
莉緒「それ?」
ロコ「ああっ!湧いてきました、ロコのホットスプリングからインスピレーションのフラックスが」
このみ「……大丈夫?」
ロコ「こうしてはいられません!一週間ぐらい旅にでます!」
莉緒「ちょっとどこに行くの!?」
ロコ「日本刀ですよ!トラディショナルなカタナと、モダンアートの融合……きっとロコがパイオニアになれるはずです!」
ロコはトートバッグに荷物を入れ、二人に背を向けて店を出る。
このみ「プロデューサーには連絡しなさいよー!」
ロコ「コピーザット、です!」
このみ「嵐みたいな子ね」
莉緒「……台風一過で静かだわ」
このみ「良いわね、自分を信じられるって」
莉緒「あら、一応同じ土俵に立っているのに」
このみ「そうだけど……」
莉緒「それにまだ疲れるのは早いわよ。千早ちゃんの件もあるんだから」
このみ「歳をとっても大変だけど、若いのも大変ね~」
莉緒「言っとくけど、私達だってまだまだ若いわよ」
このみ「……でも細かいことをあまり気にしなくなっちゃった」
莉緒「確かに……だったら、今がまだ昼だっていうのも気にしてないわよね?」
このみ「もちろん。じゃあ若者たちに乾杯して飲み直しましょうか」
まつり「ジュリアちゃん、今なのです!」
ジュリア「はいはい姫様……」
ジュリアはギターのボリュームを回し、音を奏でる。愛用のエレキギター。
まつりは「ほ?ほ?」と踊り始める……ダンスというよりかはこてこての『踊り』だった。
まつり「お城を建てるようなギターなのです!どうかまつりのお城も……」
ジュリア「フライングVは持ってないし、不必要にヒラヒラのついた服も着てないからな……」
まつり「ほ?意味はよくわからないですけど、とにかくジュリアちゃんのギターはかっこいいですし、素晴らしいのです……ね?」
今でもたまに言っていることが解らないときがある。ただ、そんなときはなんとなく流したりしても、マツリはそれほど怒らない。
むしろ、ジュリアが好きなこと、つまりギターを触っていれば興味をもってどんどん話しかけてくれる。
そしてジュリアはそれに応え、普段より饒舌に音楽の薀蓄をまつりに教え込む。
そんな時にジュリアは、好きなことを喋るのは苦にならない質なのだと自覚するのだった。
ジュリア「うーん、いまいちピンと来ないな。マツリに合うような曲を作ろうとは思うんだけど」
まつり「それはありがたいと思うのです……ですけど」
ジュリア「けど?」
まつり「やっぱり、まつりだけに合う曲ではきっとダメなのです」
ジュリア「だって、あたしたちの時間はマツリがメインって決めたんだから……」
まつり「そもそも、そこが間違いなのです!」
まつりはピシャリと言い放つ。いつものような柔らかさではなく、真剣な表情を覗かせる。
ジュリア「ええー……ここまできて?いい案だと思って持ちかけたんだけど」
まつり「時間を合わせる、というのはとてもいい案だと思うのです。でも、やっぱり二人がメインじゃないとダメなのです」
ジュリアは逡巡し、考えこむ。しかし、マツリの言うことはもっともで筋が通っている。だからこそ、腹をくくり、一歩踏み込む決意を固める。
ジュリア「……わかった。二人でメインをはれるような内容を考えなおそうぜ」
まつり「そうこなくっちゃ、なのです!」
まつりは不思議な子だとジュリアは思う。いやそれは〈不思議ちゃん〉ということじゃなく……芯が通っていて、言葉に力がある。
仲が良くなるに連れて、第一印象がどんどんと薄れていく。
いやしかし、ここまで緻密に計画を立ててやってきたつもりだった。それが全部おじゃんだ。
ジュリア「もう番組まで日がないから、ここからは工夫しないと間に合わないぜ」
まつり「望むところ……なのです!」
そう断言されてしまえば、とことん付き合うしかない。この摩訶不思議なコンビで突き進むしかない……ジュリアは覚悟を決める。
ジュリア「まあ、即席のデュオだけどな……」
ジュリアはひとりごち、デュオ結成の経緯を思い出す……。
チハのライブで前座を務めた日の翌々日。
件の番組に出演するメンバー、ロコ、チハ、マツリ、そしてあたし……その四人が765プロの会議室に集められ、経緯が言い渡された。
P「持ち時間一人五分。自分の時間の内容案をそれぞれ練ってみてくれ」
唐突に課された宿題だった。それを考えるのがあんたの仕事じゃないのかと食ってかかってみるものの、
P「自分の魅力について考えてみるのも仕事だ。もちろんアドバイスはするけど原案ぐらいは出してほしい」
思わず「そうかい」と吐き捨ててしまう。チハも容易ではないと思ったのか、軽く眉をしかめるものの文句は口に出さず、
千早「禁止されている事はありますか?」
P「常識的な範囲なら問題ない。最終的なゴーサインは俺がだすけど、なるべくなら考えてもらった案をそのまま実現したい」
ロコの方に顔を向けると、目を輝かせてスケッチブックに何かを描いている。忘れないうちにアイデアを書き留めているのかもしれない。
マツリはプロデューサーの話へ真面目に耳を傾け、メモをとっている。〈姫〉にふさわしいかわいらしい丸文字だった。
それ以上特に質問は無く、あとは事務的な話……日程とか集合時間とか、そんな事柄を伝えられ、
打ち合わせはお開きとなった。各々の内容については適宜打ち合わせとのこと。
ロコ「これは、レボリューショナルなロコナイゼーションが必要ですね!チケットをクリアするために、ステークホルダーのコンセンサスが……」
などとブツブツ言い、走りだしてどこかへ行ってしまった。たまに会話に出てくる〈アトリエ〉とやらに行くようだ。
チハは荷物をまとめて、黙って外に出ていこうとするから、
ジュリア「チハもどっか行くのか?」
千早「ええ……一人になって考えてみるわ」
チハはそそくさと事務所を後にした。さて、あたしはどうしたものかと思案していると……
まつり「ジュリアちゃん……ね?」
ジュリア「さて、近くの公園でギターでも……」
まつり「ううっ……ひどいのです……。そんな事されたら、姫、激おこウップン丸なのです……」
げきおこうっぷんまる、なるものが一体何を示しているのか、プンプン丸じゃないのかとか、
ちょっと古くないかとか、そんなことはそれほど気にはならなかったので掘り下げないとして、
ジュリア「なんだ、マツリも内容を考えるの困ってるのか?自分の強烈な世界とか持ってるタイプだと思ってたけど」
ジュリア「確かに、それはそうだな……」
マツリもなかなか強烈なキャラクターの持ち主だと考えていたけど、それを無理矢理視聴者に押し付けようとはしないのか。
だとするとあたしだって、まずは解ってもらう努力が必要なのかもしれない。
だけど、あたしは……アイドルとして中々わかりづらい。得意のギターは……かわいらしさの点では受けが悪いのかもとすら思っている。
ジュリア「なあ、マツリ、二人の時間……合わせて十分間にしてみないか」
まつり「ほ?それは……同盟を組むということなのですか?」
ジュリア「その通りだ。まつりが正面切って、あたしは横でギターを弾く……支える役の方が性に合ってるんだ」
『それがあたしの魅力だ』そう言い切ったものの、自問自答が続いた。自分の時間が貰えるのに前に出ない?それで本当に……良いのか?
まつり「……それでいいのです?」
ジュリア「ああ、パンクロッカーに二言はないぜ」
そう啖呵を切ったものの、どうにも心底では煮え切らなかった。
元々、誰かと組むという腹づもりではあった。そして、マツリと組むだろうという予感もあった。
四人の面子を知れば、マツリには申し訳ないが消去法的にそうなる。
ロコは完全に独自路線でついていけないだろうし、チハは相変わらず一人で自由にやるほうが力を発揮できそうだし……そうなると残るのはマツリだ。
人当たりも良いし、事務所での仲もそこそこ良い。あたしとキャラがかぶらない……。
この時は柄にもなくそんな悪知恵を働かせていた。後になって思い返せば、とんでもなく失礼な話だ。
結局のところ、あたしはアイドルとして人前に……それも全国ネットのテレビに出ることにブルってたんだ。
***
まつり「ジュリアちゃん、まずはお洋服が必要なのです!」
ジュリア「おいおい、まずはプロデューサーに報告したほうが」
まつり「ほ?それもそうなのです。一旦事務所に戻れば、プロデューサーさんがきっと魔法の馬車をだしてくれるはずなのです」
ジュリア「……あの年季の入ったワゴン車のことか?」
まつり「ということでプロデューサーさん、かくかくしかじか、なのです」
P「あー、かくかくしかじかね」
ジュリア「意味解ってんの?」
P「……わからん」
パソコンとにらめっこしていたプロデューサーを無理矢理引き剥がし、要件を伝えようとするもののこの調子だ。
小鳥「要するに……衣装を買いに行くから、費用なりなんなりをなんとかしてほしいってことよね?」
まつり「ほ?小鳥さん、魔法が使えるのですか?まつりの考えを読み取る高度な魔法なのです!」
小鳥「いやいや、私はまだ二十チョメチョメ歳だから魔法は使えなくて……じゃなくて!!」
P「音無さん?」
ジュリア「……大丈夫か?」
小鳥「うぅっ……大丈夫なんかじゃ……ありません!」
小鳥は涙を流しながら事務所の外へと消えてしまった。どこへ行ったのかはさっぱり不明。
まつり「そこは、まつりにお任せなのです。プロデューサーさんには、仕立て屋さんまでのエスコートをお願いするのです」
P「はいよ。ジュリアはそれで納得してる?」
ジュリア「ああ、あたしが散々困らせたから、今更口を挟むなんてできないんでね」
P「それじゃ、ボロワゴンで行くぞー」
まつり「違います、かぼちゃの馬車です!」
ジュリア「もしかして、プロデューサーが馬車馬のように働いていることを皮肉った高度なジョークか……?」
P「こっちは少なくともお前たちのために頑張ってるんだがな……」
ジュリア「それで、中野にいったいどんな衣装が……」
まつり「まつりが普段から通っているお洋服のお店なのです」
ジュリア「ああ……フリフリの……」
P「もしかして、あそこか」
ジュリア「知ってるのか?」
P「昔、衣装を買いに来たことがある。あそこだろ、ブロードウェイの」
そういうプロデューサーの表情はどこか寂しげだった。過ぎてしまった時間を懐かしむような……。
しかし、その原因はジュリアにはさっぱり見当がつかなかった。
まつり「その通りなのです!流石はプロデューサーさんです!」
交差点を渡り、早稲田通り側からブロードウェイに入る。平日の昼間、人はまばら。
ジュリア「有名な施設だっていうのは知ってたけど」
P「サブカルの店が多いんだ。ジュリアが好きそうな店もあるぞ。
ミュージシャンの昔のライブパンフやら音楽雑誌のバックナンバーが沢山置いてる店とか。特定のジャンルばっかり置いたレコード店とか」
ジュリア「確かに興味あるな」
まつりが先陣を切って、不可思議なカオス空間を突っ切って行く。一階からエスカレーターで一気に三階へ。
ジュリア「おもちゃの店が多いんだな」
P「……フィギュアってやつだな」
ジュリア「ああ、それそれ。ごめん、全然疎くってさ」
三階から階段を上って四階へ。するとすぐにドールの専門店が現れ、まつりが指差す。
P「気をつけた方がいいぞ、あのジャンルは沼らしいから」
まつり「ずぶずぶ底なしなのですね……」
ジュリア「二人の話がさっぱり解らない……」
まつり「まだ上なのです」
まつりは視線を上げ、四階から更に上へと続く階段を見上げる。
ジュリア「……でも階段はフェンスで塞がれているからこれ以上上がれないだろ。『居住区につき立ち入り禁止』って書いてあるし」
P「特に気にしてなかったけど、アポはとってるよな?」
まつり「もちろんなのです」
P「待ち合わせ時間は?」
まつり「ちょうど今、なのです」
まつりがそう言った瞬間、上階への階段を阻んでいた可動式のフェンスが横へと開いていく。内側から誰かが開けたようで、その人物が現れる。
P「ご無沙汰してます」
ジュリア(なあ、プロデューサー、この妙なファッションの人は……)
P(店長兼デザイナーだよ。昔は、BKマニアックっつーギョーカイの一部で有名な店で手伝いをしてたんだけどな)
ジュリア(どうりで……その手の人っぽいもんな)
まつり「お邪魔しますなのです!」
まつりはそう言って階段を駆け上る。プロデューサーとジュリアもヨド子の後に続いて、お店へと向かう。
居住区の中に一つだけ装飾の施された目立つ扉があった。その扉を開け中に入る。
ジュリア「うーん、フリフリ……」
店の中央に配置されているマネキンが着ているのは、たくさんのフリルがあしらわれた衣装だった。
基調が白だったり黒だったり、はたまたピンクだったり。
そういうのがロリータファッションのスタンダードなんだろうとジュリアは店内を見て察する。
しかし、中にはビビッドな色使いの代物もあったりして、それはあの店長独自のコーディネートなのだろう。
また、衣服だけではなく、カチューシャや手袋などの小物が丁寧に陳列されていた。
ヨド子「さて、今日はどういったご用件なのぉ、まつりちゃん?」
まつり「きらきらでふわふわで……かわいくって……」
ジュリア「……それじゃいつもと同じじゃないか?」
まつり「そうなのです。だから、今度はジュリアちゃんと一緒だから、いつもと違うのがいいのです。プロデューサーさん、何かいいアイデアありませんか?」
P「そうだな……例えば、いつもと違う色合いにするとか」
ジュリア「マツリは……黒っぽいのとか?意外性狙いで」
まつり「いただきなのです!じゃあ、ジュリアちゃんは真っ白……純白なのです」
ジュリア「うーん……白か……抵抗はあるけど、こうなりゃ挑戦あるのみだ!」
プロデューサーがヨド子に声をかけると、メジャーを手にしてジュリアとまつりに迫る。
ヨド子「じゃあ、測っていきますよぉ」
ジュリアは二の腕にメジャーをぐるりと当てられ、
ジュリア「……そんな所も測るの?」
ヨド子はコクリと頷く。
P「ステージ衣装だから、キツ目にお願いします」
ジュリア「……あのさ」
P「ん?」
ジュリア「一応さ、デリケートな話だからさ……」
P「はあ」
ジュリア「……そんなジロジロ眺めんなっつってんだよー!!」
ヨド子は笑い、プロデューサーがそそくさと退散する。
まつり「プロデューサーさん、入ってくださいなのですー!」
まつりが店の外へと届くように声をかける。プロデューサーは中に入るなり、
P「おお、すげーな。一気にビジュアル系っぽくなった」
まつりは黒が基調の衣装。ゴシックの成分が強く、角張ったラインが多い。
それでもまつりの元々持っている雰囲気も取り入れて、丸いラインで構成され幾重にもなったレースのスカートが印象的だった。
P「まつりは思ったより意外な印象だな。それでいて元々持っているモノを崩してないというか」
まつり「ありがとう……なのです」
プロデューサーは視線をジュリアの方に向ける。
ジュリア「後生だ、見ないでくれ……!」
P「全国に流れるってのに、そんな弱気になってる暇あるかっての」
そこから目線を下ろしても、ずっと白が続く。ジュリアへの嫌がらせかと思うぐらいに重ねられた白い生地が眩しかった。
ジュリア「いや、だってさ……こんなのらしくないじゃん?」
ジュリアは頬を赤らめて言う。
P「いや、本当に似合ってるって。ねえヨド子さん?」
ヨド子「ええ、とってもお似合いですよぉ。私、頑張っちゃいましたからぁ」
まつり「ジュリアちゃん、サイコーにかわいいのです!」
ジュリアは頭を抱えて、
ジュリア「うわ、もう、なんか痒い!痒いけど、服が厚くてかけない!」
まつり「我慢、なのです。修行なのです。こんなので音を上げたら、ステージに立てないのです……ね?」
ジュリア「今だって汗かきそうなのに、これで照明浴びたらどうなるんだ……」
ジュリア「またそういうデリカシーの欠片もないことを……」
P「まあ、ジュリアを見た人はきっと喜んでくれると思うぞ」
ジュリア「人を乗せようとしてるんだろ?」
P「否定はしないがな、自分を乗せることだってこの仕事では重要だな」
ジュリア「そうだろうけどさ……」
P「それに、似合ってるのは事実だ」
ジュリア「……っ!ばっか!」
P「……やっぱり、フライングV持つ?」
ジュリア「だからそりゃあんたの趣味だろ……」
ジュリアは、鎧のごとく重く厚い服を外して普段のボトムとTシャツに戻る。
ジュリア(身体の感覚がしっくりきて心まで落ち着くな)
ジュリア「……ありゃ人前に出る時しか着ないからな。なんなら今回の話で、これっきりだ」
P「つれないなあ」
まつり「ジュリアちゃんも、フリフリの才能があるのです」
才能ってなんだよとジュリアは心の中でつっこむ。
しかし、先程から二人の熱烈な賛辞を貰っているものだから、本気にしてしまいそうだった。思わず頬をかく。
P「んじゃちょっと契約してくるよ」
プロデューサーはレジに向かい、ヨド子とビジネスの会話を始める。
ジュリア「……あれは」
レジの後ろの壁、ヨド子の頭上、額縁に入った写真が飾られている。
まつり「あれは春香ちゃんなのです」
マイクスタンドを構え、大胆不敵にカメラに向かって挑発するような表情を見せている。
まつり「確か、この衣装のステージから春香ちゃんの爆発が始まったのです」
ジュリア「でも、なんでその写真が?」
店員「この衣装……パンキッシュゴシックは私のセンセイがデザインしたんですよぉ」
ジュリア「ああ、それでか……」
もう一度写真を眺める。右下には、『あまみはるか』のサイン。
P「そうだ、歌は決まったのか?」
ジュリア「それが、まだだ。最初はあたしが作編曲しようとしてたんだけど、この衣装に合うような曲じゃないな」
まつり「お衣装に気を取られて、何を唄うのかをすっかり忘れていました……大ピンチなのです……」
まつり「この衣装のときの春香ちゃんの曲ですか!?」
P「二人に合うと思うんだが、どうだ?ギターも行けるだろうし」
ジュリア「あたしは聴いたことないから、すぐには頷けないな」
プロデューサーはヨド子の方を向き、
P「ちょっと曲を流してもらえますか?ありますよね」
ヨド子は頷き、レジ下のノートパソコンを操作する。
数秒して、店内のBGM――厳かなクラシックが止み、件の『I Want』が始まる。
イントロのギターリフに、天海春香の蠱惑的な歌声が乗り、過激で鮮烈な音と歌詞が展開していく。
P「それで、どうだこの曲を唄うのは」
まつり「もちろん、オーケーなのです!」
ジュリア「あたしも賛成だ。だけどさ、色々あるんじゃないの?大人の事情とかさ……」
P「権利関係か?それなら、この曲はうちに権利がある」
ジュリア「……なんで?天海春香は765プロ所属じゃないだろ」
P「そこは……企業秘密かな」
ジュリア「なんかもったいぶっちゃって、感じわりーぜ」
P「それこそ大人の事情があるんだよ、守秘義務とか」
ジュリア「初めて会った時から胡散臭いとは思ってたけど、また一段と胡散臭く……」
プロデューサーはハハハと笑うものの、明らかに誤魔化しきれていない。
まつりはそんなこと気にしていないのか、流れている『I Want』に振りをつけている。
もとからついているダンスなのかジュリアには見当がつかなかったが。
>>2
ジュリア(16) Vo
http://i.imgur.com/8XBHBvV.jpg
http://i.imgur.com/RZXgQlu.jpg
如月千早(16)Vo
http://i.imgur.com/QSD17Wq.jpg
http://i.imgur.com/BGsfvrt.jpg
>>27
ロコ(15)Vi
http://i.imgur.com/EpEocw4.jpg
http://i.imgur.com/hQRzkeb.jpg
>>37
馬場このみ(24)Da
http://i.imgur.com/nvVe5ru.jpg
http://i.imgur.com/oz6p1Po.jpg
>>43
百瀬莉緒(23)Da
http://i.imgur.com/7nWMKMu.jpg
http://i.imgur.com/W6YU3KT.jpg
>>53
徳川まつり(19)Vi
http://i.imgur.com/con7i8Q.jpg
http://i.imgur.com/6QBEeZC.jpg
>>12
流星群
http://www.youtube.com/watch?v=Hstu1RmC0BU
控室には四人のアイドルが居た。いずれも個性豊かで才気あふれる、輝かしい者たち……のはずだが、
千早「プロデューサー」
P「なんだ?」
千早「一人で集中したいのですが」
P「だめだ、場所がない。そんなところはトイレぐらいだ」
千早「ではトイレに……」
P「トイレで唄うのは禁止だぞ」
千早「では一体どこで」
P「あれだけ練習しただろ、千早なら大丈夫だ」
千早「そうかもしれませんが……」
そこそこ大人数の前で堂々とこなしていた千早でも、全国ネットで流れる番組の収録では勝手が違うらしい。
衣装は動きやすいようにと、いつものピンクダイヤモンドだった。
ジュリア「ああ、バッチリだぜ」
対してまつり・ジュリアコンビ、準備は万全なのか憂いや緊張は皆無のようだった。
ただ、準備期間が短くなってしまったのがどう影響するのかが未知数ではあった。
まつりは黒が基調のフリフリゴシック。ジュリアはそれと対を成す白のロリータ衣装。
P「なあ、ロコ……その格好は」
ロコ「白装束です」
P「姿を消していた間に何があったのか知らんが……その鞘は?」
ロコ「ロコのスピリットを打ち込んだ……刀です」
P「……もう、よくわからんから本番で話を聞くよ。もらったVは一応チェックしてスタッフに渡したから」
ロコ「ありがとうございます!ロコのワークスを余すところ無く収めたドキュメンタリービデオですから」
千早の視線は遥か彼方を捉えていた。声を出さずに口を動かし唄う。
ロコが腰を上げると、鞘と剣がこすれ合う金属の音が響く。
ジュリアはギターを抱え、まつりははいほー!と声をあげる。
プロデューサーは気づかされる。意図せず集めたこの四人は、765の面々でも特に自分の世界観が確立している。
彼女たちは盲目的ですらある。だからこそ、番組が面白くなる確信があった。
四人は、自分自身の世界をぶつけあうべく、世の中に問うべく、舞台へと向かう……。
ロコ『現在ロコは北陸のあるワークショップに……』
ロコがプロデューサーに手渡したビデオがスタジオに流れる。
どうやら、これから日本刀の製作にとりかかるらしい。ロコのまわりには小槌や火箸など必要な道具が広げられている。
『おい、ロコ!横文字使うんじゃねえ!ここは鍛冶場だ!』
ロコ『はっはい!親方!すいません!』
背後から聞こえる怒声の主である親方とやらの姿は見えないのに、ロコはピンと背を伸ばし、
ロコ『親方に怒られてばっかりです……でもロコはネバーギブアップですから!』
そう言ってロコは木炭で熱した鉄塊を炉から引きずり出す。
ロコ『今から行うのは火造りと呼ばれるプロセスです』
高温で赤々とした金属をロコが叩き始める。打ち付ける度に金属がぶつかり合う音が響く。
カーン、カーン、カーン……次第に映像がブラックアウト……。
ロコ「ということです。タイムスケジュールの都合で全てを見せられなくて残念です」
司会「……はあ」
ロコ「ロコのアーティスティックでイモータルなエッセンスを存分に練り込んだ、妖刀ムラマサです!」
ロコは鞘から剣を抜く。蛍光ピンクのギラギラとした刀身と特徴的な刃紋が目を惹く。
千早「……これが日本刀?」
ロコ「正確に言えば、イリーガルなことをするわけにはいきませんから、物を切ることができません。本当は作製するのにガバメントのライセンスが必要です。テレビの前のみんなは真似しないでください」
ジュリア「真似できるかよ!」
司会「ええと、プログラムによりますと、この後ロコちゃんには剣舞を行っていただきます」
ジュリア「……大丈夫か、この番組?」
まつり「行き先が不安なのです……」
ロコ「ここはロコだけのイマジナリースペース……刀と一体化したロコのインナーユニバース……」
BGMが流れる。荒々しくも静と動を内包した〈禅〉の響き。
千早「海童道祖の法竹ね。法竹は特殊な尺八といったらわかりやすいかも」
ジュリア「よく知ってんなチハは……」
まつり「あっ、ロコちゃんが剣を振り始めたのです!」
ロコは袈裟斬りの要領でピンクの得物を振り下ろす。照明が反射してギラリとスタジオに光が駆け抜ける。
返す刀で一歩踏み込み、正面のエメラルドグリーンの異形のオブジェを叩き割る。
ガラスの割れる音。飛び散る破片に差し込む光が乱反射する。静と動、破壊と創造……。
ロコは再び鞘に剣を戻す。すると天井から、木の葉が三枚ふわりと降りてくる。
ロコは目を瞑る。スタジオは一瞬の静寂に包まれ、固唾を呑んで見守る。
辺りを完全な沈黙が包んだ頃合いに、葉はロコの手が届きそうな位置まで降りていた。
目を見開いたロコは剣を振るう。神速の軌跡が三本描かれたかと思うと、木の葉は散り散りになり地面に着地した。
落ちた木の葉は十二枚に分割されていた。計算が合わない。
ジュリア「……切れないんじゃなかったのか?」
まつり「ブラボー!なのです!」
呆気にとられていた司会とジュリアと千早は、マツリの歓声に気づきロコへと拍手を送る。
司会「ありがとうございましたー、ロコちゃんでした。いやー凄い迫力でしたね」
司会はそう言ってこの場を締めようとしているが、ロコはまだ刀を構えて緊張を解こうとしなかった。
その瞳をよく見ると、
ジュリア「あれ、ロコ、カラコンなんてしてたっけ」
千早「控室ではしてなかったと思うけど……」
まつり「瞳がピンクに光ってキレイなのです」
千早「……野球の硬球?」
ボールがロコの間合いに入ると、
ロコ「ヤッ!」
ロコは再び閃光を走らせ、ボールは真っ二つに。そして、ロコの瞳は更に輝きを増し怪しげな雰囲気を帯びる。
ジュリア「なんかマズくないか?」
ジュリアの予感の直後、剣先の逆側からプロデューサーが一気にロコへと距離を詰めて、額を小突く。
その瞬間、ロコの纏っていた力場のようなものが霧散して、
P「……時間」
ロコ「あっ、わっ……こ、これは……アディショナルタイムです!」
P「ロスしたのは収録の時間だ!」
ロコ「ご、ごめんなさいぃ!」
激怒したプロデューサーはロコを引っ張っていく。既定の時間から数分が過ぎていた。
千早「プロデューサーってあんな怒り方するのね」
まつり「怖くてぶるぶるなのです……」
ジュリア「うーん……あの刀、本当に妖刀じゃ……」
ジュリア(あの空恐ろしさは只事じゃなかったぜ。プロデューサーが現れなかったらどうなったことやら)
ジュリア「というか、やっぱり只者じゃないな……」
「やってしまった」……ロコは後悔していた。
自分の世界観を表現できていた……そう思っていた。
時間を過ぎてしまったのはきっと些細なこと。プロデューサーも許してはくれたし……。
でもその後スタジオに戻って、インタビューを撮影したときに、
司会者『ロコちゃんは、なんだろう、刀系アイドル?』
そう問われたときに、伝わってなかったのだと、気づいてしまった。
ロコ『違います!ロコは、総合的なアーテイストなんです』
おどけて、明るく、そう言い放った。今の言葉は伝わっていると、いいんだけど。
千早「伴田さん、お疲れ様」
そういって、千早はステージに向かった。
ロコ(鋭く集中した表情は、きっと、ロコの打った思念の刀よりも切れ味の良い……)
P「ロコ」
ロコ「あっ、プロデューサー……もう怒ってませんか……?」
P「一度言えば解ってもらえる、ぐらいには信用している」
ロコ「……はいっ!」
P「次は千早の番だから、よく見とけよ。ジュリアもまつりも」
ジュリア「あったりまえだろ」
まつり「了解なのです!」
千早はステージの正面で立ち止まり堂々とカメラに目線を向ける。
司会「ええと、次は人気急上昇中の如月千早ちゃんです」
千早「如月、千早です。私には歌しかありませんから、やっぱりここでも唄わせていただきます」
司会「では、お願いします。千早ちゃんでL・O・B・Mです、どうぞー」
ジュリア「……意外な選曲だな」
まつり「千早ちゃんのかわいい顔、珍しいのです」
P「なかなかの言い草だな。千早だって笑顔になれないわけじゃないぞ」
ジュリア「これはアンタのアドバイスなのか?」
P「そうだな、相当悩んでたから」
ジュリア「ふーん……」
P「挑戦してみろってことなんだ」
まつり「新しいことに……なのです?」
P「それもあるけど……前提がある。伝わるような努力をしたほうがいいんじゃないかと教えたんだよ」
P「さっきの内容が悪いわけじゃない。けど、誰に向けているのかは重要だ」
ロコ「難しすぎたんでしょうか」
P「そうかもな。でも見てくれている人はきっといる」
ジュリア(少なくともそう思わないと救いようがないぜ……)
千早がオケに合わせて声を出し、唄い始める。
まつり「朗らかで……こっちまで楽しくなってくるのです!」
ジュリア「あんな楽しそうに……いつの間にこんな雰囲気をだせるようになったんだ?」
はたまた、ロコのように何か事が起こったらすぐに止められるように。
その視線の意図にジュリアは気づいて、
ジュリア「……そうやって皆のことを見てるんだな」
P「危ういやつばっかりだからな」
ジュリア「……あたしも?」
ジュリア(その問いかけにあたしはどんな答えを望んでいたんだろう……プロデューサーは答えてくれなかった)
千早はにこやかな表情を崩さず唄い切る。綺麗なお辞儀をして、撮影セットから去る。
司会「ありがとうございましたー!如月千早ちゃんでした!」
千早「プロデューサー、どう……でしたか?」
P「ああ、しっかり作れていたよ」
ロコ「自分のワールド……ですか?」
千早「ええ……ある意味そうかも」
ジュリア「……表情だろ、作ってたのは」
千早「……その通りね」
ジュリア「なんだよ、思った通りに唄うんじゃないのかよ」
千早「思った通りに唄ったわ。私が思った通り……あの表情が曲に対して正しいわ」
ジュリア「でも……心からそう感じていないと意味ないだろ」
まつり「さっきのは……作り笑いだったのです?」
ジュリア「それでいいのかよ?」
P「曲に相応しい表情が想像できるだけで、それは心で感じているってことで……それでいいじゃないか」
そのやり取りをみていたロコは「うーん」と唸る。
ロコ「……なんだかディフィカルトに捉えすぎではないでしょうか?とりあえずはお客さんにそう見えればいいのではないでしょうか」
P「そうだロコ、一番大切なのは見ている人に伝わることだ」
ロコ「……ああ!なんだかやっと解りました……」
千早「伴田さん、一体なにが解ったの?」
ロコ「ロコのステージは……見てくれる人に、ロコの意図したことが伝わりづらかったのかもしれません、ほんの少しだけ」
ジュリア(……少し?)
千早「……あの、よくわからないのだけど」
ロコ「つまり、今日のチハヤは歌だけじゃなくて、ステージに臨む姿勢もワンダフルだったんですね!」
まつり「わーお!びゅーてぃほーなのです!」
虚を突かれたような褒め方をされたからか、千早は頬を赤らめている。
P「偉いぞ千早ちゃん」
千早「ちょっと、変な呼び方しないでください!」
千早がむくれている間に、機材のセットが完了したようだった。スタッフがスタンバイの合図を出す。
P「さて、まつり、ジュリア、出番だぞ」
ジュリア「……よし、ついにこの時が」
まつり「ジュリアちゃん、ここは華麗にカッコよく決めてしまうのです」
暗いセットの真ん中に二人の影と二本のマイクスタンド。
ギターを持ったジュリアの後ろにはギターアンプの壁。
光が灯り、二人がカメラの映像に現れる。
正面のスタッフが指でカウントする、三、二、一……
ジュリアが腕を振り下ろし、リフを奏でる。
まつり《ワン・ツー・スリー》
ジュリア・まつり《ヴァイ!!!》
まつりがメインボーカル。ジュリアはギターをメインにコーラス程度で……。
ところが今、二人は肩を並べ、正面を切って唄っている。
まつりとジュリアの妖しげな表情。この曲での春香の豹変ぶりをありありと感じるかのよう……。
千早「なんでしょうか?」
P「唄っている時より楽しそうだぞ」
千早(春香の曲……だから?)
春香の表現にいつも憧れていた。自分を固めずに、何にだって成りきれる姿に感嘆を抱かない日はなかった。
千早(でも私はダメみたい)
自分以外の何かに成ることは難しかった。それに、本気でそのものに成れば、もう元の自分には戻れないような予感がした。
千早(この曲調でも春香は、春香のままだった)
いつもそう。メディアに見せる姿は、春香以外の何かで、同時に春香であって……
千早(それこそが才能……私の歌なんて目じゃないぐらいの……)
白いレースとフリルのスカートが遠心力で浮き上がる。
こういう番組はあてぶりが多いけど、今回は生演奏にこだわるんだ、なんて言ってたかしら。
カメラがまつりを煽りで捉える。
まつりは歌の世界に入り切っており、威圧的でありながら艶やかな表情を見せる。黒地の手袋で自分の唇をなぞる。
千早(徳川さんも、きっと春香みたいに、成り切れるタイプ……)
普段のふわふわとした雰囲気がアイドル・徳川まつりだとしたら、一体今の表情は何になるのだろうか。
いや、と千早は思い直す。今だって、まつりそのものだろう。人は誰しも場面によって自分を演じ分けているはずだ。
千早(じゃあ私は……一体何を演じているの?)
心のなかで、私は〈如月千早〉であろうとしているのかもしれない。
司会「はい、ありがとうございます!思わず跪きたくなる雰囲気は本家顔負けでした」
司会「いやはや、アイドルだけに括るのは勿体無い皆さんでした。さて、ここで再び四人に登場してもらいましょう!どうぞ!」
四人がそれぞれの収録の姿のままカメラ前に並ぶ。
司会「それぞれ一言いただきたいと思います……まず、ロコちゃんから」
ロコ「ロコです!今日お見せしたのは、想い溢れるロコイズムの一端で……
これからもっともっとロコの表現を皆さんににお見せして……ロコの事を知ってもらいたいです!」
千早「如月千早です。前から私を知ってくださっている皆さんには意外な一面をお見せできたと思います。
でも、私はいつだって全力です。そして今日、初めて知っていただいた方、
もし気に入っていただければ、私の他の歌も聴いていただけると幸いです」
まつり「徳川まつりなのです。まつりとジュリアちゃんの歌、気に入ってくれましたかー?
わんだほーでびゅーてぃほーな空気を感じてくれたら、きっとまつりとお友達になれるのです!
今日はありがとうございました!」
ジュリア「ジュリアだ!心を震わせられるようにって考えながらずっとやってきた。
そうじゃないならあたしに価値はない、そういう意気でやってる。もし届いていたら……ありがとな」
司会「四人から挨拶いただいたところで、今回はお開きです。それではまた来週!」
司会『それではまた来週!』
数日後、765プロの休憩スペースで、四人が出演したテレビ番組の上映会が行われた。
テレビを取り囲むのは三人のアイドルと一人の事務員だった。
風花「ちょっと、小鳥さん、鼻血でてますよ!?」
小鳥「ふ、ふふふ……、やっぱりうちの子達は最高ね……」
伊織「うちの子って、まるでアンタの娘みたいな言い草ね」
小鳥「ちょっと、流石にまだそんな歳じゃないわよ!?」
麗花「なんだか、みんな凄いですね~」
伊織「そりゃ、うちでも屈指の実力者を集めてるんだろうから当然でしょ……この伊織ちゃんが選ばれなかったのは、ぜんっぜん納得行ってないけど」
麗花「そういう基準で選びましたか、プロデューサーさん?」
麗花はデスクの方に顔を向けてプロデューサーに問いかける。
風花「あの……それは一体どういう意図で……」
P「……バランスをとるため」
風花「いったい何のバランスなんですか!?」
伊織「千早に聞かれたらきっと刺されるわよ、あんた……」
小鳥「ところで、プロデューサーさん、反響とかどうだったんですか?」
P「視聴率は深夜帯にしてはかなりよかったです。内容についても、懸賞付きのアンケートとったので、たくさん感想をもらえましたよ」
麗花「それでそれで、どんな感想があったんですか?」
伊織「私が読むの?しょうがないわね……」
伊織『千早ちゃんの歌、すごく良かったです。楽しい印象の歌だったのに、なんだか聴いてるだけで涙が出てきちゃいました。これからも応援します』
伊織「良い感想じゃないの」
P「概ね同意するけど、なんか引っかからないか?」
麗花「楽しいのに涙がでる……玉ねぎ?」
風花「それは関係ないと思うけど……」
伊織『まつりちゃんとジュリアちゃん、超カッコ良かったです!それでいて可愛くって、二人の歌とダンスと服装と、あとギター……すごく憧れちゃいます』
伊織「これは女の子からよ」
麗花「確かに、あの二人の真似はできないですね……」
風花「私も、この子と同じ意見です!もうかっこ良すぎて……」
小鳥「色々と大変だったんですよ、準備が……資金的にも」
P「そこは大丈夫ですから……チャンスに突っ込んでいかないと、持ち腐れちゃいますから……社長の承認もらいましたし」
麗花「大人の話をしてますね?私知ーらないっと♪」
伊織『ロコちゃん、なんだかよくわからなかったけどすごかったです』
P「……これも」
伊織『ロコちゃん、高度すぎました!』
風花「……なんだか見てる人には難しかったみたいですね」
麗花「えっ……私は全然わからなかったです!」
伊織「誇らしげに言わないでよそういうこと……」
P「否定的な感想は少なかったけど、どう捉えたら良いのやらって皆が思っているらしい」
小鳥「あの、このことはロコちゃんに話しちゃったんですか?」
P「ええ、話しました」
風花「……素直に伝えるべきことだったんでしょうか」
伊織「私は、伝えるべきだと思うわ。それを見つめないとぬるま湯の中でいつまでも成長できない……」
麗花「でも、ロコちゃんの意図を解ってくれる人もきっと居ると思います」
P「そうならいいけどな……」
小鳥「ロコちゃんに宅配便です。多分、ファンの方からだと思います」
P「確認してみます……送ってくれたのは……なんか見たことある名前だな」
伊織「空けてみなさいよ。荷物チェック必要でしょ」
P「ああ、そうだな……」
風花「なんでしょうこの妖しげなオブジェは……」
麗花「謎のオーラを纏った……ハニワでしょうか?」
P「この送り主の名前……!そうだ……すいません音無さん、ちょっとロコの所行ってきます」
小鳥「どうしたんですか、急に?」
P「これはすぐに届ける必要がありそうですから!」
日の当たる屋内、ロコのアトリエ、郊外のアトリウムの一画。
ロコは番組出演前からとりかかっていた作品を完成させるべく、無言で筆を走らせる。
脇ではピンクの日本刀が陽光を反射して妖しく輝いていた。
しかし、番組最中の異様な邪気はもう放たれてはいなかった。
ロコ「プロデューサーから聞いた話だと、やっぱり私のアートは……」
暗い気持ちがロコを包み込んでしまう。思わず筆を止め、頭を抱える。ステージが解りづらかった、というのは自覚できていたものの……。
ロコ「それでも……」
ロコ(本当に、誰も……わかってくれなかったんでしょうか)
ロコ(だったら、ロコがやってきたことの意味は……)
ロコ「……孤独です」
P「おーい、ロコ、進んでるかー」
ロコ「プロデューサー……進んでますけど、まだ時間がかかりそうです」
P「おお、そうか……。ところで、プレゼントが来てたんだ、初めてだろ?」
ロコ「ほ、本当ですか!?」
P「ほら、一緒に入ってた封筒……とりあえず中身読んでみ」
プロデューサーはロコに封筒を手渡す。きっとロコの事を思って選んだのであろう、珍しい柄の封筒と便箋だった。
ロコ「センス抜群の人ですね、きっと」
ロコちゃんへ
初めてお手紙書きます。ファンレターなんて書いたことが無いものだから、変な文章になったらごめんなさい。
先日の番組、拝見させていただきました。現代的な色彩感覚と日本古来の刀剣との融合、お見事でした。
それにロコちゃんの剣舞も混ざって、誰にも真似できない表現になっていましたね。
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ロコ「うぅ、うっ……」
ロコの瞳からは静かに涙が滴っていた。
P「……報われたな」
ロコ「この人、こんなにロコの意図を汲みとってくれて……感激です……」
P「そうだな、本当に良かった……。ところでさ、差出人の名前……見たことないか」
ロコ「!!……こっ、この人の個展、前に行きました!プロデューサーが券をくれた……」
P「上野でやってたやつだろ?女性画家だっけか」
ロコ「……」
P「……どうしたんだへたり込んで」
ロコ「なんだか、よくわからないですけど……体の力抜けちゃいました」
P「そうか……ともかく、これでもっと頑張れるだろ」
ロコ「もちろんです!」
P「……だけど一つ忠告がある」
ロコ「何ですか?」
P「カタカナ語、忘れてるぞ……」
それから一週間後、ロコの絵は無事に完成した。
ジュリア「で、もったいぶって、布かけちゃってるのか」
ロコ「会場のボルテージをマキシマイゼーションするためには当然です!」
千早「会場と言っても……」
P「いつものロコのアトリエじゃないか」
光り差すアトリウムの中にある、ロコだけの空間。今日もやわらかな陽が降り注いでいた。
ロコ「おほん……それではロコのステイト・オブ・ジ・アートをお見せします」
ジュリア「?」
P「最先端って意味だな」
ロコ「モデルは特に誰かいるわけではなくて、どこにでも居そうな女の子を描いたつもりです」
ロコ「マテリアルは特にこだわりました!ラグジュアリーなパステルカラーを……」
ロコが自分の作品へのこだわりを長々と喋る。
千早「伴田さん……そろそろ布を取って作品を見せて欲しいのだけど」
ロコ「わっかりました!それではご覧あれ!」
ジュリアの身長と同じぐらいの高さまであるボードにかかった布が剥ぎ取られる。
白い布はロコに引かれて、靡いて、はらりと床へ落下する。
カンバスには一人の少女が描かれていた。
ジュリア「頭にリボン二つ……かわいい女の子だな……ん?」
P「……」
千早「春香……?」
ロコの描いた等身大の絵の少女は、天海春香に瓜二つだった。
今にも動き出しそうな躍動感のある絵……その顔はにこやかで、降り注ぐ陽光よりも明るく、見た者全てを虜にするであろう、まぶしい笑みだった。
春香『私の大事な人達……家族、友達、ファンのみんなに届くように唄います……。【キミはメロディ】!』
ジュリア「天海春香……か」
ジュリアは事務所のテレビを何の気なしに眺めていた。昼時のワイドショーにはどこか春香が不釣合いのように思えた。
先日のテレビ出演で唄った『I Want』を研究するために、ある程度春香のことを下調べしていた。
いつも元気で明るくて、少しドジで一日一回転ぶ……そんな情報がネット上に踊っていた。
一方で時折見せる、『I Want』のときのようないつもらしくない表情、きっとそれすらも春香の魅力なのだろうとジュリアは分析していた。
千早『春香の魅力……?自然と何にでも成れるところかしら。少なくても、何にでも成れているようにみえるところ……』
ジュリア(なんてムズカシ―ことを言っていたけどさ)
実際に春香の歌を唄った身からすると、その感覚はとても理解しやすいものだった。一方で、
ジュリア「解せないのは……」
ロコの絵だった。ロコが描き上げたあの絵は、天海春香にそっくりだった。あの後ロコに聞いてみたところ、
ロコ『アマミハルカ……知らないです』
と、キョトンとしていたから、本当に知らなかったのだろう。そもそも嘘をつけるタイプじゃないし、つく意味もないのだから。
ロコ『ただ、確かにアイドルをイメージして描いてはいます。アイドルのデイリーライフ……誰にも見られていない日常の一コマのつもりです』
ジュリア「それに、あの時のプロデューサーの顔……」
ほぼほぼ無表情、ロコの作品に対して大体は手放しで褒めている印象だったのに。強いて、あの表情を分類するとすれば……やはり、
ジュリア「後悔……、自責……」
話せない何かがあったのかもしれない、とジュリアは結論付ける。
立て付けの悪い事務所の玄関ドアがギイギイと音を立てて開く。
P「ただいまー」
ジュリア「……家かよここは」
P「おお、ジュリアじゃん」
ジュリア「……居たら悪いか?」
P「なんだよ、つっけんどんに……」
ジュリア「隠し事しちゃってさ」
P「……?」
P「ああ、午前中に届いてたよ」
ジュリア「本当か!?ピッカピカになってるといいんだけどな~」
件の番組から一ヶ月後、ついにジュリアの単独ライブ開催が決まった。
そのため、ステージ機材の見直しが行われ、その際、目についたのがジュリアのギターだった。
ジュリアは普段からギターを大切に扱うものの、長年使用してきたためところどころ汚れや傷が目立っていた。
ジュリア「いやいや、事務所でリペアに出してもらえるなんてさ~……助かるよ」
P「これからも長く使うことになるだろうしさ」
ジュリア「……まさかこれで事務所の備品になったりしないだろうな?」
P「大丈夫、大丈夫、そんなことないから……」
ジュリア「よし、これで心置きなく弾きまくれるぜ……。それでさ……どこに?」
P「デスクの横に……ってあれ?」
ジュリア「影も形もありゃしないぜ」
P「ギターが一人で歩き出すってことは……?」
ジュリア「んなわけあるかー!」
真美「たっだいまー!」
響「ただいま!」
やよい「ただいまー」
律子「あんたち……家じゃないんだから……」
真美「いやいや、律っちゃん……真美にとって765プロは第二の故郷なのですぞ」
真美の言葉にうんうんと頷く響とやよい。
律子「ま、確かにそうかもね。私なんて事務の手伝いでここに来ない日は無いし……」
P「765プロ住民の皆さん、おかえりー」
律子「なんか引っかかる言い草ね……」
P「いやいや、今認めてたじゃないか」
ジュリア「ギター……知らないか?」
響「もしかして、無くしたのか?」
やよい「た、大変です!」
ジュリア「リペアに出してたのが午前中に戻ってきたってプロデューサーが言ってるんだけどさ」
律子「プロデューサー、どこにやったんですか?」
P「いやいや、確かに置いといたんだけど……」
律子「ギターがジュリアにとって大切なものだって解ってますよね?少なくとも渡すまではあなたに責任があると思いますけど」
P「……面目ない」
真美「そうだ!真美たちが仕事してたときに亜美からメッセージが来てたんだけど……」
ジュリア「何か関係ありそうなことだったか?」
真美「うーん、多分……ね。これなんだけど」
そう言って真美は亜美からのメールを見せる。熊とギターの絵文字に力こぶが三つ。それだけ。
やよい「『ぷぅちゃんのギター、めっちゃかっこいい』?」
真美「その通りだよやよいっち!さっすが亜美検定一級の持ち主っしょー」
律子「何なのよその検定は……」
P「資格マニアの律子が知らないとは……、ちなみに俺は二級持ってるぞ」
真美「えー、兄ちゃん、なんで真美に黙って取得してるのさー!真美の目がグロいうちは亜美に手を出させないんだかんね!」
律子「なんだか色々ツッコミどころがあるけど、面倒くさいからもういいわ……」
ジュリア「なあ、リツ姉、いつもこんなノリの相手してるのか……?」
律子「あったりまえでしょ!亜美検定なんて甘い甘い、私なら亜美真美検定十段になってるところよ!」
やよい「律子さん、名人だったんですねー!」
P「やよいの純粋な目を見てたらなんとなく罪悪感が……」
ジュリア「……ともかく、まずは目撃者の亜美に聞きこみ調査だ!場所は?」
真美「いつものボーカルレッスンのスタジオかな?」
ジュリア「プロデューサー、車を!」
そう言ってジュリアは、映画のタイトルの様な格式張ったセリフでプロデューサーを引っ張り出す。
ジュリア「ギターが無いと落ち着かないって言ったけどさ……」
プロデューサーは車のハンドルを握る。ジュリアは後部座席で赤い光沢が目立つギターを手にとっていた。
P「事務所にあったやつだけど」
ジュリア「ボディに穴が開いていて……肉抜き?」
P「アルミボディだ」
ジュリア「削ってるのに重いのはそのせいか……、ギターシンセにサスティナー……
こういう、わちゃわちゃとくっついてるのってあんまり好きじゃないんだよな」
P「そんなこと言わないでさ。人気者になったらギターのタイアップとかくるかもしれないぞ」
ジュリア「……そうだな」
気の抜けたジュリアの返事。車は大通りを左折し、細い路地へと入っていく。
P「どうしたんだ」
P「今更か……」
ジュリア「だって、望まない仕事だってくるかもしれないだろ?アーティストだって言い張れば突っぱねることもできるかもしれないけど、
アイドルじゃニコニコしてこなさないとならないだろ」
P「アーティストだったら突っぱねてもいいのかわからんけど、アイドルだって武士は食わねど高楊枝を決め込んだっていいんじゃないか」
ジュリア「でもさ……そうやって扉を閉じちゃったら、出会えるものにも出会えないんじゃないかって思ってさ」
P「いつかの千早に聞かせてやりたい言葉だな……」
車がスピードを落として、レッスンスタジオの前に止まる。
ジュリアは完全に停車する寸前にドアハンドルに手をかけ、すぐさま外へ飛び出す。
桃子「それで、お兄ちゃんがジュリアさんのギターを無くしちゃったってこと?」
朋花「プロデューサーさん、責任とらないとだめですよ~」
亜美「兄ちゃん、インセキジニンしちゃうの!?流れ星になっちゃうの?」
P「そうはなりたくないもんだから探しに来てるんだけどさ……」
ジュリア「亜美が事務所であたしのギターを見たっていうから、ここまで来たんだけど」
亜美「……うん、見たよー、ピッカピカでチョ~かっちょよかったよー」
桃子「その時って、亜美さん以外に誰かいたの?」
朋花「事務所いた方が容疑者になってしまいますね~」
ジュリア「うーん、ギター持ち去るやつなんていないと思うんだけどな……」
亜美「ちょいまっち。今、亜美のノーミソから記憶を振り絞るからね……てい!」
真「小鳥さん!これってもしかしてジュリアのギターですか?」
小鳥「ええ、そうよ、メンテナンスを業者さんに頼んでいたみたい。さっき戻ってきたのよ」
亜美「まこちんもぷぅちゃんみたいにギターバリバリ弾いてみたいカンジ?」
真「そりゃ、叶うんだったら弾いてみたいけど、楽器は触ったことないからなー」
雪歩「ジュリアちゃんだって猛練習してるんだから、追いつくのは難しいよね……でも見てみたいな、真ちゃんがギター弾くところ」
真「うーん、そんな困るリクエストをされても……」
小鳥「ごくり……私も見てみたいわ……」
亜美「なんだったら、765プロでバンドを組んじゃえばいいんじゃないのー?」
真「それ面白そう!……実際にできるかは別として」
小鳥「ふふっ、妄想するだけだったら……タダじゃないかしら」
亜美「ピヨちゃん、そんなとろけたような顔してたらますますお嫁に行けなくなっちゃうっしょ~」
小鳥「もういいのよ、私は……みんなの可愛らしい姿を毎日拝めるだけで十分幸せ者なのよ……」
真「雪歩、なんだかやる気だね……」
雪歩「例えば……琴葉ちゃんは?」
亜美「琴葉お姉ちゃんは……そうだ、バイオリンかな~」
真「うーん……それっぽいね。じゃあ、千鶴さんは?」
亜美「……キハーダかな」
雪歩「何それ?」
亜美「ゆきぴょん知らないの?サブローのヨサクのヘイヘイホーのときに鳴るカーッって音だよ!」
小鳥「そんなニッチな楽器があるのね……一体どんな楽器?」
亜美「ええっとね……からだなる?がっきにぶんるいされる……」
真「……ケータイみて何を読んでるの?」
亜美「もちろん、ウィキペーイディアっしょ~」
雪歩「なんでそもそもそんな楽器を知ってるのかな……」
亜美「昨日千早お姉ちゃんに、ヘンな楽器無い?ってしつこく聞いてたら教えてくれたんだよねー」
小鳥「きっと、千早ちゃんなりに真面目な回答だったのよね……」
亜美『おーほっほっ!これが私の家の広大な敷地に落ちていたキハーダ……つまりロバの顎ですわ!おーほっほっ!』
真「わざわざ千鶴さんのものまねをしなくても……っていうか、ロバの顎!?」
亜美「そだよー、骨らしいよ」
雪歩「ロバの骨を持った千鶴さん……想像できないですぅ……」
***
ジュリア「見事にギターへ繋がるヒントがないぜ」
朋花「プロデューサーさん、退屈そうですね?寝たらだめですよ~」
P「痛っ、朋花、おしりつねらないで……」
ジュリア「うーん……とりあえずはユキかマコを探すか……」
P「あの二人は、午後から一緒の仕事だったはず。急ぐか……」
桃子「お兄ちゃん……」
P「なんだ桃子」
ジュリア「だって、現に無いんだし」
桃子「どうも見当違い……灯台下暗しって知ってる?」
P「……今日、学校で習ったのか?」
桃子「もう、またそうやって子ども扱いして!」
亜美「いやいや、ももーんはまだまだ子どもじゃないとだめだよー」
桃子「亜美さん、それどういう意味?」
亜美「ももーんが本当にオトナになっちゃったら、全国のファンの皆が
『ああ、俺の娘こと桃子が……がっくし……』ってなって、日本人の労働意欲がキケンでヤバいことに!」
P「ううっ……桃子、大人はまだ早いからな……」
ジュリア「ここにも変な大人がひとりいるぜ……」
朋花「……プロデューサーさん、今度おしおき部屋……101号室ですよ♪」
桃子「とにかく、桃子が言いたいのは、もう一度事務所を調べた方がいいんじゃないのってこと」
ジュリア「確かにそうだな……」
P「じゃあ、とりあえず小鳥さんに連絡しておくよ」
レッスンスタジオを出た二人は車に乗り込む。
空には青と白がそれぞれ七分三分。遠くに積乱雲が見える。
ジュリア「電話は?」
P「事務所につながらないから、誰も居ないのかも」
そういうとプロデューサーは、おもむろに鞄からタブレット端末を取り出す。
ジュリア「……ゲームでもやるのか?」
P「違う違う……在席情報を見るんだよ」
ジュリア「へー、そんなことできるんだな」
P「律子がぱぱっと作ったんだよ」
ジュリア「リツ姉、そんなことできたのか!?」
P「ああ、なかなか色々な引き出しもってるからな律子も……前にCDの売上予測ソフトとか作ってたし」
ジュリア「ともかく……事務所に戻るか、ユキとマコを追いかけるか……」
P「事務所に戻っても誰も居ないんじゃ仕方ないしな。二人は夕方から国分寺の駅前でライブイベントだ」
ジュリア「じゃあ……二人を追いかけようぜ」
幹線道路を信号に捕まりながら徐々に進んでいく。
ジュリアはアルミギターにミニアンプを接続して、弦を弾く。
ジュリア「うるさくないか?」
P「いや、うまいし、特に気ならない……聞いたことない曲だな」
ジュリア「そりゃそうだ、あたしが作った未発表のやつだから」
P「制作中、というわけではなさそうだけど……なんで公開しないんだ?」
ジュリア「……大した理由はないさ」
プロデューサーはウインカーを上げ、青矢印に従って車を右折させる。
ジュリア「……このまま真っすぐ行ったらどうなるんだろうな」
P「ずっと行けば八王子まで……」
ジュリア「いや、そういう意味じゃないんだ」
ジュリア「ああ……そんな大層なものじゃないんだけどさ、もしかしたら違う景色があったのかも、なんてさ」
P「……やっぱりアイドルは嫌か?」
ジュリア「いや……きっと面白いんだろうなって、みんなを見てたら解る。でもさ、いざ自分のこととなると」
P「まだまだアイドルである意味を探す時間はあるさ。もちろん、こっちでもジュリアがそれを見つけられるようにサポートするけど……」
車が赤信号で停車する。エンジンの回転数が下がり、耳に入る音も変化する。
ジュリアは窓から車の外に視線を向ける。そこに見知った顔を見つけたものだから、ギターをミュートして、
ジュリア「なあ、あれ、チハじゃないか?」
P「ああ、そうみたいだ」
ジュリア「なんか公園みたいなところに入っていったけど、ここは……墓地?」
ジュリア「墓参りって時期でもないけど……どうしたんだろ、プロデューサー知らないか?」
P「……色々あるんだろ」
ジュリア「またそうやって隠す……あたしってそんなに信用ないのかよ」
P「触れられたくない場所、深くにしまっておきたい出来事……生きてりゃ一つや二つぐらい持っちまうさ。お前にはないのか?」
ジュリア「あたしには……ないけど」
P「何だ妙な間は……いや、詮索するつもりは無いんだ」
ジュリア「話したくなったら話すよ」
P「そういうことだよ。千早だって話したくなったら話してくれるさ、きっと」
ジュリア「ずけずけと出張って嫌われたくはないしな」
P「もし力になりたいなら、ちょっとずつ近づけばいいさ。時間はまだまだあるんだから」
ジュリアはプロデューサーの含みのある言葉を訝しむ。
ジュリア(プロデューサーの言う『時間』って一体何だ?ただ単に、あたしたちの方が若いからってことか?)
逆に言えば、プロデューサーは何かしらの出来事について時間が残されていないのかもしれないと、
ジュリアはなんとなく悟ってしまった。
ジュリア「プロ・アマ合同音楽祭?」
P「ああ、ここの駅前はかなり人通りが多いし、きっと目立てるだろうなと思ってさ。雪歩と真をデュオで突っ込んだってわけよ」
到着がステージの始まる直前になってしまったから、ギターの行方を尋ねる余裕がなくなってしまった。
雪歩と真に見学してるとだけ伝えて客席からステージを見守ることになった。
P「次の次だな」
ジュリア「次は……高校生のガールズバンドか」
五人の少女たちがステージに現れ、楽器のセッテイングを始める。ギターが二人に、ベース、キーボード、ドラム。
あまり場慣れしていないのかスタッフに頼りながらセッティングを完了させたようだった。
ステージの中央に立つギターボーカルの少女は学校名とバンド名を名乗り、「それでは聞いてください」と観衆に声をかける。
少女たちは顔を見合わせ微笑む。正面を向いて、ドラムスがワンツースリーとリズムを取り、演奏が始まる。
ジュリア「荒削りだけど、心に来るな……あの子たちは人を元気づけられるんだろうな」
P「こんな分岐もあったんじゃないか」
ジュリア(車の中でのウインカーの話……もし真っ直ぐに進んでいたら……)
ジュリア「あたしが、あんな輪の中に?」
同世代の子と、何か目標に向かって音楽活動を続ける……素直に魅力的だとジュリアには思えた。
プロデューサーはそれを悟ったのか微笑む。今現在のジュリアの心境までも見透かしたかのような笑みだった。
『アイドルをやりたい』とプロデューサーに伝えてあげたかった。
でも理由は見つかっていない……だからそんな嘘は付けない、それほど器用な人間じゃない。
ジュリア「わかんないや」
P「……」
ジュリア「これからやっていく、意味、理由……」
ステージ上でリードギターの少女が、ギターをキャビネットに向ける。
スピーカからの音でギターが震え、フィードバックで発振した高い音が響く。
ジュリア(パンクが好き、ギターが好き、音楽が好き……これでメシを食って行きたい)
ジュリアは心からそう思う
ジュリア(けど、具体的にどうしたら良いかなんて、まだ解っちゃいなかったんだ)
ジュリア「……まだまだ子どもだな」
P「何考えてるのか知らないけどさ、一応大人もいるから頼ってくれよ」
ジュリア「ははっ、それもそうだった!」
少女たちは演奏を終え、再び見つめ合い退場していった。
次にステージに立つのは、我らが765プロの二人のアイドル。
真「こんにちは!菊地真です!765プロダクションというところから来たキャッピキャピのアイドルです!」
真に答えるのは黄色い声援が多い。
雪歩「萩原雪歩です……。よ……よろしくお願いします!」
雪歩への声援はやはり男性の声が多い。その勢いに雪歩はやや慄いているものの、
通りがけに足を止めた老婆であったり、小さな子どもであったり、そんな老若男女問わない歓声も聞こえてくる。
真「曲は……」
真・雪歩「Welcome!!」
雪歩と真のコンビネーション、歌唱力、ダンス、掛け合いで徐々に場は熱気を帯びてくる。
P「ジュリアも、わりと同性人気出てきそうだよな。そういう意味では真寄りか」
ジュリア「あたしはあんまりファン層とか気にしないけど」
P「だけど、この間の番組で色んな衣装が似合いそうだってわかったし、雪歩路線も……」
ジュリア「残念ながら、か弱いタイプじゃないんでね」
P「そうだな……あれでいて雪歩も芯の強いところだってあるし」
ジュリア「なんとなく解るよ……本当に弱い子なら、ステージに立つことなんてできないはずだ」
あの場所に立てる者であれば、無条件に強さを兼ね備えている。
ジュリア(だから、弱いのはあたしだったんだ)
ジュリア(マツリに主役を押し付けようとしていたあたしは、アイドルとして戦おうとすらしなかったんだ)
ジュリア「本当に、逃げていっちゃったのかな、ギター……」
P「なんでそんな風に思うんだ」
ジュリア「楽器ってのは、演奏者の心を敏感に読み取ると思うんだ」
楽しいときは、喜ぶような音。悲しいときは、嘆くような音。そして、逃げたくなってしまえば……楽器は主の元を離れる。
でも、あたしは――とジュリアは思う。
観客はいつの間にか共振したようにリズムを取って揺れている。
P「逆に楽しい音だから、楽しくなるのかもしれない……ニワトリとタマゴみたいだけどさ」
ジュリア「どっちも一緒じゃないか?始まりは小さな揺れなのに、みんなの心に行き渡って、どんどん大きくなってさ……すごいや……」
ジュリア(きっと、あたしはそんなステージがやりたいんだ)
雪歩・真コンビと観客の興奮の波が最高潮に達して曲が終わる。名残惜しそうに拍手をやめない人、リズムを取る人、歓声を上げる人……。
ジュリア(でもこれは、ユキとマコの作り上げたステージであって、あたしの作ったものじゃない)
自分で作り上げた、実力でつかみとった、ステージ……そういうものがジュリアの脳裏に浮かぶ。
八角形のすり鉢状の景色、きっとそこは武道館――ロックの殿堂。
ジュリア「なあ、プロデューサー……」
その男に向き合い、宣言する。ジュリア自身の意志を確かに示す。
ジュリア「これからはさ、あたしのギターを弾きたい。あたしの音楽を奏でたい……この手で栄光を掴み取りたい」
P「……アイドルでか?」
それは解らないとジュリアは言い、
ジュリア「でも、アイドルだってあたしの一部になるのかも。ギターだってそう……あたしにしかできない、色々な事がごちゃまぜになったアイドル……」
赤い光の海の中で浮かぶメロイック・サイン……中指・薬指・親指で拳を作って、
小指と人差し指を角のように延ばすポーズ、まるで小指の分離運動みたいに。
P「自分の手でって言ったけどさ……手伝う人、必要じゃない?」
ジュリア「ああ、だから、頼むぜ。夢まで……いっしょに走ってくれないか?」
日が暮れ始めていた。西日が眩しい。光の空間に、ジュリアの短い赤髪が揺れる。
そして、その少女は手を差し出す。共闘の契りを結ぶための握手にプロデューサーは応える。
P「こちらこそ、よろしく頼む」
ジュリア「よし、じゃあ早速、ギターの練習だ!……ってあたしのギター見つかってないんだった!」
プロデューサーはジュリアの前のめりな力強さと勢いに思わず吹き出してしまう。
不意にプロデューサーは内ポケットに手をつっこむ。
P「ごめん、ちょっと電話でるから」
いつも胸に忍ばせている社有のスマートフォンを取り出して、プロデューサーは人の群れから離れる。
P「小鳥さん、お疲れ様です……ええ、ギター探しに出てるんですけど……えっ!?ああ、そうですか……わかりました、はい、すいません」
プロデューサーは、電話を切り、ため息をつく。
ジュリア「……どうしたんだ?」
P「あった、ギター」
ジュリア「本当か!?どこに?」
P「掃除するから小鳥さんが会議室に移動させてたんだってさ……はあ、バカかよ俺は」
ジュリア「ぷっ……バカプロデューサーだ」
ジュリアは堪えきれずに、声を上げて笑う。
P「ああ……でも、なんだか申し訳ないことになったな」
ジュリア「いや、いいんだよ……それにさ、あたしが決心したから、ギターが出てきたんじゃないかって思うんだ」
P「そりゃ、面白い捉え方だ……夢を追いかける者らしいや」
ジュリア「だろ?もっと期待してくれもいいんだぜ?」
踏ん切りが付いたのかジュリアは底抜けに明るく笑う。行く道は、きっと誰も足を踏み入れたことが無い領域にもかかわらず。
P「じゃあ、雪歩と真を送って事務所に戻るとするか」
ジュリア「よしきた!全く、手が寂しくてしょうがないぜ……」
P「あのギターは……?」
ジュリア「だめだめ、やっぱあたしのじゃないと……」
真と雪歩を家まで送り届けた後、プロデューサーとジュリアは事務所に向かった。
日は暮れて夜の帳が下りていた。対向車のライトが、現れては消え、現れては消え……周期的な明滅のように感じられた。
事務所の前でプロデューサーはハザードランプを点けて、一時停車する。
P「ごめん、次があってさ、歩とエレナを拾ってこなきゃならないんだ」
ジュリア「はいよっと、ギター持って帰るぜ」
P「悪いな。じゃあ行くよ、お疲れ様」
ジュリア「お疲れ……あんまり無理しないでくれよな」
ジュリアは降車して、プロデューサーを見てウインクする。
左の目元にトレードマークの星は描かれていなかったが、まるで目から流星が飛び出るかのようだった。
プロデューサーは苦笑しながらアクセルを踏み込んで、道路の流れへと戻っていった。
一段ずつ階段を踏みしめて、事務所へと近づいていく。真曰く、いい運動になる階段……。
三階まで登り、扉の前に立つ。『765プロダクション』ここが、羽ばたこうと懸命にもがく少女たちの住み家なのだと改めて気付かされる。
その扉を開け、
ジュリア「ただいまー……」
ここでただいま、と言ったのはジュリアにとって初めての事だった。
小鳥「あら、おかえり、ジュリアちゃん」
一人暮らしの身だからこそ、ただいまに対しておかえりと帰ってくることのありがたさがより良く実感できる。
ジュリア「ピヨ姉、ギターは?」
小鳥「あらあら、相当恋しかったのね」
ジュリア「あったりまえだろ、命みたいなもんだから」
小鳥「ふふっ、プロデューサーさんから聞いたと思うけど、会議室にあるわ」
ジュリア「オーケー、ありがとな!」
小鳥「……静かに入った方がいいかもしれないわ」
その小鳥の言葉に疑問符を浮かべながらも、そろりと会議室のドアを開ける。
ジュリア「チハ……」
穏やかな顔で目を閉じていた。普段は険しい表情を見せる事が多いため、目の前にある光景が少しだけ奇妙に思えた。
いや、知らないだけでこれも千早の側面なのかもしれないとジュリアは認識を改める。
千早はスラリとした身体を椅子に預け、両手をギターに回し、後生大事に……まるで小さな子どもを抱くかのような姿勢でいた。
右肩の方に顔を傾け、リズムの良い呼吸を続けている。
その姿と、昼間に見た墓地に向かう千早の姿がどうにもつながってしまって、ジュリアはどことなく物悲しい気分に浸ってしまうのだった。
不意に千早の指がピクリと動き、ギターの弦が弾かれ、会議室に音が響く。
アンプを通さない生のエレキギターの音ではあるものの、メンテナンスを受けた結果か、いくらか音がより美しく変化しているように感じられた。
千早「……あの、その……これは」
ジュリア「いいぜ、そのままで。気にいってくれたならさ」
目覚めた千早は普段の表情を取り戻して、
千早「いいえ、よくない。ごめんなさい、大切なものには触れられたくないものよね」
ジュリア「弾いてみたかったのか?」
千早「……気になった、というべきかしら。でも、生半可な覚悟で触れるものじゃなかった」
ジュリア「その割に抱き心地は良かったみたいだけど」
千早「そ、それは……こう、なんというか、安心……できたの」
ジュリア「そうか……そりゃ、ギターも喜んでるだろうさ」
千早「前にあなたがパンク好きだっていうのは聞いたけど……他に好きなジャンルは無いの?」
ジュリア「チハが好きなクラシックは、本当に基本的なところしか知らないけど……聴くだけならメタルとか多少は……」
千早「……意外。パンクとメタルって犬猿の仲だと思ってたわ」
ジュリア「はは、確かにそういうイメージはあると思うけど、あたしはどっちだって聞くぜ。良い音楽はとにかく良いって主義なんでね」
千早「……アイアン・カヴァーンは知ってる?」
ジュリア「ああ、もちろん。シンフォニック寄りのバンドだろ。あたし、『グレゴリオ』が大好きなんだよ」
千早「本当に?私もあの曲が一番好きなの!」
思いもかけない一致点を見出した二人の会話はいつも以上に弾んだ。
ジュリア(元から、話は合うなと思ってたけどさ)
千早の雰囲気は、ジュリアの想定したいつものそれとは異なっていた。
ジュリア(それにしてもチハ……)
この子は、こんなにも笑えるのだと気付かされる。今まで見たことのなかった柔和な笑顔がひたすらに眩しかった。
いや、もしかすると、プロデューサーに対しては、いくらかこれに近い笑顔を向けていたのかもしれないと顧みる。
ジュリア「チハ、Fは押さえられる?」
千早「ええ、押さえ方は知っているけれど……」
コード、つまり複数の音を同時に響かせることよって生じるハーモニー、そのための指の〈構え〉を千早は作る。
1フレットをセーハ……6本の弦を人差し指で一度に押さえる。3弦2フレット、4弦3フレット、5弦3フレット。
千早は細い指に力を込める。
ジュリア「ほら、ピック」
千早はジュリアからピックを右手で受けとり、6弦から1弦までを一気に弾く。
千早「……うまく押さえられないの」
弦を適切に押さえられないときに鳴る、掠れたような鈍い音が混じり、ハーモニーは響かなかった。
ジュリアは立ち上がり、千早の背後に回る。背中越しに左手をギターのネックへと伸ばし、千早の手を覆う。
ジュリア「力まかせすぎるんだ、握力があったってこれじゃ押さえらんないぜ」
千早は驚いたのか手を引っ込め、
ジュリア「……どうしたのさ?」
千早「あの……あまり慣れていないものだから」
ジュリア「そっか、ごめんごめん」
ジュリアは、そのまま千早の代わりにネックを握る。
ジュリア「1フレットはネックの裏に親指で支点を作って……てこの原理だよ、小学校で習うだろ?」
ジュリアは人差し指の腹というより側面に近い方で1フレットの全ての弦を押さえる。
そのまま千早と同じように〈構え〉を作り、弦を弾く。整った調和が会議室に響く。
ジュリア「ほら、やってみ」
ジュリアがネックから手を離し、入れ替わりに千早が握る。
ジュリアのアドバイス通りに構えて、千早はピックで弦を擦る。ジュリアが奏でたような整った和音が鳴り響く。
千早「綺麗な音……私でもこんな音を出せるのね」
ジュリアは千早の背後から離れ元いた場所へ座り、千早を正面から見据える。
ジュリア「楽しいだろ」
千早「ええ、きっとそのはず……」
千早は何か含みを持たせたように答える。怪訝に思うジュリアは、
ジュリア「……唄ってるときみたいって思わないか?」
千早「確かに似ているかもしれないけど、仮に歌と同じだとしたら……」
千早はどうにも自嘲の入り混じった笑みを浮かべながら答える。
でも、そういうステージを乗り越えたときに、私……生きてるんだなって、やっと実感するの」
ジュリア「解らないとは言わないけどさ、どうしてそこまで自分を追い詰めちまうんだ」
千早は、眉一つ動かさずにジュリアを見つめ……どこか睨んでいるようでもあった。
千早「そんなに知りたい?人の大切な、内側の話を……」
〈触れられたくないこと〉、確かプロデューサーはそういっていた。そして、恐らく内容を知っている。
先ほどまでの笑顔は一体どこへ行ったのだろう。千早に近づけるかも、という感覚がジュリアに浮かんでいたが、その領域は遥か先のようだった。
ジュリア(この距離感は勘違いだったのか、プロデューサーは一体どうやって……?)
ジュリア(それにしても、ここから先……踏み込んでいいのか?)
ジュリアは逡巡する。千早の奥底に暗く滾る炎を見つける。
その炎を見極めようと観察すると、恐怖とも畏怖とも区別の付かない感情に支配されていき……結局逃れることはできなかった。
闘争か逃走かの選択で……逃げることを選んでしまった。
《ジュリアは踏み込まなかった》
千早は、一方的にジュリアへ語りかける。
千早「そんなものだから、学校の部活動で爪弾きにされたり……とにかく、私の存在なんて……冷水そのものなのよ」
千早「プロデューサーは、当たってるの……いえ、好きかどうかはわからないけど、空気を冷やすのは得意なのよ」
千早「それを解ってくれた。その上で、私が、場の空気を温めることもできるんだって教えてくれた」
ジュリア「解った……冷やしてくれよ、空気をさ。チハのこと、教えてくれよ」
ジュリア「……そんな言い方ないだろ」
千早「……おせっかい焼きは誰かと一緒」
ジュリア「プロデューサーか?」
千早「ええ、そう」
千早は、天を仰ぐ。天井や建物で遮られた先にある、高い空を飛びたがっているかのようだった。
千早「春香なら……春香ならよかったのに……いてくれたらよかったのに」
ジュリア「どうしてここで天海春香の名前なんだよ……」
千早「あの人……プロデューサーはかつて春香を育て上げた人なのよ」
千早「当時はプロデュースを委託されていたって聞いてる……私が765プロに所属したのは、それが理由」
ジュリア「天海春香に会えると思ったから?それじゃあ、動機が不純すぎるし、なにより、そんなんじゃただのファンだ……演者じゃない」
千早「会いたいと思っただけじゃないの、知りたかったの……。
春香は、無邪気に、子どもみたいに……ときには神様みたいに笑ってステージに立っていた。
その理由や動機……方法も教えてもらいたかった」
ジュリア「だからってさ、苦悩が無いわけじゃないと思うぜ」
千早「それは、プロデューサーにも言われたわ……昔は悩むことの連続だったって」
ジュリア「昔はねえ……今はプロデューサーと天海春香はさっぱり離れてるってことか」
千早は、ギターをジュリアへ差し出す。ジュリアは受け取り、右の太腿に置いて構える。
千早「とにかく、そういう動機が不純で、暗いのが私……もういいわよね?」
ジュリア「ああ、いいさ……」
『どこへでもいっちまえ』ジュリアは言葉にしないにせよ、内心でそう思っていた。そして千早にもその心は透けてみえていただろう。
ジュリア(チハにはあたしが必要ない、居たって邪魔なだけだ)
千早「プロデューサーと春香のこと、他には社長ぐらいしか知らないはずだから、誰にも言わないで」
千早は踵を返し、出て行ってしまった。
突き放した一方で、このままでいいとは思っていなかった。しかし、今すぐにとるべき行動が浮かばない。
ジュリア(浮かばないにせよ……手が、ほとんど勝手に動くんだ)
ミニアンプを接続して、ギターのスイッチ類を調整する。リペアの価値が感じられるなめらかな操作感。
ジュリア(届くのかな……届いても、伝わらないかもな)
ジュリアは『思い出をありがとう』のイントロを弾き始める。
「武田さん、お久しぶりです」
「ああ……あの子を僕の番組に連れて来てくれたとき以来かな」
男……武田蒼一はそう言って微笑む。
芸能界では著名な音楽プロデューサー……アイドル関係では、あの元・女装アイドル秋月涼を見出した功績でよく知られている。
「書類には目を通したよ」
「……単刀直入にですが、あの二人をあなたの番組……オールドホイッスルに出演させてほしい」
武田は「ほう」とつぶやき、顎を撫でる。
テレビ局の楽屋の一室だった。クーラーが効きすぎて肌寒いぐらいで、テーブルに並べられたホットコーヒーから湯気が立ち上っている。
「如月くんの名前は知っている……君が力を入れているようだからね。しかし、ジュリアくんの方は……有望株なのかい」
「ええ、そう思っています」
「君の目は確かだと、僕も思う……だけど、二人とも圧倒的に実績が足りない」
「……あなたが実績だけを見る人だと思っていない」
「確かにそうだ。だが、他人を説得するときに実績というのは大事だ。第三者によって裏付けられた実力……それが実績だろう?」
「もっともでしょうね」
当然歌を収めたメディアも送りつけている。驚くほど律儀で、信頼に足る人物ではある。
「じゃあ、こういうのはどうだろう……チャンスを君と二人にあげるというのは?」
「一体、どういう形で?」
「最近はそうやって僕のところへ直談判しにくる子も多いんだ。そういう若い子のために、オーディションをやろう……僕の番組に出演する権利を獲得するための、ね」
一方で、食えない男でもある。それも当たり前だ、なにしろ、巨大な権力を持つテレビ局の意向を封殺できる番組の指揮を執っているのだから。
それも、自身が巨大な力を持つのでなく、純粋にネームバリューを武器に立ちまわって実現しているのだ。音楽プロデューサーより政治家の方が適職ではないか。
「それでは、そのオーディションに二人をエントリーさせていただけると?」
「ええ、実績が無いのであれば、実力を直接見せてもらいたい。詳細は、また別に送るよ」
「ありがとうございます」
「何、これくらいは……。ところで、あの子……天海くんは?」
「知っているでしょう……聞かないでもらいたい」
「それもそうだね……いや、楽しみにしているよ」
***
近づけるかもしれない、そう思っていた。
千早は自室でクマのぬいぐるみに話しかける。今は居ない大切な家族の代わり、もしくはそれを受け継ぐ存在だと想定して。
それは寂しい行為ではないと千早は既に結論づけていた。プロデューサーに言わせれば、ある種の自己暗示に近いはずだ、とのこと。
千早「自分から離れてしまえば、芽は出ない……」
でも、近づいたってどうなるのか解らない。いずれ、強大なライバルになるかもしれない存在に対して……。
千早「それに……やりたいことにもっと時間を使わないと」
己の欲求と使命感がごちゃまぜになって、歌はいつでも私を苦しめる。
気が遠くなりそうなほど、果てしなく続く道を這って進んでいるようだった。
軽い動悸に襲われる。音楽を聴こう、ブラームスのロ短調……。
これで落ち着きを取り戻せるのだから、やっぱり音楽が大好きでもあるのだと、改めて自覚する。
いわゆるツーショットチェキと呼ばれる、アイドルとファンが二人で撮影したインスタント写真だ。
私は、こういうイベントをやったことがない。うまく笑えないからだろうか。
春香がデビューしたてのとき、まさにファーストライブのものだった。そのステージの光景は今でも目に焼き付いている。
春香『天海春香、16歳!トップアイドル、目指してます!』
毅然と己の目標を、臆せず、恥ずこともなく言い放った少女は、私のアイドルというものへの認識を180度転回させた。
その宣言から先は、まるで会場が宇宙になったかのようで、春香は太陽のように眩しかった。まさに『太陽のジェラシー』を唄っていたからかしら。
春香は、会場の一人一人の目を見て、確かあの時は二十人もいなかったから、それぞれの名前を問いただして、ずっと覚えてるからね、なんて言っていた。
当然、今となっては私の名前なんて忘れているはずだけど。
ライブ会場で本名を叫んだことなんてなかった。
春香『千早ちゃん、よろしくね』
直後に春香はステンと転んだ。
ともかく、ライブが終わった後、私は春香のCDを買ってサインを貰い、写真を撮ってもらった。
『天海さん……お願いします』
春香『春香でいいよー。これからよろしくね』
このときのシャッターの音と、フラッシュの光が記憶に強く残っていて、今でも写真を撮影されるときに、その感覚を呼び起こされてしまう。
まもなく春香の人気が爆発して、私はライブに行かなくなってしまった。飽きたとか、見限ったわけではなくて、むしろ、想いが強くなりすぎて、
千早「同じステージに立ちたい……歌を、教わりたい」
この話は誰にもしていない。春香には会ったことがある……向こうは覚えていない。
だから、会ったことがないというのは真実で、私の思い出こそが空想なのかもしれない。
でもその時、春香と一緒に居た男性がプロデューサーだった。
その記憶を頼りに、765プロまで辿り着いた……偶然を装って。
千早(だけど、もし、憧れの存在とまた会えたとして)
千早「私は何がしたいの?」
ぬいぐるみが微笑んでいるように見える。
しげしげと観察する度に、毎度異なる表情をしているのではないかと訝しんでしまうが、むしろそれは自分の心の持ちように起因するのかもしれない。
室内灯を落とし、布団に潜る。他人に優しくしてもらったことを思い出す。
春香との握手の温もり。プロデューサーだって悪い人じゃない。ジュリアとは、本当のところ、一緒に唄いたい。今はそう思っている。
でも面と向かったときにどう言ってしまうかはわからなかった。
事務所の子たちだって皆、良い人。悪いのはきっと私……でも今、自分を責めるのはやめよう、夜は眠らなくては。
何度か訪れる入眠間際の落下する感覚も乗り越えて、眠りの世界へと旅立った。
そこは、ただひたすらに平和な世界だった。
P「質問は?」
事務所の会議室。プロデューサーが資料片手に、オールドホイッスル出演をかけたオーディションの説明を行っていた。
ジュリア「オールドホイッスル……あたしもチハも知ってるぐらいだから、凄い番組だってのは解る」
千早はまだ資料を眺めており、顔を上げない。
ジュリア「だからこそ、なんであたしなんだ?まだ無名に等しいもんだしさ。チハはまだしも……」
千早「いえ、私もまだそんなレベルには無い……大体、オールドホイッスルに出たことがあるアイドル自体ほとんど居ないないはず」
オーディションの参加者はアイドルだけじゃない、それこそ無差別級の戦いだ」
ジュリア「真の意味で、歌唱力が問われるってことか?」
P「いや、レギュレーションでは唄うことに限られてないから、色々なアピールが考えられる。
例えばジュリアはギターを弾いてアピールできるってことだ」
千早「総合的な力が問われると考えた方が良いようですね」
ジュリア「それで、今度は番組に何人出られるんだ?」
P「ああ、資料には書いてなかったか……人数じゃなくて、グループで一組だけだな」
ジュリア「……マジかよ」
千早「ということは……」
そう言って千早はジュリアを見つめる。つまりは、敵同士だ、ということらしい。
P「デュオでも組む?そしたら一組扱いだ、内輪で戦わなくて済むぞ」
千早「結構です」
ジュリア「あたしもだ」
P「なんだ、喧嘩?まあ、こっちとしても一緒にするつもりはないから、切磋琢磨して欲しい……仲直りはしてな」
P「オーケー、いつもどおり仲睦まじいと。そうだー、ちょっと休憩だー。俺トイレ行ってくるー……」
棒読みのプロデューサーの声が部屋にこだまして、会議は一時休止となった。
ジュリア「あれで気を使ったつもりかよ……」
千早「本当ね……」
そして流れる一瞬の静寂。口火を切ったのはジュリアだった。
ジュリア「なあ、チハ、あたしは本当にケンカしているつもりはない」
千早「もちろん、私も」
ジュリア「でも、今回は……本当に敵同士だ、正面からぶつかりたいし……何より勝ちたい」
千早「……やっぱり気が合うようね。私も全く同じ」
ジュリア「おーいプロデューサー!本当にケンカしてないからなー!」
ジュリアは会議室の扉の裏で聞き耳を立てているであろうプロデューサーへ向かって叫ぶ。
P「じゃあ、お互い、ステージで何をするのかは特に隠さない方向で。あけっぴろげにしなくてもいいけどさ」
ジュリア「わかってるって。同じスタジオで練習するのに隠すだけ手間だしな」
千早「そこはもちろん同意します」
ジュリア「それで、こっからが大事だぜ、プロデューサー」
プロデューサーは、ギロリとした二人の視線に慄く。
千早「二人を、それぞれどれだけ見てくださるんですか」
P「そりゃあ、もちろん……五分五分だよ」
千早「なんですか、今の言い淀みは?」
ジュリア「チハ、プロデューサー半分にしちゃおうぜ」
千早「確か、萩原さんのロッカー、スコップとチェーンソーが……」
P「猟奇殺人でも起こす気かっつーの」
P「そこは二人のプロデューサーなんだから、平等にやる」
千早「プロデューサーをより惹きつけたほうが有利……?」
P「信用ないようだな……大体、俺をそんなに有難がったってしょうがないだろ」
ジュリア「いやだってあんたは……」
千早がじろりとジュリアへ視線を送る。制止の意図。
P「……俺は?」
ジュリア「あま……あー、まあ、かっこいいだろ!?」
P「今更そんなお世辞言ったって遅い」
ジュリア「だ、だよな~」
うまくごまかせたと胸をなでおろすジュリア。眉をひそめる千早。
P「オーディションで使う曲なんかはまたそれぞれ話し合って決めよう」
千早「わかりました……プロデューサー、特別厳しくお願いします」
ジュリア「よし!あたしも頼むぜ!」
響「それで千早はプロデューサにお説教中?」
ジュリア「ビッキー、なんでそんな結論に」
響「だって、なんか会議室から千早の大声が聞こえるからさー」
ジュリア「怒ってるって感じでもないけど」
三人のミーティングの後、まず千早がステージ構成を決めることになったので、ジュリアは会議室から追い出されていた。
響「ねえねえ、ジュリア……」
ジュリア「何?」
響「その……ビッキーっていうあだ名、なんとかならないの?なんかちょっとむず痒いぞ」
ジュリア「だって、ビッキーはビッキーじゃないか?」
響「うわー……もー……かゆい……かゆいぞ……」
ひなた「響さん、どこが痒いんだべ?」
響「えっとね……ここ……」
ひなた「ここを……こうかこうか?」
響「あー、そこ!そこがいいぞ……」
ジュリア「今日はヒナのペットみたいになってんな……」
ひなたの絶妙な力加減を受けてか、響はとろけたような表情をしている。
ジュリア(さっぱりオーディションのイメージがわかないな……)
雪歩・真のステージを見て、気持ちは吹っ切れたはずだった。
だけど具体的な行動を今すぐに起こせるほどに自分のアイドルとしてイメージは固まっていなかった。
だから、ステージの構成はまとまっていなかった。
ジュリア(それをチハが終わったら煮詰めていくのか)
アイデアを振り絞ろうとジュリアが必死に悩んでいると、突然会議室の扉が音を立てて開け放たれた。
そこから出てきたのは千早だった……目元を赤く腫らしていた。
千早「いえ……なんでもないわ」
ひなた「千早さん、どうしたんだべ?」
響「なんでもないって……まさかプロデューサーに……」
千早「本当に……怒られたわけでも無いし、何でもないから……ただ、素直に話し合っただけなの」
ジュリア「チハがそう言うんならいいけどさ……。でも、次はあたしがプロデューサーと話す時間だ」
千早「ジュリア、ちょっと」
と千早は言い、ジュリアの耳元へと顔を近づけ、小さな声で囁く。
千早「ちょっと待ってあげて。あの人も、まだ……」
ジュリアは会議室のドアをノックして中に居るプロデューサーへ声をかける。
ジュリア「入っていいかー?」
P「ああ、いいぞ」
ドアを開けると、プロデューサーが机に資料を並べて座っていた。
千早が言っていたようなことを微塵も伺わせず、いつもと同じ顔をしていた。
どこか飄々としていて、それでいてふざけているわけでもない……全くもって普段通りだった。
ジュリア(……どうやって話しかければいいんだ?)
千早のときもそうだったが、自分はいまいち他人の懐に飛び込むのが怖いのかもしれないとジュリアは思う。
P「……胸襟を開けるか?」
思っている事を読まれているのかもしれない……ジュリアはギクリとする。
P「いや、心を襟に喩えるとは、なんとも趣深い言葉だなと思ってな」
ジュリア「……服でも無理矢理脱がすつもりか?」
P「そうじゃない……全てが見えてしまったら、そこに価値はない」
ジュリア「もやっとした話は得意じゃないんでね……何が言いたい?」
P「心もまたそうだ、ということだ。明け透けでないからこそ関係性に悩みもする……すれ違ったりもするさ。
だけど、全てが見えてしまえばオシマイだ、友情だって潰える」
ジュリア「へー……気を使ってくれるつもりか」
P「……アドバイスと自戒だな」
ジュリア「……ありがたい御託だぜ」
千早「ねえ、我那覇さん……あなたの考える、私がプロデューサーにされたことってなんだと思ったの?」
響「……えっ?それは、そのつ、つまり……変なこととか」
ひなた「へんなこと……ってなんだべ?」
響「へっ、変なことは変なことだぞ!」
***
P「欲しい機材はこっちで揃える」
ジュリア「ああ……だけどまだオーディションだからさ……機材の問題は後回しじゃないか?」
P「なるべく想定している本番に近くなるようアピールできた方が良い……そう言ってる人間が審査する」
ジュリア「わかった、そこは素直に従うとして……内容が問題だぜ」
P「唄えるのは?」
ジュリア「なんでもござれってのがあたしの方針だけど、振りと演奏まで入れて唄えるのは……」
ジュリアは片手で指折り数える。
ジュリア「『流星群』、『プラリネ』、自分の作曲だとこの辺。765の曲だとこの前の『I Want』と『KisS』、
『エスケープ』も行けるな……恵美がいないからやる気にならないけど」
P「その中からだな。ジュリアなら奇をてらわないド直球が一番効くだろうな」
ジュリア「それはチハもじゃないか?」
P「そうだろうな……」
P「……ダメ」
ジュリア「だよな……アイドルだし」
P「いや、アイドルだからというよりも、その曲で魅せられるのか、自分の世界を表現できそうかってことだよ」
ジュリア「なるほど……確かにオリジナルを超えるって簡単じゃないしな」
P「だから、持ち歌がいいだろうな」
ジュリア「弾き慣れてるのがいいから流星群かな」
P「……なあ、この間、車の中で弾いてたのは?」
ジュリア「……いやだね」
P「ふーん、そうかい」
ジュリア(また何か企んでるなコイツ……)
ニヤニヤとした笑みに、絶対に乗せられないと固く決意したジュリアだった。
ジュリア「個人レッスンに……合同レッスン?チハと?」
ジュリアはこれからの練習プログラムの詳細が記載された資料をめくる。
会議室での話し合いは終え、事務所のソファに腰をかけていた。
ジュリア「……河原でいっしょにランニングってこれ、二人でやる意味あるのかよ」
あずさ「あらあら、まさに青春って感じね~」
貴音「互いを好敵手だと認め合い、肩を並べて走る……まさに切磋琢磨、といったところでしょうか」
ジュリア「そんな微笑ましい感じで見られてもさ……あたしとチハはマジも大マジなんだからさ」
所用でやってきたあずさと貴音が親しげに話しかける。
ジュリア(なんか年上からは気さくに話しかけてもらえるんだよな……)
ジュリア(育にはすごく怖がられたっけか。そのあとモモがあたしに怒る剣幕の方が怖かったけどな……)
ジュリア(自分で言うのも何だけど……ほっとけないタイプ?)
ジュリア「なんだか、ますますチハと似てんな……」
そこにスタイルの良い金髪の少女が現れて、ソファにでぷりともたれかかる。
気だるげな仕草で顔を上げてジュリアが手に持つ資料を覗く。
美希「ジュリアも千早さんも練習大好きすぎなの……プロデューサーも働きすぎ……」
ジュリア「美希みたいに天才じゃないからな。凡人には練習が必要なんだよ」
美希「二人共天才じゃなかったの?」
ジュリア「あたしはもちろん凡人だよ、だから必死なんだ……チハはわからないけど……」
だけど、圧倒的な天才ではなくて……だからこそ、努力の天才なのかもしれない。それも環境が生み出してしまった……。
貴音「あまり思いつめてはなりませんよ」
ジュリア「そんな大げさな」
あずさ「千早ちゃんもジュリアちゃんもいつも真剣すぎるから心配なのよ私達」
ジュリア「そ、そうなのか……なんかごめん」
本当に優しい面々が事務所に揃っている。そんなことだけでもアイドルになって良かったと思えるぐらいだ。
再び資料に目線を向ける。それにしても気になるのは……。
ジュリア(河原の合同ランニングがリズムレッスンに分類されてるのはなんでだ?)
夕日の土手、西日が全ての事物に赤いフィルタをかける。一面の、モノトーンの赤。
一陣の風が吹き抜ける。最早陰影でしか形を捉えることのできないジュリアの髪の毛が流れ、
小さな額が晒されようとするものだから、彼女は思わず手で前髪を押さえる。
長髪の少女――千早の髪の毛もまた揺れた。細いシルクのような髪の毛は、赤い陽のせいか、いつもと違う色彩を放つかのようだった。
土手の段差に小さく腰掛け、耳を傾けているようだった。
日常のノイズ……それすらも彼女にとっては音楽の一つだった。
ジュリアは、青いジャージを着た千早に話しかける。
ジュリア「準備体操とかした?」
千早「ええ、もう私の準備はできているわ」
ジュリアを急かすような口調だった。それでも元々約束していた開始時間まで後五分ほどある。
ジュリア「あのバカプロデューサーは?」
千早「来ていないけど、特訓内容のメモ書きを貰ったわ。二人で進めてくれって……」
ジュリア「なんかいい加減というか無責任というか……」
ジュリアは千早の差し出すメモ用紙を受け取る。
千早「あと、これも必要らしわ」
そういって千早が手渡すものは、カチューシャ……しかも猫耳つき。
特訓!虎の巻!!!
古の765プロより伝わる秘伝の……創業時から継ぎ足して使っているソース的な特訓を二人に受けてもらう。
二人にはモーションキャプチャーデバイスを身につけてもらう。頭につけるタイプで、犬型と猫型があるから、千早とジュリア、それぞれ装着してくれ。
装着したらランニング開始だ。走るだけ……それだけなんだが、手足のリズムを一定にキープしてくれ。
リズムを一定にできたらポイントが入るぞ。しかも、より速いテンポのほうが高得点だ!
ポイントが高い方が勝利!勝者には栄誉が与えられる!
説明以上。健闘を祈る。
P.S. 千早は犬型、ジュリアは猫型……これは絶対だぞ
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「ええ」と答える千早の顔は逆光で見えない。
シルエットから察するに既に犬耳は装着しているようだった。ぴょこぴょこと耳がお辞儀をするように動く。
ジュリア(かわいい……な)
ジュリアは準備体操がてらに腰や足首を回し、ラジオ体操第二を鼻歌で唄う。
この曲はプログレだと主張してやまない外国人ギタリストがいたはずだけど、確かに正しい。変拍子、転調……。
ジュリア「よし、準備完了っと……走るか」
千早「ええ」
そういって千早はジュリアの元へと歩み寄ってくる。
千早「忘れてるわ……猫の耳」
千早は、ジュリアが手にしていたモーションキャプチャー兼猫耳をつかみ、ジュリアの赤い髪の毛をかき分けて装着する。
その表情は、これから始まる戦いにふさわしくごく真面目なのだが、その顔で猫耳を取り付ける行為が奇妙な滑稽さを生んでいた。
ジュリア「なあチハ」
千早「何?」
ジュリア「もしかして楽しんでる?」
千早なりの高度なジョークなのかもしれないとジュリアは思い至る。犬耳がまたぴょこぴょこと揺れる。
あたしの方も思考に反応してか耳がもじもじと動いているらしい。
ジュリア(一体なんだこれ……)
亜利沙「むふふ……プロデューサーさんの意味深げな行動……。
まさかジュリアちゃんと千早ちゃんで犬猫特訓だなんて……こんな絶好のチャンス、逃すわけにはいきません!」
松田亜利沙は対岸の草むらから走り始めた千早とジュリアにビデオカメラを向ける。
ランニングのゴールまで先は長い。自分の身体を慣らしつつ相手の出方を探るようで、いきなりスピードを上げることはしない。
雲台に載せたカメラをゆっくりとパンさせる。ピントとズームは適切だった。
亜利沙「二人の汗まで記録に残せそうです……」
亜利沙はじゅるりとよだれを垂らす音を出す……実際には垂らしていないが。
亜利沙「なぜなら、ありさはアイドルちゃんでもあるのですから!」
亜利沙「わわっ……!プロデューサーさん!な、なんでここに!?」
P「そっちこそ……って大体お前の行動は読めるからいいとして」
亜利沙「ご、ごめんなさい!すぐに撤収しますからぁ……」
P「いや、回しておいてくれ」
亜利沙「いいんですか……!?」
P「お客さん、公演を盗撮したらどうなるかご存知ですか?」
亜利沙「ひっ、酷い!泳がせてデータだけ没収するつもりですね!」
P「……撮影用の機材を工面できなかったもんでな」
走れ走れ走れ。
飛ぶ鳥を落とす勢いで……目の前を跳ねていくチハを捉えるんだ。
何て軽やかに駆けていくんだ、思わず見惚れてしまいそうになる。
よどみのない一定のリズムを奏でている……それに比べてどうだあたしは。
百分の一秒のずれかもしれないけど、チハの精度はさらにすごい、千に一だろう。
ポイントこそ加算されているものの……スピードを上げれば、リズムのズレはますますひどくなる。
なんてこった、やっとプロデューサーの意図に気づく。これは単なる持久走じゃない……極限まで集中力が要求されるんだ。
チハはまるで呼吸を繰り返すかのように、当たり前にリズムを整えている。
右足・左手、左足・右手……あたしよりハイペースだってのに。
そして更にじわじわとスピードを上げてポイントを稼いでいる。加点している間は耳がぴょこぴょこ揺れるんだ。
指先まで神経を集中する……というよりあたしは、指の方がリズムを取りやすい。
押弦と弾弦のイメージ。するとどうだろう、途端に意識を傾けすぎていた手足に集中する必要がなくなる。自分自身のリズムを取り戻す。
一段と赤くなった夕日に包まれながらチハの長髪がゆらめく。行く手を阻むようなその背中に段々と追いついていく。
そして、ついに並ぶ。リズムがチハと共振して、二人は、全く同様のリズムを刻む。だけど、よくよく見るとリズムが反転していた。
チハが右足を出す時にはあたしは左足、あたしが右足を出すときにはチハは左足を出していた。
ジュリア(二人の関係性……みたいだな)
火と水、陰と陽、静と動、正と負……二人がそれぞれどこへ当てはまるのかは判断できない、あるいは容易に反転し得るものだった。
チハは、〈何も見ていない〉。いや、きっと見ているのは自分の中だけなんだろう。
あたしは眼中になしかよ……暖簾に腕押しってやつだ。だけど――
ジュリア(チハにとっての最大の敵は自分自身なのかも)
自分にむち打ち、苦しいことを淡々と一定のリズムでこなしていく。
この業界にありがちな、短い期間にまばゆい光を放って燃え尽きる――そんな生き様を真っ向から否定する在り方に思えた。
鈍く燃える青い炎だ、高温で全てを燃やし尽くすべく、静かに力を蓄えている。
ジュリア(だけど……あたしだってここで自分を燃やさなきゃ……!)
一体何時燃やせばいいんだ?とジュリアは自問する。
ついに抜いた!そう思った矢先、チハはすぐにまたあたしと並ぶ。
だけど、追い抜かない。だからまたこっちもスピードを上げる。チハがまた追いつく。
ジュリア(しまった、これは作戦だ……あたしにリズムの主導権をあえて握らせて……)
チハは底なしの体力で、戦意を喪失させる気だ。だけど、今もチハの目はあたしを捉えていない。だとすると、きっと、天性の勝負勘……。
ジュリア(でもチハだって相当苦しいはず……)
スピードを落とすどころか更に速める……泥沼の戦いへと足を踏み入れる!
ジュリア(負けない……!)
負けたくない……そう強く想い続けることで、後ろ髪を引かれる思考に気づいてしまう。
ジュリア(なんで負けたくないんだ?)
手が小さいし、そんなのできっこないと笑われたこともあった。
だから文字通り血が滲むまで練習した。バカにしてきたやつは皆見返してきたつもりだった。
髪の色だって、最初は虚勢だった。そんなものダメだと大人から言われる度に、絶対に貫き通すと決心が固くなっていった。
親が放任ではないけど「好きにすると良い」と言ってくれただけまだよかった。
そうじゃなきゃ、グレてシド・ヴィシャスのように傷だらけになってくたばることうけあいだ。
そうならないことの一因に……ギターを大切にしていたこともあると思う。
往年のギタリストみたいにギターを壊したことなんてない、それこそ傷がつくだけで悲鳴を上げそうになる。
ジミ・ヘンドリックスみたいにギターを燃やすなんて想像もできない。
ギターは師であり、ある意味で自分自身だった。
自分を傷つけることは絶対に良くない……唯一、親が口を酸っぱくしてまで注意してくれたことだった。
再びチハと共に夕日をかき分けることを意識する。
更にスピードを上げる。チハが追いつく。小刻みに、延々とその繰り返し。だけど、やがてそのループに変化が訪れる。
ジュリア(チハのスピードが上がってきた……)
チハの刻むリズムを察知する。そんな余裕は無いのだが、思わずチハが並走する左側に顔を向ける。
ジュリア(歯を食いしばってる……!)
いつの間にかチハは髪を後ろで結んでいた。ポニーテールが、犬耳が揺れる。更にスピードが上がる。
心臓のビートはもう崩れそう、呼吸だって同じ。リズムを維持しないとポイントが入らない。でも、もっと速く……限界まで!
ジュリア「チハ!走るぞ!」
最早リズムにかまってられない。全速力で翔ける!
千早「ジュリア!」
チハも叫び、走りに応じる。無心で二人は駆けていく。
ステージ上のようなランナーズハイが訪れて、ただただ景色が流れていく。
この瞬間だけは過去どんなことがあったか、未来に何があるかなんて知ったこっちゃない。
この世界に見いだせる唯一の安息の地だった。
ランニング終了のアラームが鳴り、二人は土手に寝転がった。
心臓がうめいて、酸素を求めた肺が躍動する。二人とも同じだった。顔を赤らめて、吸っては吐いてを繰り返す。
ジュリアは千早の目を見る。笑っている……。
つかの間の満足感、あの領域を共に経験できた達成感……色々な感覚を共有できたはずだった。
千早は呼吸を未だに乱れさせながら口を動かす。
千早「……虎の目」
ジュリア「トラの、目?」
千早「人を喰らってしまうような、そんな目をしてたわ」
ジュリア「あたしが……?」
千早「ええ……正直、怖かったわね」
千早はジュリアをからかうように笑う。
千早「それだけ必死だったの……負けたくないから」
ジュリア「ここで勝とうがオーディションに勝てるかわからないんだぜ。そもそも、あたし達以外にも参加者が居るんだから……」
千早「いえ……二人のどちらかしかありえない」
千早は予言めいた宣言をする。それほど強い意志があるのかとジュリアは改めて驚く。
いや、しかし、ジュリア自身も心のどこかでその言葉に納得しているのだった。
ジュリア「そうだな……勝ち続けた者が、次も勝つんだからな」
千早「春香は……オーディション無敗だったそうよ。正真正銘、本物のSランクアイドル……」
また春香か、とジュリアは内心思う。もしかしたらちょっとだけ妬いているのかもしれない。
ジュリア「そのSランク様に……少しでも近づきたいってことか」
千早は「ええ」と言い、深呼吸して立ち上がる。もう呼吸は乱れていない。
ジュリアは、いつもよりまだ速い心臓のリズムを感じながらも千早にならって立ち上がる。
千早は夕日を背にして、
千早「頑張りましょう……お互い、自分自身のために」
ジュリア「ああ、望むところだ」
亜利沙「それで、プロデューサーさん……どっちが勝ったんですか?」
プロデューサーは収集した得点をタブレットで眺めていた。
P「傑作だな、こりゃ……同点だ」
亜利沙「いやいや、展開がベタすぎませんか?」
P「あれだけの接戦だったんだ、妥当なんじゃないか?」
亜利沙「そんなものなんですかね~?」
P「それよりもさ……ちょっとこれ見てみ」
亜利沙「これは……得点のグラフですか?」
P「ああ、ここから先……二人が全速力で走り始めたところだ」
亜利沙「わっ!ポイントどんどん上がってるじゃないですか!ということは目一杯走ってもリズムが崩れなかったということですね!?」
P「そういうことだ。よくわかってるじゃないか」
P「おう、偉いぞー」
亜利沙「だったら……今すぐ!そのビデオカメラを返してください!」
P「そりゃもちろん……はい」
亜利沙「えっ……案外すんなりと」
P「もうデータは抜いてメディアはフォーマットしておいたぞ」
亜利沙「……うわーん!ご丁寧過ぎますよ~!」
亜利沙は相当にショックだったのか魂が抜けたようにその場にへたり込む。
P「……すまん、からかいが過ぎた。ミュージックビデオを作ろうと思ってな、編集したデータは渡すから」
亜利沙「……もう一声」
P「この間の番組の記録用映像」
亜利沙「ほ、本当ですか!?よっ、プロデューサーさん、敏腕!765プロの功労者!」
P「やっぱ映像渡すのやめたい……」
朝の日差しがまぶたの奥まで届いて自然と目が覚めた。昨日は睡眠を長めにとろうと早くベッドに入ったんだ。
起きたての寝癖がついた赤い髪をかきあげる。大きくあくびして、カーテンを完全に開け放つ。
ふと左手の指を見る。もうギター歴も長いし、皮もむけないかと思っていたら、久々に薬指の先端が少しだけめくれている。
ジュリア(アイドルとしてはどうなんだこれ……)
本当はネイルとかするんだろうな、などと考えるが、不精なあたしはきっとケアできないだろう。
そういえばチハもネイルなんてしてないなと思い至る。
冷蔵庫を開けて炭酸水を口に含む。シュワっとした喉越しで一気に目が覚める。
けたたましい電子音をとめて、再びベッドにうずくまる。深呼吸する。もう既に少し緊張している。
ジュリア(緊張しないだろとか思われているんだろうな、どうせ)
逆だ、緊張しいだ。しかし、チハやプロデューサーには見抜かれている。
昨日の夜の内にギグケースに詰めたギターを取り出してしまう。構える。指弾きして出た音で落ち着きを取り戻す。
ジュリア「はぁ……何やってんだか」
ジュリア(それに、チハはどういう気持ちでいるんだか)
重い腰を上げて、とうとうジュリアは出発の準備を始める。
シャワーを浴び、プロデューサーにやれと言われたスキンケアをこなして、それからメイクだけど、今日は人にやってもらうから不要で、いつもの簡素な衣服に身を包む。
ふと、綺麗に畳んでいる、昔のバンド時代の衣装が目に入る。
ジュリア(最近すっかり日の目を見なくなっちまったな)
きっと今日もまた、あたしはアイドルだから。
千早「ジュリア」
ジュリア「な、なんだよ?」
千早「緊張してるようね」
ジュリア「そりゃそうだろ。チハもだろ?」
千早「ええ、そうね」
二人並んでメイクとヘアセットを受けている。プロダクションごとに控室が割り当てられているようだった。
ジュリア「にしても、二人共大した知名度じゃないってのに高待遇だよな」
千早「そうね、プロデューサーがよくやってくれたのか、それとも先方がそれだけ本気なのか……」
それきり無言になってしまう。空気は張り詰めているけど、嫌な雰囲気ではない。程よい緊張感はきっと嵐の前の静けさ……。
メイクさんも状況を察してか黙々と作業を丁寧に続ける。
P「準備は……あと少しだな」
千早「今回はオーディションにもカメラが入ると聞いたのですが」
P「ああ、本番で映像を流すかもしれない……とのことだ」
ジュリア「オーディションだろうが〈本番〉ってわけか」
千早「精一杯……一曲にぶつけないと」
P「本番で使うスタジオでやるからな。セットが常設だからこんなことできるんだろうな」
ジュリア「プロデューサー……あたしの機材は?」
P「もちろん用意してる。今度もしっかり生演奏してくれよ」
P「もちろん、バッチリだ」
ジュリア「げっ、チハには隠し玉が……」
千早「あなたがいつかやってくれたじゃない」
ジュリア「いやいや、あの時おあいこだって言ったじゃないか」
ジュリアがむくれている様子を見て千早が笑う。激しい争いが半ば始まっているようだった。
それでも雰囲気が良いのは二人がある程度近づけた証拠だろう。
ジュリア「なんかおかしいと思ってたんだよな……その真っ白な衣装」
お披露目まで秘密と言わんばかりに千早はすました顔をしている。
そうこうしているとメイクは終わり、二人の準備が整う。立ち上がった千早とジュリアはお互いをしげしげと見つめる。
千早はとにかく全身が白い衣装を身に着けていた。良く言えば白無垢。
しかし、服装としての輪郭が掴みづらく、どのような形状なのかはっきりと理解ができなかった。
対してジュリアは、黒が基調に金色のストライプ、赤のラインが入ったタイ……パルフェ・ノワールと呼んでいる衣装だった。
ジュリア「どうしたんだ、プロデューサー、時計ばっかりみて」
P「いや、人が来る……ちょうど時間だ」
プロデューサーがそう言った瞬間、背の高い男が入ってきた。
武田「ようこそといっても、こっちで取った控室なんだがね」
苦笑した武田蒼一は千早とジュリアに視線を向け「ほう」とつぶやく。
武田「如月くんにジュリアくん……今日は宜しく」
千早「よろしくお願いします」
ジュリア「えーと、よろしくお願いします」
武田「彼とは前から知り合いでね」
そう言って武田はプロデューサーに向き直る。
P「ええっと、で、ご用件は?」
武田「オーディションの主催者が、参加者を見に来て何か問題があるかな?」
P「いや……ないですけど、さっきはルールに変更があったから直接説明したいとか言ってたじゃないですか」
武田「ははっ、それもそうだった。まあ、大した変更じゃないんだよ。審査員が増えただけだ」
P「そうですか。当初の通り武田さんだけだったら負担が大きすぎるでしょうしね」
武田「……じゃあ同意はいただけたということだね」
P「ええ、まあ……」
そんなジュリアの忠告も言い終わらない内に武田は続ける。部屋の入り口を向いて、
武田「入ってくれるかなー!」
その呼びかけに反応して、再び扉が控えめに開く。顔を覗かせたのは少女だった。小柄で、笑顔が眩しい――アイドルだった。
ピンクが基調の上半身と腰に結んだ長く赤いリボン、白いスカート……その衣装の名前をプロデューサーはよく知っていた。
スノーストロベリー……なぜなら発注したのは彼自身だったからだ。
ジュリアは目を見開く。フリを必死に研究した少女が目の前にいた。
ただそれだけの事実がなんとも空恐ろしかった。あの歌を……『I Want』を唄って踊っていたときの雰囲気とは全く違う。
一人の中に千差万別を持つ変幻自在の少女……今はどこか無垢な神々しさを纏っていた。
千早の頭は白くなった。〈また〉会えたなどと呑気に考えている暇はない。
なんという運命だ、最早、ここになぜ自分が居るのかすら忘れてしまいそうになっていた。
その少女は頭の二つのリボンを揺らして丁寧にお辞儀をする。
春香「こんにちは……天海春香です」
春香「ジュリアちゃん……春香でいいよ」
ジュリア「じゃああたしも呼び捨てでいいぜ」
その言葉に春香は頷いて微笑む。武田が口を開いて、
武田「有望な新人とトップオブトップの邂逅……そんな番組構成にしたい」
ジュリア「それは……」
ジュリアは反論ができない、そもそも反論など筋違いだと気づく。
何もおかしいことはない、トップアイドルと共演できるんだ、いいことずくめのはずだ。
だが、
ジュリア「なんで、プロデューサーもチハも黙ってるんだよ?」
春香「……千早ちゃん」
千早「は、はいっ!」
千早は素っ頓狂な声を上げ、背筋をピンと伸ばす。
春香「また、会えたね」
千早「私のこと覚えて……」
春香「当然だよ、約束したよね?」
千早はその言葉を聞いて目を伏せてしまう。
春香「プロデューサーさん」
P「……」
春香「また……会えましたね」
P「ああ」
春香「あれから、ずっとずっと、もっともっと頑張ってきたんです……だから、見ててください」
P「悪い、少し出てくる」
そう言ってプロデューサーも出て行ってしまった。ジュリアは残された千早に対して、
ジュリア「まったく……どうかしてるぜ」
千早「プロデューサーが?」
ジュリア「プロデューサー“も”だ!チハだって……」
千早「そうね……冷静じゃいられないのかもしれない」
ジュリア「嬉しさで、か?」
千早「……さっきはそう。でも……今は、怖くなってるわ」
上空の風を欲する鳥の姿……もしくはそれは翼を失ったがゆえの憧憬なのかもしれない。
ジュリア「なんでだ?春香は……憧れなんだろ?その人に歌を聴いてもらえるじゃないか」
千早「同じ土俵に立つということは……ゆくゆく、戦わなければならないわ」
ジュリア「怖気づいたのか……」
千早「違うとも言えるしそうだとも言えるわ……でも少なくとも、それだけの想いじゃないの。
もっと複雑で、こんがらがっていて、ともかく……」
千早は力なく立ち上がる。
千早「私、春香とは戦えない……」
千早「……」
ジュリア「どうなんだ、チハ!答えろよ!!」
千早「ごめんなさい」
ジュリア「本当に、らしくない……らしくないぜ……」
千早「私も……そう思う」
ジュリア「いいか、チハ……あたしは、『shiny smile』を唄う。パンクメイクだってしてなけりゃ、顔に星だって描いてない。
あたしらしさなんてギターだけだ。本当は恥ずかしいし、緊張だってするし……怖くて逃げ出したいぐらいだ……けど!」
千早「なぜそこまで?あなたは……アイドル志望ではないんでしょう?」
ジュリア「解らない、けど、今は唄うべきときだろ!?今唄わなかったら、もう、これから先……」
千早「……唄えなくなる?」
ジュリア「ああ……いいや口で説得なんて面倒だ――あたしのステージを見て決めてくれよ」
千早「あなたのステージを?」
ジュリア「ああ、それで唄いたくなったら唄う。唄えないなら……今度こそ本当にどっかいっちまえ!もう知らないからな!」
ジュリア「あんたもらしくないぜ」
ジュリアはうなだれたプロデューサーに話しかける。
自動販売機の前のベンチに腰をどっぷりと落とした男の横には、既に三本の空き缶が積まれていた。全部コーヒー。
ジュリア「伝説を育てた張本人なんだろ?」
P「……知ってたのか」
ジュリア「チハに聞いたよ」
P「育てたと言っても、大したことはしてない」
ジュリア「そうなのかもな。でもさ、そんなの今はどうだっていいんだ、春香と何があったかなんて」
P「……だったら力を貸してくれないか。協力してほしい」
ジュリア「一体何にだよ?」
P「春香を戻して欲しい」
ジュリア「……どういうことか、詳しく」
P「春香はアイドルとして完璧になろうとしている……俺がそう望んでいると勘違いしている」
P「アイドルとは……何だと思う?」
ジュリア「またそういうもやっとした質問か」
P「昔その答えを春香と一緒に探していた」
ジュリア「はいはい、それで……どんな答えがでたんだ?」
P「……答えが出る前に俺は春香の元を離れた。だが、春香は答えを出しつつあったようだ」
ジュリア「〈完璧であること〉が春香の出した、アイドルとは何かって疑問への答え?」
P「ああ……そうだ。それでだ、ジュリアの質問に答えるとすれば、完璧であることが悪いとは言わない
……だが、春香が春香でなくなってしまう」
ジュリア「じゃあ、何になるってんだよ」
ジュリア「春香に瓜二つの絵だよな」
P「ロコは春香を知らないと言っていた。そこに嘘は無いと考えていい。
そして、〈アイドル〉を描いたと言っていた……それがたまたま知りもしない春香の絵だった」
ジュリア「たまたまそうなるわけがないだろ……。まったく、回りくどいぜ!それで、何が言いたいんだ?」
P「アイドルそのものが春香になろうとしている」
ジュリア「言いたいことが……よくわからない」
P「……全ての人の抱くアイドルの概念が、春香の目指した完璧なアイドル像に近づいてしまっている」
ジュリア「……やっぱり難しいけどさ。ロコはアイドルを描いたつもりなのに、勝手に春香を描かされたってこと?
というか……アイドルそのものが春香になるっていうんだから、それは当たり前ってこと?」
P「そうだな……そういうことだ。春香はアイドルという抽象的な存在に変貌し始めている」
天海春香のメディアへの露出量は異様だ。果たしてその春香とは、本当に先ほど対面した春香なのか、はたまた〈アイドル〉なのか……。
P「完璧な笑顔を常に浮かべて、望まれるように歌を唄って、それが人間らしいとは思えない……」
ジュリア「春香を……戻すとして、あたしはどうすればいいんだ?」
P「アイドルは、完璧ではないからこそ美しいんだと、春香に認めさせる」
ジュリア「……いいぜ、乗ってやる」
P「今までの話は、信じてもらわなくてもかまわない」
ジュリア「ああ……本当かどうかなんて、ましてやあたしにはわからない。けどさ、春香が完璧を目指していることは事実なんだろ?」
P「ああ」
ジュリア「あたしは……完璧になんて、結局は絶対になれないと思う。だからあがくんだよ」
ジュリアは赤い髪を左手でかきあげる。
ジュリア「……あがいてあがいて、アイドルなんてやっぱり人間で、完璧から程遠くて、でも、あがいてこそなんだって……見せてやるぜ」
武田「緊張しないでいい……と言ったって難しいかな」
春香「ジュリアが緊張しているように見えないんですけど……」
ジュリア「春香……緊張しているさ」
オーディションナンバー5のバッジを胸につけたジュリアは既にステージに立っていた。
目の前の二つの椅子に春香と武田が居た。武田は座っていられない性分なのか、立ち上がって辺りをゆっくりと歩き回っている。
武田「では、ジュリアくん、オーディションを始めよう」
春香は進行台本を広げ、マイクを手にする。
春香「エントリーナンバー5番は765プロ所属のジュリアちゃんです。じゃあ、恒例の一問一答、いっちゃいますね!」
事前に質問が通知されていたコーナーだった。春香の問いに対してジュリアはテンポよく回答する必要がある。
ジュリア「なし。本業のこれで忙しいんでね」
ジュリアはストラップを肩に回して両手で抱えたギターを〈これ〉として差し出す。
春香「オフの日は何を?」
ジュリア「ギターを弾くぜ」
春香「もしすぐに百万円使えと言われたら?」
ジュリア「ギターを買うね」
……
P「うーん、絵に描いたようなギタキチ三平……」
千早「私より重症かもしれません。あと、『キチ』は放送コード的によろしくないです、プロデューサー」
舞台袖でジュリアを眺める二人は静かに言う。
春香「では、最後の質問です!あなたにとって歌とは?」
ジュリア「変わらないもの。歌の価値は、どんな時代でも、どんな状況でも、一切変わらないと信じてる」
春香「それでは、唄っていただきましょう!ジュリアで『shiny smile』です、どうぞ!」
軽やかなイントロが会場に流れ、ジュリアはそこに合わせて身振り手振りで軽く踊る。ギターを抱えているから、あまり大きな動きはできない。
ジュリア《お気に入りの……》
リボンが二つ、また揺れる。春香は完璧な瞳でジュリアを射抜く。
歌い出しと同時にアルペジオでコードを弾く。演奏は我ながら完璧だった。どんどんと音を手繰り寄せていく。
特にプロデューサーは、この曲に決めた時のことを忘れちまったのか?
『かわいい曲が唄いたいんだけど』そう言うと、怪訝な顔もせず曲の候補を挙げてくれたんだ。『自分の壁を超えたいんだ』
『ええとさ、まずは形からのアイドルだ……チハみたいにさ』
そういった形に縛られなくてもいいんだがな、と声もかけてくれた。だけど、
『基本は大事だろ?』
そう言うと笑ってくれた。でも、その笑顔でさえ、もしかしたら、春香を戻すための一端だったのかもしれない。
だけどさ、そんなのはなんだっていい。誰にだって目標はある。その目的への道中で出た笑みは必ずしも嘘や演技ではないはずだ。
アイドルだって同じだ。ステージに立ったときに浮かべる笑みは、もしかしたら作り笑いなのかもしれないけど……。
今、この場所だと肌で理解できる、そんなことはカンケーがない。
嘘だろうが……真実ですら、ここではまばゆく輝いて――やがて消えてしまう。
だからこそ、ひどく恐れているんだ……光を放つことができているか。人を魅せられるのか、あたしは?
事前に収録しておいたバックコーラスとのハモリでアウトロを抜けて、歌は終わった。
武田「何に怯えてる?」
ジュリア「……今のが怯えてたってのか」
武田「いや、ためらっていたのか?なんだい、君の職業は、肩書は?」
ジュリア「アイドル……アイドルのはずだ」
武田「君の前にオーディションを受けた子はシンガーソングライターと名乗った。その子と君は何が違う?」
ジュリア「何も違わない……、少なくとも歌を唄うこと、作曲することについては」
武田「君は、アイドルの固定観念にとらわれすぎているんじゃないか?」
ジュリア「それは……」
春香の目は相変わらず優しかったが、ジュリアはその中に僅かな妖しさを見つける。
ジュリア(あたしも……引っ張られている?)
ジュリア「なっ……!」
武田「だけど、もう一曲チャンスをあげよう……君らしさが見たい。今すぐに唄える曲はあるかい?」
ジュリア「ああ……あるさ」
果たしてオケのデータがあるかはわからない……だけど用意周到なプロデューサーのことだ、最初の案に上がっていたあの曲を持ってきていないはずがない。
765プロのオンボロワゴン車の中でプロデューサーに弾いて聞かせた、あたしの始まりの曲……。
ジュリア「プロデューサー……、やっぱりあれ、演るよ」
P「……そうか、そうだと思って、音源は用意している」
ジュリア「さっすが。それでこそあたしのプロデューサーだ」
ジュリア「後は……いつものフェイスペイントのインクあるか?」
P「ああ、ここにあるぞ」
ジュリア「ちょっと貸してくれ」
ジュリアはインクを指に出して、左の目元に五画で星を描いた。擦り切れて、一部インクが垂れてしまった、荒々しい星だった。
千早「……それは違うわ。演じたのがあなたの描いたアイドルじゃなかったからよ、きっと」
ジュリア「そうなんだろうな。わかった、あたしの真の姿を見てステージに立つか決めてくれ」
千早「いえ……私は、もうあなたの次に唄うと決めた。今の『shiny smile』を見て」
ジュリア「そっか、あんなのでも、あたしの姿を見て喜んでくれる人がいたんだな」
千早「だから、次は、何も遠慮しないところがみたいわ」
P「ああ、もちろんだ、ジュリアが全力をぶつけるのが一番重要だ」
ジュリア「任せとけって」
P「……頼む。俺ができるのはここまでなんだ。いつもそうだった。見ている間は、ステージに立つのは自分じゃないのに心臓がバクバクするんだ」
ジュリア「春香の時もそうだったのかよ?」
P「ああ」
ジュリア「……信じてあげるんだったな。絶対に大丈夫だからって、心の底からさ」
P「その通りだったな……」
ジュリア「今からでも遅くはないと思うぜ。だからさ、まずはあたしを信じてくれよ、それからチハ、そして……春香をさ」
P「ああ……!」
ジュリアは再びセットに戻り、武田と春香を一瞥する。場の空気が引き締まる。
ジュリア「春香、武田さん……あたしの本気、受け止めてくれ。プロデューサーも、チハも」
ステージに立つものが、観客に認められたいのは当然だ。例外は無いはず。そして最も幸運なのは、自分の望む自分の姿が認められることだ。
そうやって考えたとき、この曲――初めて書いた曲にしては、あたしが言うには意外かもしれないけど、あまりにも不遜で、過ぎるほどに瑞々しかった。
ちょっとした照れがあった。だから今日まで唄えなかった。でも……時は満ちた。
ジュリア「『アイル』……唄うぜ」
彼女……ジュリアと初めてステージに立ったときの印象〈対極にありながら近しい者〉――それは今、この瞬間も変わってはいないと千早は感じていた。
自然とかきあがった髪の毛と、目元の星、蠢く左手・リズムに踊る右手――荒々しいギターサウンド……。
一方でジュリアは見たことがないような微笑みを浮かべていた。
明らかに作った表情ではなくて、自然と浮かんでいるように見受けられるそれはきっと、彼女なりのアイドルの笑みのはずだ。
そして最早、彼女は恐れていなかった。歌詞を体現するかごとく、新たなアイドル像を切り開くために道無き道を行く、まさに先駆者《パイオニア》だった。
千早「忘れていたのかも」
千早自身もまた、先駆者であることを、どこか失念していたのかもしれない。
きっと、ジュリアと自分は歩む道は違うだろうと千早は思う。
しかし、だからこそ、並んで歩いていける。前座とかなんだとかではなくて、一緒のステージに立ちたい。
そういった感覚から言うと、千早にとって、春香とジュリアは同じ人種なのだと気づく。
そしてついにジュリアは演奏を終える。それを見た武田蒼一は静かに拍手をしていた。春香は相も変わらず微笑んでいた。
唄えないなどと千早が弱音を吐いていたのは、自分の見た夢ではないかとジュリアは思う。
それほどまでに、今、千早は凛としてセットの中央に立っていた。
曲のイントロと共に、背後のセットと千早の白い衣装へ映像が映しだされる。千早は映し出されたセーラー服を身にまとっていた。
P「プロジェクションマッピングだな」
ゆっくりと駆けていく様な曲調……『Vault that borderline!』を千早は唄うようだった。
ジュリア「そういう隠し玉ねぇ……チハは喜ばなさそうだけど」
P「できることは全部やりたいって言ってたから提案した。そしたら受け入れてくれた」
ジュリア「またお得意の口車じゃないのか」
P「違う違う……千早だって、《飛び越え》ようとしているんだよ」
ジュリア「……向かい合わずに?」
ジュリア「逃げじゃないのか?」
P「そんなこと無いだろ……大体、敵はどこに居る?」
ジュリア「……それもそうだな」
ジュリアはプロデューサーの言葉に同意することにした。きっと千早もプロデューサーと同じ気持ちだろう。だってさ、
ジュリア「あんなに笑えるんだぜ……」
きっと千早は気づいてないだろう。ジュリアがため息する程に凛々しくて、それでいてかわいらしい笑顔を浮かべていることに。
千早のパフォーマンスが終了して、武田は再び拍手を送った。
武田「ジュリアくん!ちょっと出てきてくれないかな!」
ジュリア「はいよ!」
ジュリアは舞台袖から千早の元へ駆けていく。
武田「あと、二人のプロデューサーも!」
プロデューサーは顔だけ出して、
P「なんで俺も……」
武田「いいから、君は僕のところへ来てくれ」
P「そりゃあどうも」
武田「君の人を見る目が羨ましいよ」
P「またまたご冗談を」
武田「いや、それに関しては本気だ……後は人との距離感を違えなければね」
P「春香ですか」
セットの方に目をやると、春香はジュリアと千早の元へ寄り、話し込んでいる。
武田「連れてきたのは……君に貸しを作っておこうと思ってね」
武田「いや、全く。伝手で今回の件を頼んだだけだよ」
P「それでなんですか、俺に何をしろと?」
武田「それは君が一番知っているはずだ。これ以上お膳立てが必要かい?」
P「あなたの望むように、俺が行動するとすれば……正しくないことをしないとならない」
武田「何が正しいか……僕にとっては、音楽界のためになることが正しいことだ」
P「……」
武田「一つ言えるのは……僕もまた天海くんのファンだということだ。君が前に彼女をここに連れてきたとき、私は目を見張った。
でも、今の天海くんの目は……どこか恐ろしい」
武田の目や声色に浮かぶのは単なる過去への憧憬ではないようだった。もっとこれからの未来を見据えているかのよう。
しかし、プロデューサーにその真の心根は理解できないのだが、強いて言えば、事務所の少女たちが〈アイドルとは何か〉の問いに思いを巡らす感覚に近いようだった。
武田「あの時、唄ってくれた『またね』はとても良い歌だったな……」
春香「ねぇ、ギターはいつからやってるの?」
ジュリア「うーん、中学生からだったか……いや、小学生?」
春香「やっぱりすごいなぁ……尊敬しちゃう!私も楽器初めてみようかな」
ジュリア「いいじゃん、なあ、チハ?」
千早「えっ?……そ、そうね」
ジュリア「なあ、チハ、さっきからどうしたんだよ?」
春香「千早ちゃん?」
千早「私……春香の感想を――講評をまだ聞いていない」
ジュリア「……そんなに春香の意見が気になるか」
千早「私……春香とは向かい合うって決めたの。だから、お願い、春香……」
春香「わかった、じゃあ素直に、私の思ったことを言うね」
春香はまずジュリアの目を見る。
ジュリア「その通りだ」
春香「その後に、ええっと、『アイル』を唄ってくれたときも……自分ではそう思ってないかもだけど、そっちでも無理してたんじゃない?」
ジュリア「……そうだな、心持ちは楽だったけど、やっぱりどこか気負いすぎてたんだろうな」
春香「千早ちゃんは……」
と、春香の視線は千早へと向く。
春香「飛び越えるのは、簡単じゃないね」
千早「……」
春香「いつまでそうしてるの、って私、それしか浮かばなくて……心配になっちゃったな」
千早「私……私は……」
千早は唇を噛んで春香から目を背けた。そして背けた視線の先から近づく人があった。
かつて春香とコンビを組んでいたプロデューサーは、この状況に割り込んで一体、何を思うのだろう。
春香「プロデューサーさん……私、そんなつもりじゃ」
ジュリア「手厳しい意見もなけりゃな。なぁ、チハ」
千早「……そうね」
ジュリア「春香……あたしたちは、まだまだこれからだ。這いつくばって進んでくしかないんだよ」
そう言ってジュリアは己の環境を笑い飛ばす。
ジュリア「……ははっ、アイドルって泥臭いんだな」
その言葉が合図だったかのようにプロデューサーは春香へと向き直る。
今この瞬間が――過去から現在まで幾度と無く交わされたであろう二人の会話の中で最も緊迫した時なのかもしれないとジュリアは思う。
春香「……いえ。それに私もまだ完璧じゃないんです」
P「完璧である必要はないと言ったはずじゃないか、なんで聞き入れてくれないんだ」
春香「それは……完璧じゃない私を、気づかって言ってくれてるんですよね?」
P「そんなんじゃ……」
春香「あの日、ドームのお別れコンサートの後……私の言ったこと覚えてますよね?」
P「……もちろん。別の道を行こうと言った」
春香「私の気持ち解ってくれてると思ってます。だから、私は足りなかったんだなーって信じちゃってるんです」
春香はボロボロと涙を流している。衣装にぽたりぽたりと雫が滴った。
ジュリア「そうだな……プロデューサーに加勢するわけじゃないけど、いっぱいあがいてさ、完璧に迫るしかないんだよ」
千早「……迫って、やっと近づいたと思ったら、完璧は離れていってしまう」
春香「でも、でも……そうやって、一生捕まえられないものなのかもしれないけど」
春香は、涙を拭って言う。
春香「それでも……憧れて、望んでくれる人がいるから」
P「だったら春香、こんなこと俺が言うわけには行かないのかもしれないが……その道の先、また、俺と一緒に進んでくれないか」
春香「えっ……?」
P「765プロに来てくれ」
春香「で、でも私、完璧じゃないんですよ?」
P「あの時の言葉が悪かったし、きっと間違っていた。でも今度は違えない……春香は、春香でいて欲しい」
春香もプロデューサーもお互いの目をしっかりと見据えていた。あの日、視線を逸らしてしまったことを後悔して、もう二度と誤るまいと。
春香「いえ……きっとプロデューサーさんだけじゃないんです、私も間違ってたんです。でも……」
硬直した二人を解き放つかのように、春香のリボンが揺れた。
春香「少しだけ、考えさせてください」
武田「やれやれだ……やっぱりアイドルとプロデューサーって似るんだろうね」
ジュリア「春香とプロデューサー、どこが似てるっての?」
武田「強情なところだね」
ジュリア「それは、確かにな」
プロデューサーは、様子を確かめに寄ってきた武田を向いて、
P「ありがとうございます」
武田「あとは君たち次第ってところだな」
P「ええ……。それとジュリアと千早の結果も大切です」
武田「悪いようにはしない……公平に審査するさ」
ジュリア「……もうあんなもの見せられたらオーディション結果なんてどうでもよくなるぜ」
P「そこは……なんかすまん」
ジュリア「いやいや、いいっていいって……」
ジュリア「なあ、チハ、どうしたんだよ浮かない顔して」
千早「……いいえ、なんでもないの」
言葉少なになった千早をジュリアは心配していたが、ついにその心根を察することはできなかった。
一方で、次の審査に望むべく春香は席に戻った。それをプロデューサーは一瞥する。
春香はまだいくらか迷いながらも、自然な優しい微笑みで応えた。
事務所の憩いの場、ソファにはギターを抱えたジュリア、対面に千早が座っていた。
テーブルには先日、可憐とエミリーが置いていった洋菓子・和菓子が。
実入りが良いのか、つい最近、テレビは事務所の広さに不相応な大きさに買い換えられていた。
春香『今週のオールドホイッスルは私、天海春香がお届けします』
春香『激戦を突破した注目の新人シンガーは……なんと私と同じアイドルなんです!』
春香『では、お願いします……如月千早ちゃんで【Vault that borderline!】です!』
ジュリア「あーあ、勝ったとばかり思ってたんだけどな~」
千早「一歩足りなかったわね、ジュリア」
ジュリア「なんだよ、ブルブル震えてたくせに……あそこに立ってるのはあたしのお陰なんだからな!」
勝利の女神が微笑んだのは千早の方だった。後の講評曰く、「ステージとしての完成度の高さ」とのこと。
ジュリア「勝ちも負けも思い通りにはならないってことだな……恐ろしい世界だぜ」
千早「プロデューサーはどう思ってたのかしら」
ジュリア「あのバカなんて、途中からあたしたちのことどーでもよくなってたじゃないか!」
春香『如月千早ちゃんでした!会場の皆さん、盛大な拍手をお送りください!』
テレビから流れる万雷の喝采。録画されたステージ上の千早は丁寧に頭を下げて応える。
春香『さて、この後は……って、う、あとっとー!?』
どんがらがっしゃーん。
春香『いたた……、あっ!こ、この後は、私の新曲【ハルカナミライ】です!どうぞ最後までご覧ください!』
ジュリア「ほんっと、ぶれないよな」
CMが明けて、春香がセットの中央に立ち、唄い始める。
ジュリア「ハルカナミライね……でももし、未来がなけりゃ片手落ちだ」
千早「……進む先が無いのであれば、過去にとどまるしかない」
ジュリア「でもさ、どんなに過去が美しくたって、そこで立ち止まっちゃ目も当てられないぜ。腐っていくだけじゃないか?」
そうね、と千早はため息をつく。
千早「だけど、もし……もしも、その先に見える物が、受け入れがたい未来だったら?」
ジュリア「切り開くさ……自分の望んだ未来……だからこそ、唄うんだろ、チハ?」
千早「切り開く……」
千早はその言葉の意味を咀嚼するかのように押し黙り、春香の歌が終わってから再び口を開く。
千早「あなたには、教えられてばかりね」
ジュリア「それって、どういう……」
ジュリアの言葉は会議室の扉が開く音に遮られる。
ジュリア「遅いぜ、全く……」
P「収録も直接見たし、映像は事務所チェックで穴が空くほど確認したからさ」
ジュリア「そうだろうけどさ、テレビで映るってありがたみがあるじゃんか」
P「まあな……ただ、昔よりテレビの影響力が弱くなってさ。それでもテレビ主体でメディア露出して人気だった春香はすごかったんだな」
ジュリア「また昔話して……過去の栄光にすがるのはみっともないぜ」
P「いやいや、面目ない……。それよりもさ、大ニュースだ、たった今決まったんだが」
ジュリア「なんだ、今度はソファを買い換えるとか?」
P「違う……春香が765プロに来る」
ジュリア「……遊びに?」
P「違うって!正式に765プロに所属するんだよ!」
ジュリア「……マジ?あんなしょっぱい説得が」
P「ったりめーだろ!これから忙しくなるぞ!」
ジュリア「そりゃ、あんたがボロ雑巾みたいになるだけだろ……」
それまでテレビの春香の一挙手一投足に釘付けだった千早がプロデューサーへ向く。
決意に満ちた表情だった。きっと誰が言っても信念を曲げない、あの頑固な千早の意志がにじみ出るかのようだった。
千早「プロデューサー、少しお話が。会議室へ」
如月千早は、もとより大した量はない事務所の私物をリュックサックに詰めた。
765プロを出て行く……それが彼女の選択だった。
千早(なぜ春香が同じ事務所に所属するというのに私は去るの?)
わからない。しかし、去らねばならないという強烈な決意が千早を動かしていた。
千早(……春香と私は違う)
春香のステージを見て気づいてしまった、二人の間には埋められない絶対の差がある。
千早(実力差ではなく、いうなればタイプの差……)
誰もいない早朝だった。千早は荷物を背負い、事務所の扉を出る。施錠して、借りていた合鍵をポストに放り込む。
鍵が地面を叩く甲高い音。それが止むと、辺りは人の気配のない静寂に包まれた。通りを走るダンプの音だけ。
千早「お世話になりました」
千早は誰に向けるでもなくお辞儀をして、古い階段を下りビルを後にする。
千早(いえ、振り返るべきではない……)
きっとあのまま事務所にいれば……ただただ春香に甘えてしまう。
千早「孤独に……」
孤独にならなければ、と千早は思う。極限まで己の歌声を磨き、後世までその歌声を残し、常人離れした文化的な寿命を得るための……。
千早(どうしてそんな結論に?)
わからない。自問自答の先に解決などありはしない。ただ、心の動くまま……ある種の宿命かもしれない。
いやしかしと千早は不敵な笑みを浮かべる……心地良くもあったのだ。
それはきっと、誰にも縛られず、自分の双翼で自由に飛べるからだろう。
天翔ける歌姫……自由と強大な力の引き換えに、大きな孤独を得てしまうだろう。
考えてみればそれすらも都合の良いものだ。不要なものは捨てなければ……更なる力を蓄えるために。
千早は空を見上げ、小さく口を動かす。
《アディオス》
いつかプロデューサーに教わった、長い別れの言葉だった。
地下鉄駅の入り口に待ち伏せしていた、赤髪の少女が千早の行く手を塞ぐ。
いつものシャツにパンクメイク、背負ったギター……彼女らしさの最大限の現れだった。
千早「ジュリア……」
ジュリア「水臭いったらありゃしねーぜ。一人で生きてくつもりかよ」
千早「……そうよ」
ジュリア「バカ、そんなことできないってわかってるくせに」
千早「……」
ジュリア「でもさ、一人になりたいときだってあるよ。それが三日か十年かは人によるだろうけど」
千早「そうね、私はきっと一生……」
ジュリア「待ってくれ……じゃあ言い方を変えるぜ。あたしはチハとまた唄いたい。それじゃダメか?」
千早「ダメね。私となんて唄ってたら辛気臭くなるだけ」
過去に何があったって、関係がない。あたしたちは音楽をやるしかない、言っただろ?」
千早「そう……確かにそう思うわ。でも私は逃げるわけには行かない……過去と向き合うために力をつけないと」
ジュリア「……なあ、プロデューサーが言ってたんだけどさ、その戦う〈敵〉はさ、どこにいるんだよ?」
千早「〈敵〉は私の過去……」
ジュリア「チハが、『Vault』を唄ってたとき、そんな敵なんて無視して、飛び越していけるもんだと思ってたんだけどな、違った?」
千早「感触はあったわ……でも、それでも、やっぱり向かい合わないわけには」
ジュリア「逃げたら悪いのかよ?走って、ましてや飛べるなら……むしろなんで逃げないんだ?」
千早「……」
ジュリア「いや、仮に立ち向かったって、今のチハじゃ怯えるだけだ……敵なんていやしないんだから」
千早「……幻?」
ジュリア「ああ、そうだってあたしは思う」
ジュリア「わかった、ならいいさ。でも、必ず戻って来てくれ……いや、765プロじゃなくてもいい。そうだ、武道館で会おうぜ、あたしのライブで唄ってくれよ」
千早「ええ。いつか、私の問題が解決したら……あなたの言った通りの解決は望めないかもしれないけど」
ジュリア「オーケー。あとさ、プロデューサーから伝言、『籍は休止って形にした。いつでも復帰できる』だってさ」
千早「またあの人は……」
ジュリア「あいつだって、あれで心配してるんだぜ?『俺が行っても逃げられるだけだー』ってあたしに頭まで下げてさ……
そんなことされなくても追いかけるつもりだってのに」
千早「プロデューサーは、結局春香が好きなだけ……私と同じ」
ジュリア「同じだってんならさ、少しは信じたらどうなんだよ。あいつはチハのことだって好きだろうさ。
事務所のみんなも同じ。だからさ、出ていかれるとやっぱり寂しいんだ」
千早「……ごめんなさい」
ジュリア「いや……みんなには言っておくよ」
ジュリア「どうする?別れの歌でも唄う?」
千早「ふふっ……ジュリア一人で唄ってくれるなら」
ジュリア「やだよ恥ずかしい……」
千早「じゃあ行くわね……また会いましょう、必ず」
ジュリア「ああ、またな。……それじゃあアディオスじゃなくて、きっと多分、チャオ、だな」
千早「……詳しいのね」
ジュリア「日々勉強、だからな」
千早「そうだわ、ジュリア、最後に一つお願い」
ジュリア「なんだよ急に?」
千早「……サインをくれないかしら」
ジュリア「ふぅ、今日も疲れたぜ……けど最高だったなー」
初のワンマンライブ。オールドホイッスルのオーディション映像でテレビに出たおかげか満員御礼だった。
思わずギターを手に取って静かに弦を弾く。今、新しい曲を作っている。いつ発表するかは全くの未定。
ジュリア「チハからメールでも来てないのかなー」
それもそのはず、この曲はチハに唄ってもらうために書いているのだから。
ジュリア「やっぱ来てねーぜ。ったく、少しは連絡しろっての!」
目元を指でひっぱり、舌をだす。あっかんべー。
ジュリア「っても、あたしからだって連絡してないんだけどね」
だけど、今日はとても機嫌がいい。
To:チハ
今日、渋谷のライブハウスで唄った。チハは今どこで唄ってる?
###
憧れのステージ……武道館、そしてその先を目指して今は一歩ずつ歩んでいこう。
そして、再びチハと一緒のステージに立って、きっとまだ潰えていない、それどころか更に燃え盛る魂を互いに競わせるんだ。
ジュリア「いいなぁ、音楽って……」
部屋の片隅に飾ったピックガードを眺める。別れの際にサインを貰った。あたしはチハの私物のマイクの柄にサインを書いた。
ジュリア(お互いの根っこの道具に、相手の名前がサインされてるんだな……)
ジュリア(なんか変な感じ。バランスが悪い。だけどこれがあるから、きっとお互い、どこにいたって、繋がっていられる……)
ケータイのバイブ音。ロックを解除して受信したメールを見る。
###
From:チハ
どこか遠く。少なくともあなたのいない所ね。
###
チハの皮肉っぽい笑顔が簡単に浮かぶから、あたしもそれに応えて笑った。
了
>>102
豊川風花(22)Vi
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北上麗花(20)Da
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水瀬伊織(15)Vo
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>>114
天海春香(17)
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>>118
双海真美(13)Vi
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我那覇響(16)Da
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秋月律子(19)Vi
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高槻やよい(14)Da
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双海亜美(13)Vi
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天空橋朋花(15)Vo
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周防桃子(11)Vi
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菊地真(17)Da
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萩原雪歩(17)Vi
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>>167
木下ひなた(14)Vo
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>>175
三浦あずさ(21)Vo
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四条貴音(18)Vo
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>>176
星井美希(15)Vi
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>>181
松田亜利沙(16)Vo
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Welcome!!
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>>212
shiny smile
http://www.youtube.com/watch?v=YCBXQS7Wbiw
>>219
アイル
http://www.youtube.com/watch?v=YbiDhYk8mYs
>>221
Vault that borderline!
http://www.youtube.com/watch?v=YJKthzf7BUw&t=2m54s
>>234
ハルカナミライ
http://www.youtube.com/watch?v=khtfRhMDxTI
誕生日おめでとうジュリア
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